【サラリーマン引退】3つの困難を逆に考えてメリットに変える

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退職を社長に言い出しづらくて

会社が成長期にある。

私が入社して2年弱。売り上げは右肩上がりだ。ここ1年半は社員定着率が改善し、寿退社が1名ともう一人若者が辞めた以外は誰も辞めていない。

設立5年ほどの会社にしては、経営は安定しており、福利厚生や待遇、職場環境などソフト面も充実している。

多くの社員は会社に満足しているように思う。

社長以下経営陣も、上り調子に鼻息荒く、どんどん事業を拡大していこうと施策を打ち出している。増員も考えているようだ。

そこにきて私の離脱だ。これは極めて言いづらい。退職を言い出しづらい。

しかしそこは心を鬼にして言いたい。「サラリーマンの時代は終わった」と。

社長に退職を申し出づらいのはいつものことだ。だいたい退職を告げる前は憂鬱だ。上司に時間をとってもらって、神妙な面持ちで心境を打ち明ける。私の場合はだいたいいつも正当な退職理由がないので、何かしらそれらしい理由を拵える。

キャリアチェンジ、転職先が決まった、自分には向いてない、不満があるなど。

過去に10度も同じことをしてきたので、それを思い出して今回もなんとか切り抜けたい。

サラリーマン引退に関する3つの個人的障壁

しかし本当に「引退」していいのだろうか。実は退職に関するパーソナルな障壁もいくつかある。

一つは妻帯の問題である。ご案内のように私は妻帯者だ。しかも結婚1年未満だ。新婚といえるかもしれない。新婚でサラリーマン引退。無職だかフリーランスだかになる。幸い配偶者は私の奇行に関して非難することはない奇特な人だ。

私は常々「働いている奴は雑魚だ」「労働は非人道的行為だ」「サラリーマンの地獄性を直視せよ」「サラリーマンはサッカー選手だ。36歳は引退適齢期だ」「便利屋になるのが夢だった」など自分の考えを言い聞かせている。そのたびに乞食を瞥見するように、一瞬だけこちらを見て視線を逸らすので私の生き方に賛同しているか、関わり合いになりたくないかどちらかだろう。

もう一つは年齢の問題である。36歳で引退独立することをリスクと考えることもできる。もし独立宣言後に翻意して再度地獄のサラリーマンに復帰したいと考えたとき、社会が私を再度受け入れてくれるのか。つまり30代後半の男性を雇用する会社があるのかという問題がある。しかしこれは考えないことにする。私はフリーマンなのだ。地獄の会社生活には別れを告げたい。

三つめは引っ越しの問題である。これはまだオープンな情報でなく、極めてパーソナルな情報なので、あるいは政府の機密指定にもなっているかもしれないが、あえて公開する。数か月以内に配偶者の両親が住む住居の一角に、越す。マスオさんである。

私自身は引っ越しは歓迎だ。なにしろ家賃がかからない。餓死しない。これはメリットだと思っている。実家に寄生していた若者時代から現在の暮らしを経て義理の両親宅へ寄生する。戦略的パラサイトである。

しかし、果たして古い世代の人間が私の労働観を受け入れるか。越してきた娘の配偶者が突然何のあてもなくフリーランスになったとしたら、少し吃驚するかもしれない。

越してきたその日から、昼間ずっと家にいることに前時代の人々は耐えられるか。私も耐えられるかわからない。世帯が分かれており、出入り口や居住階も分かれているので顔を合わせなくてもいいのが救いだ。

3つの壁をメリットに変える

以上、新婚、年齢、マスオという3つの障壁にぶつかりながらも私は36歳でサラリーマンを引退する。

ご案内のように複数の事業を打ち立て、食い扶持を稼ぐ。「出版編集」「便利屋」「その他(特に考えはない)」。コネや実績は特にない。そんなことはどうでもいい。まずは引退だ。引退ありきの引退なのだ。

考えてみれば3つの障壁も逆に考えれば、メリットということもできる。

配偶者は、養ってくれる人と考えることができる。

36歳という年齢は、若い者にはない風格を備えるタイミングといえる。サラリーマン生活を続けることで心身ともに壊れる分水嶺というか限界の年齢ともいえる。人生の半分っぽい年齢ともいえる。

マスオは前述したとおり、新たな寄生場所を得たといえる。

デメリットがすべてメリットに変わった。逆に考えれば何も問題ない。

春だ。サラリーマンを辞めて、無職になるのにうってつけの季節だ。

 

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