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会社を辞めるということは、少しのあいだ死ぬことだ

先日ある人に「あなたはメンタルが強い」と指摘された。私は自分のメンタルが強いなどとはいままで一度も考えたことがなかったので、彼の言葉を聞いて意外に思った。

彼曰く、転職を繰り返す私のエネルギーは、並大抵のものではないということらしい。いわれてみると確かにそうかもしれない。幾多の転職を通して、精神力が強くなったといえるかもしれない。

会社を辞めること、転職先を探すこと、新しい会社に入社すること、会社に慣れ、仕事に慣れ、人に慣れ、生活のリズムを作ることは、とても骨の折れる作業だ。転職は間違いなく人を疲弊させる。

転職することはマイナス面の方が多いかもしれない。長い歳月をかけて構築した人間関係やキャリア、人からの評価をいったんすべて捨て去ることになる。新しい職場でまた一からすべてやり直しだ。

多くの場合転職すると給料は下がるといわれている。私の経験上でもそれはその通りだ。職場を変えると、ボーナスにも影響がでる。最初の半期ははほとんど出ないところもあるだろう。評価される業績がないのだから仕方がない。ただ、私に関してはそもそもボーナスという制度がある会社にほとんど勤めたことがないので、あまりそのへんでの打撃はなかった。喜んでいいのやら悲しんでいいのやらわからない。

私のメンタル面について指摘した彼は、1度だけ転職経験がある。話を聞くに、彼は転職先での待遇や休暇など福利厚生面で、私が聞く限りはいい条件で働けているように思う。うらやましい限りだ。

私はいままで一度も転職に成功したことがないので、転職に成功するとはどういうことなのかわからない。一度でも転職に成功したら、もうそれ以降は連続的な転職などと言う馬鹿な行為からは足を洗うのだろうか。多分そうはならないだろう。転職して彼のように成功した暁には、味を占めて、次の転職、その次の転職とどんどん転職を繰り返してしまう気がする。転職ジャンキーらしく、困憊する精神や肉体に倒錯した快楽を見出し、終わりのない転職を繰り返すだろう。

しかしそれは単に私がジョブホッパーだから、というのだけが理由ではない。転職は快楽であると同時に、死なないための大事な処世術でもあるのだ。

 

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目下、第10期の転職活動を進めている。実は早々に1社から内定を得た。しかし、辞退した。理由に関しては詳述する気はない。一言で言えば、直感。ここじゃないかなって思った。年収にすると400万円ぐらいの待遇だった。いままでの年収からは100万円以上のアップだ。仕事内容も希望するものに近かった。しかし私は辞退した。ものすごい強い直感が私に訴えかけたのだ。これじゃない。ここじゃない。

転職活動を始めて3社目ぐらいでの内定で400万円なのだ。シンプルに考えれば、6社受ければもう1社内定が出るということだ。500万円ぐらいいきそうな予感。とはいえ、もしかしたら今後もう、1社からも内定が出ないかもしれない。奇跡的に内定をもらえただけだったのかもしれない。のちのち逃がした魚の大きさに気がつき、辞退したことを後悔するかもしれない。でも仕方なかったのだ。直感を大事にした結果の決断だ。

 

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正直言うと、私はまったく屈託なく会社を早期退職できる。退職することを躊躇しない。それは今までの経歴をみれば明らかだ。会社を辞めることが特別だとは思えない。むしろ働くことのほうが常軌を逸している。

よく人に、「次の会社は長続きしそうか」と聞かれる。そういうとき私は次のような返答をする。「いつなんどきどんな会社でも辞める準備がある」。

そのような返答に、人はまゆをひそめる。そして、その人は、苦笑いをしてその話を聞かなかったことにしようと決め、話題を変える。それでいい。私には私の考えがあり、向こうには向こうの考えがある。

私は仕事で苦しめられたくない。仕事で死にたくない。嫌になったら、ストレスをためる前に退職する。伝家の宝刀を抜く。「退職願」。長続きするかどうかは分からない。会社が私にストレスを与えないように最善の努力をしてくれるのならば、続くかもしれない。仕事に殺されたくない。仕事に悩んで自死する人や過労死する人がいるが、私は絶対にそうはならないだろう。私は軽いジャブをもらっただけで逃げ出す。セコンドを張り倒してタオルを奪い取り、自らリングに投げ込んで、相手の拳闘家の腕を高々とあげる。そしてリングを降りて温かいシャワーを浴びて、引退届けを書いて自分を労う。ナイスファイト。

 

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死ぬ気になればなんでもできるという人がいるが、あれを仕事に当てはめたらどういうことになるのだろう。

仕事に悩み、職場の人間関係に悩み、将来に悩み、ストレスに押し潰されてメンタルが崩壊し、体に変調をきたしても、死ぬ気になって耐え忍べば、いずれその苦境を脱することができるということなのだろうか。

私の考えは違う。死ぬ気になってやるのは、仕事ではなく退職だ。高層ビルから飛び降りるように軽やかに退職願を提出する。急行列車にアタックするように力強く退職願を提出する。服毒自殺するように勢いで退職届を提出する。死ぬ気になればなんでもできる。退職できる。仕事を辞めることは、いったん死ぬことだ。幸いなことに、その死は復活が約束されている。弟子に掘り起こしてもらうまでもない、自ら土をかき分け地上に這い出ればいい。その足でスーパー銭湯に行けばいい。平日のスーパー銭湯は桃源郷だ。晩になったら、無職の暇な友人を誘って近場の「土間土間」に繰り出して「いいちこ」のお湯割りで乾杯だ。手ごろな無職野郎がいなければ、社会の敗残者である勤め人の阿呆を定時退社させて呼び出せばいい。私の復活を祝わないやつは私の友人ではない。友人がいなければ一人で「土間土間」のカウンターに陣取ればいい。だいたい30歳を過ぎてそんなにたくさん友人がいてたまるか。「土間土間」に行かないのならば、近くの「まいばすけっと」でいいちこを買って家で呑めばいい。酒は本来一人で呑むものだ。酒の場が好きですなどとほざくやつはアイリッシュパブで呑んでるフーリガンに張っ倒されればいい。

 

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仕事を辞めるとは、わずかの間死ぬことなのだ。死ぬ気になれば一瞬で退職できる。すぐに辞められる。死んだ気になって退職。というか退職して疑似的に死ぬ。ほとぼりが冷めたころに、復活。

私はかつて8度死んだ。そしてその都度よみがえった。私はいつしか気がついた。自分が不死身であると。不死身な人間が死を恐れるはずがない。危険に鈍感になり、危うい場所に足を踏み入れることを躊躇しない。私は死なない。退職してわずかのあいだ死ぬが、それは再生が約束されている死だ。

 

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私のメンタルが強いと指摘した友人は、私の不死身性に畏敬の念を抱いたのだろう。それはそうだろう。一度の転職でその過酷さを肌で感じた彼ならば、私の8度の退職と9度の入社、そして今現在の10度目の就職活動がどれほどのことかわかっているはずだ。私はいくら斃れても、蘇る。

今度蘇ったときには、風呂上がりの私と居酒屋に行って「いいちこ」で乾杯してくれないか?