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「きみはいい子」

児童虐待というのは親から子へそしてその子へと連綿に続くという話を聞いたことがあるのだけれど実際はそうとばかりは言えないのは池脇氏を見ればわかる通り隣人の援助や社会の優しさに触れることで悪しき連鎖を断ち切ることが可能でありそれを断ち切った池脇氏がその隣人の尾野氏を救いだからその娘を救いだからいつかその娘か息子が受けるかもしれなかった暴力から救うということが可能であってそれは何も児童虐待だけではなくて不幸せであったり荒んでいたり悩んでいる人をハグすることで優しさや気持ちよさや慈しみや懐かしさや言葉にできない不思議な感情を与えて気持ちを穏やかにすることができるということは母親が子を抱きしめ優しさを与えればその優しさが連鎖して結句世界は幸せに溢れるということを身をもって知った主演の高良先生は自身が受け持つクラスの児童に対して優しさの連鎖を実践すべく家族に抱きしめてもらうことを宿題として課すことで継父からの児童虐待に悩む少年を救おうと試みた結果宿題提出日に問題児を含め多くの児童が温かい幸福で顔が火照ったように嬉々として抱きしめられたエピソードを話す一方で児童虐待が疑われる少年は学校に登校せずどうしたことだろうと高良先生は給食で出た児童の好きな揚げパンをバッグに入れてパチンコ中毒の継父と暮らす少年のアパートに悲壮な顔をしながら全力疾走で駆けつける途中に6月なのに桜の花びらが児童虐待をしていた尾野氏をはじめ幸せそうな皆の元に舞い落ちていたのはこれは春が何かの始まりつまり罪人も含めて再スタートを切ることが赦されるということを暗示しているのであってこれは再生のメタファーであると考えられる一方で幸福な映画のクライマックスにあたる高良氏の必死の形相での疾走は不穏なクライマックスを予期させつつもしかし皆の元にはひたすら花びらが舞い落ちて世界が幸せに包まれつつあるなかで果たして少年の元には桜の花びらは舞い落ちるのかという不安と緊張が頂点に達したときにこの映画はハグだけでは幸せになれないのだという意地悪い批評家の声を事前に予測していたであろう監督がならば不幸せな要素も入れておけば良いのだろうペシミストのうすら馬鹿がとうんざりしながらそのようなシーンを演出することで逆に監督はこれは優しさが世界を救う話であってそれは真理なのだから文句があるやつは抱き枕でも抱いて糞して寝ろと宣言している映画に思えてならないのだと僕の友達の従妹の映画評論家の卵の妹のバイト仲間の行きつけのカフェのマスターが言ってました。

 

きみはいい子 DVD

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