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走れない。

世知辛い。世の中は世知辛い。生きづらい世の中になった。これはここ二十年の不況とは関係なく、たんに僕個人の問題だ。歳をとって、できないことが増えた。できると思っていたことが、実際に試してみたら、ぜんぜんうまくできない。世間の子供たちは明日から夏休みだ。だのに、僕は三連休だ。子供たちが四十日も阿呆みたいに無為に過ごせるのに僕は三日しか休めない。悪いことに僕は三日の休みすら有り難がっている。夏に働くなんて非人道的だ。思いっきり休んで北アルプスに行きたい。燕岳、大天井、常念岳、蝶ガ岳に行きたい。上高地に行きたい。歳をとってなによりも生きづらいのは、走ることすらままならなくなったことだ。それはなにも体力のことをいっているわけではない。フットサルで疲れやすくなったとかを言いたいわけではない。もっと日常のはなしだ。今朝、駅に向かう道道、パン屋からOL風の人が出てきた。パン屋の袋を二つ持っていた。会社で食べるのだろう。それはいい。問題は、彼女がパン屋から出てきて、すぐに駅のほうに猛然とダッシュしたことだ。僕はそれをみて、とても狭量で差別的な見解だと思うけど、その女性はすこしキジルシなのかと思ってしまったのだ。むろん彼女は普通の勤め人だ。でも、朝、皆が疲れ顔でダラダラ歩いているところに、ジョイナーみたいに本気のダッシュをしている人がいたら、僕は、いや人は、その人を奇異な目で見ると思う。女性に限らずだ。仕事帰り、駅のホームをサラリーマンが本気のダッシュをしていた。急ぎのようがあっただけだろう。でも、大人が往来などを本気のダッシュしている情景は、変と感じてしまう。ためしてみればわかるが例えば平日の昼間に銀座でも表参道でも、いや大森でも川崎でもいいけど、本気ダッシュしたら、気が触れたのかと思われる。子供は別だ。元気があってよろしいと思われる。大人が街を疾走するだけで、奇異。急いでいるのかなと思われないで、あの人変と思われる。走ることすらままならない世の中で僕がいや現代人がこの閉塞した現実を

いや、なんかよくわからないのでこのへんで。ばーか、ばーか、ばーか!!