働きたくないない……

働きたくない

過日、私にとって6度目の、だから人類にとっても6度目の「お告げ」があった。

炎天下の下、昼休みに神保町の街を歩いていた時だ。

神保町交差点をすずらん通りのほうへ渡り、「さぼうる」わきの小路を歩いていた。

「ラドリオ」「ミロンガ」……一度も入店したことのない、味わい深い小さな喫茶店をいくつか通り過ぎ、「三省堂書店神保町本店」の裏口の前に出た。そこで、不意に私は呟いた。

 

「働きたくないないナイチンゲール」

 

過去に5度、私はこのフレーズを口にしたことがある。

最初は横浜駅前にある駿台予備校の前で。2度目は神田駅前商店街で。3度目は四谷三丁目の交差点で。4度目は再開発前の押上駅前にあったパン屋の中で。5度目は麹町にある大妻女子大の正門前で。

そしてそのフレーズが口をついた数日後、私は会社に辞表を出した。5度とも。

 

これが何を意味するか、自明である。

人にはそれぞれ信条(クレド)がある。クレド。かっこいい響きだ。要するに、個人的な事情というものだ。

あること、あるもの、ある考え、ある行為など、他人には理解されないこともある自分だけの、超個人的な論理やルールだ。それはすべてを超越している。そこに他者が介入する余地はない。

 

私にとっては、「働きたくないないナイチンゲール」がそれにあたる。

これが口をついたら、もうだめだ。

私は、全盛期の怪物ロナウドのように退職まで一直線に走り出すだろう。ロナウドがそうであったように、ゴールを決め、両手を広げて歓喜の雄たけびをあげ、仲間に祝福され、皆に尊敬され、最終的には両膝靭帯を断裂して泣きながらピッチにうずくまることになる。最悪な結末が約束されているが、それについてはいまはわきに措いておこう。

 

しかしまたなぜ今、このフレーズが飛び出してきたのだろう。

 

最近、2社続けて転職のための企業面接を受けた。

結果は、1社が書類選考後の面接で不採用だった。その会社で受けた「適性テスト」では、”人付き合いが苦手なタイプ”と評価された。私はそのテストの精度の高さに驚嘆した。完全に看破されたのだ。その「適性テスト」を作成した会社に入社したいとさえ思ったものだ。

 

2社目は、書類選考後の面接に行かなかった。あえてね。

私は、先の先の先まで見通すことができる慧眼を持っていると自負している。冴えわたる私の勘が、「受けても確実に不採用」という未来を予言した。

だから私は先手を踏んで、面接前日に選考辞退の連絡を入れた。先が見えすぎるほどの知性というのも考え物だ。

 

これが素人なら、ダメもとで面接を受けに行っただろう。むろん99%不採用なのだが、稀に「ガッツ」や「やる気」など20世紀的な価値観を評価する人事担当もいる。そのような場合、面接時の熱情が奏功して9回裏の逆転満塁ホームランで採用が適う場合もある。明確な基準を満たしての採用ではなく、あくまで面接官の直感によるものである。私はそれを良しとしない。

なぜならば、まさにかつてのこの私こそが、数々の企業面接において、人事担当者(ほとんんど零細企業の社長)の勘と気まぐれと思い付きによって採用されてきたからだ。そしてほとんどすべての会社で入社後に、能力、社風、給与、立地、業務内容、研修内容、休暇制度、福利厚生、当番制の便所掃除、両者の破たんした人格などあらゆる面で、お互いの「不一致」が露見し、早期退職となったのだ。

 

 やる気だけを武器に面接に臨むというのは、後々のことを考えてあまり得策とはいいがたい。

しかし一方でやる気のない人間は、企業の面接に通りづらい。私のようにサッカーW杯における「第4審判の控え」みたいな生気のない顔をした人間は、どこの採用面接にも通らないだろう。

 

そう、もう私は採用面接に通るような人間ではなくなってしまったのだ。何度受けても結果は出ている。不採用。不採用。不採用。受ける前から、不採用。ならむしろ、受けない。

それを認めるときが、ついに来てしまったのだ。

 

おそらく、私に残された選択肢はそう多くないはずだ。

先日観た山小屋のオーナーとして生きる若者を描いた映画「春を背負って」のなかで、主人公が、自分にうそをつかずに生きることの美徳を説いていた。私はそれに大いに感銘を受けた。

今後の人生、私は自分に素直に生きたいと思っている。これはジョークではない。自分にうそをついて生きるのはもうやめよう。

心の底から、「働きたくない」と思ったのなら、それが私の生きる道であるといえる。心の叫びに耳をすませたい。

たとえそれが「働きたくないないナイチンゲール」というふざけたフレーズでも。

 

私は、働きたくない。

私はそれを強く希求している。そしてそれが今のところ、唯一の願望だ。その願望を満たしたい。だから、その目標に向かって専心したい。そう思った時、私は一つの可能性に思い当たったのだ。

 

結婚。

 

誰かに食べさせてもらいたい。

 

今まではお母さんに食べさせてもらってきた。32歳まで。横浜の閑静な住宅街に建つ庭付き一戸建てに住まわせてもらって。一汁三菜の健康的なお食事を。毎晩。

 

しかしここらで、そろそろお母さんを休ませてもいいのではなかろうか。彼女は、よくやった。自分の母親ながら真に尊敬に値する存在だ。彼女を見ていると、いつも『百年の孤独』のウルスラ・イグアランを思い出す。周りの抜け作どもに手を焼きつつも必死で家庭を切り盛りする現実主義で力強く慈悲深い母親。

 

母親は、まだ週に何度か趣味半分で仕事に出ているようだが、家事についてはそろそろ楽をさせてもいいはずだ。私は、もう思う存分脛をかじった。穀(ごく)に関しては、これはおおむね、潰しつくした。

 

バトンタッチの時が来たのだ。誰かがお母さんに代わって、私にご飯を用意するべき時が来たのだ。

 

別の誰かの脛にかじりつこう。ご飯を食べさせてくれる人を探そう。

そう、結婚なのだ。

解決策はもう、結婚しかないのだ。

会社勤めは徹底的に忌避したい。宝くじは当たらない。やれることはやった。もう、方策はほぼ尽きた。

お母さんに頼るのはやめよう。お母さん的存在を、探そう。それこそが現代の日本に生きる、薄給でおなじみの横浜生まれ、横間育ち、軟弱で向上心のないシティボーイに残された最後の手段なのだ。

 

32歳、もう人生はほとんど折り返し地点だ。

私を養ってくれる経済力・包容力のある女性を求めるのだ。第2のお母さんを探す旅に、私は出る。

 

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