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私たちに残された特別なオナラの終わり

社内ニート 転職活動 野糞

はてな界隈で「オナラ」について書くことが流行っているようなので便乗したい。

私は、屁を自由にひねりたい。
出したいときに出す。出したい場所で出す。音の大小も気にしない。臭かろうが、無臭だろうが、そんなことは私は感知しない。
食前の音だけ立派な空砲も、食後の実がでそうな湿った屁も、どちらも私にとっては大切な放屁だ。
朝のふとんの中でひねる屁、排便時の自由闊達な屁、最寄り駅に向かって歩くときに出る連続屁、満員電車の中での隠れ屁、仕事中に我慢して貯めて貯めて放出されるアフターファイブの開放的な屁、寝床で一日の締めにする、おやすみ屁。百様の放屁が私を幸福にする。
しかし、である。
しかし、いまの私は本当に自分らしい屁を出せているだろうか。
あのころ夢見た放屁家に、私はなれてるだろうか。自分に嘘をついていないか。自分自身で限界を作って、平均点の屁でごまかしてはいないか。
 
屁の射程が狭まっている。
そのことに気がついたとき、私はこう思ったものである。
仕事を辞めよう、と。
仕事中に屁をこけないというただ一点をもって、勤め人たちは辞表を提出すべきだ。
ガールフレンド、ボーイフレンド。旦那、奥さん。友人、知人。上司に同僚。
なにを、遠慮してんだい?
あの頃のように、自由に屁をこけないことに、もっと疑問を持てよ。
 
ここに統計がある。
夫婦間で屁をこきあわないペアは、自由に屁をこきあう夫婦に比べて離婚率が顕著に高い。70倍という。片一方しか屁をこかないペアは、同40倍だ。
屁をこきあう民族は非好戦的であるという。民族間抗争が起きにくいという。
ブターンの幸福度が高いのは、屁の自由度が高いからという統計もある。
自殺率と屁の関係性はかつて私がまとめた統計を参照いただきたい。
屁が出やすくなる食べ物に、芋や豆類がある。これらを主食とする国々はたいてい平和だ。自殺率も高い。同じく私がまとめた文書を参照いただきたい。
 
なぜ、みんなもっと自由に屁をひねらないのだろう。
屁をこくことで、身体が健康になり、精神は安定する。
いまでは、ガス抜きというのは休んだり運動したりリフレッシュしたりすることをいうが、50年前に書かれた柳田による折口あての書簡には、ガス抜きとは文字通り屁をこいてこいてこきたおすの意であると書かれている。そうすることで人は成長し国家は繁栄するとさえ言っている。
多くの人は、有給をとって会社を休んだ結果リフレッシュできたと勘違いしてるが、実際は休む休まないは本質的じゃない。屁をひねったか、否か。自由に屁をひねれたか、伸びやかに自分らしい屁はこけたのか、これが肝要である。
 

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

翻ってもう一度自身を考えてみよう。
そう、私は、いま、自由に屁をこけてない。出したい屁も出せないこんな世の中じゃ……。
そう、だから人は自然を求めるのだ。山へ、海へ、川へ。開放的な空間へ、人は屁をこきにいく。
屁だけど、屁理屈じゃない。これは、理屈だ。真理である。
いま、人々は病んでいる。理由は述べたとおりだ。屁の射程が狭まっている。
ならば、行動を起こせ。仕事を辞めて、移住せよ。
万国の不自由な勤め人よ、自然豊かな土地に移住し、おもいっきり屁をひねろう。