ぼくは履歴書が書けない

晩、自宅。

ママンの作ってくれた夕食を食べ終え、自室に戻った。

机の上にコンビニで買った履歴書を広げた。ビジネスバックから0.35ミリの油性ボールペンを出し、日本茶を一口すすり、呼吸を整えた。

 

登山用品店の「好日山荘」に応募書類を送らなければならない。金曜必着。できれば今日中に24時間窓口が空いている郵便局に持っていきたい。

 

好日宛の履歴書はなぜか手書き作成が必須。久しぶりの手書き。最近はだいたいPC作成が主流だ。山屋はアナログ志向なのだろうか。何かを試されているのか。

 

まずは日付。わりと綺麗な数字が書けた。

 

名前。汚い。ぼくは字が汚い。名前を漢字三字で書く。がちゃがちゃしてる。最初の一文字めを小学生が、次を中学生が、最後を幼稚園児が書いたような不恰好な文字で、ぼくは少し落ち込んだ。

 

住所を書く。むろん汚い。

 

電話番号は良い。アラビア数字は得意だ。小学校のとき、クラスで一番字のうまい女子に褒められて以来、わりと数字には自信を持っている。成功体験って大事。

 

学歴を書く。中学校の卒業年次を書く。「横浜市立」と書いてぼくはペンを置いてしまった。そして途方にくれる。4文字書いて、反吐が出そうになった。汚なすぎる。

 

ぼくは階下に降りて、「いいちこ」のお湯割りを入れた。階上に上がり、自室のテレビを付ける。アルコールとテレビ。リラックスしよう。履歴書書きなんて、イージーだ。

 

ほんとならこのあと車に乗って郵便局に行くつもりだった。水曜日中にもって行けば遅くとも中一日で届くでしょう。

 

でも、「いいちこ」のお湯割りを飲んでしまったから車の運転はできない。ぼくは意志が弱い。酒も弱い。1杯の半分でわりと酔った。郵便局へは徒歩で行こう。20分とかからないはずだ。

 

いいちこ」で意識がゆらゆらしてきた。学歴の文字が踊って見える。実際に踊っているほど、文字がフラフラになっている。汚い。酔いが増す。

 

それでも、書き続ける。

 

職歴を書く。新卒で入った会社は5日で辞めたから、書かなくていいでしょう。いや、ダメか。いや、でもやっぱり書かない。

どっちがいいのかわからず手が止まる。そして「いいちこ」を飲む。

 

2社目に勤めた会社の入社年と退社年を少しいじる。いじるというか独自の解釈を加える。そして少し罪悪感。

 

その後もアルバイトや試用期間で辞めた会社は、はしょったり、在籍期間をいじったりして、脚色した。

 

中途でまたペンを置き、少し途方にくれる。ぼくはすぐに途方にくれる。

 

 

精神が平静になったところで、続きを書く。

ちょっと冷静になって履歴書を俯瞰する。汚いな。その不恰好な文字の羅列に集中力を乱され、書き損じてしまう。そして、履歴書を破り捨てる。粉々に切り裂く。家人に履歴書の残骸が見つかるといろいろと面倒だからだ。ゴミ箱を漁られ、応募書類の書き損じを発掘されたらきっとママンたちはいろいろ詮索してくるだろう。何しろぼくは32歳のおじさんなのだ。若くない。心配されないためにも隠密に転職活動をする必要がある。そんな些事も、ぼきの精神をすり減らす。おちおち履歴書を屑篭に捨てることすら許されない人生に小さな絶望を感じる。全部履歴書のせいだ。

 

最初のミスの後、やけになって2杯目の「いいちこ」に手を付ける。そして少しテレビを見た後、酩酊しながら履歴書の作成に再チャレンジする。少し楽しくなってきた。

 

文字は小さく書いたほうが綺麗に見えるということを発見し、少し、幸せな気持ちになった。

 

また職歴を書く。嘘の職歴。まるで他人の職歴のようだ。誰や君は、と履歴書に語りかける。

正直な話、ぼくはいままでの職歴を覚えていない。や、ほんとは覚えてるけど記憶をたどるのが面倒。おぼろげな記憶で経歴を書き続ける。入社年月、退職年月はあいまい。正社員で勤めた会社は5社ぐらいだったはずだが、そのほかにも試用期間で辞めたところ、アルバイトでの就業もあったはずだ。それは履歴書に書く必要があるのか。履歴書のガイドラインがないからわからない。就職コーディネーターのアドヴァイスなど聞く気になれない。あの人たちは胡散だ、でなければうんこが臭い。臭い人たちはお呼びじゃない。履歴書に正解はない。自分のスタイルを貫こう。やっぱり途中で飽きる。間違える。「いいちこ」飲む。安酒はうまい。

 

正社員での就業だけを履歴書に記載するとして、ぼくなどはまだ10社にも満たないペーペーだが、たとえば50社、100社以上正社員で働いてきたベテランのジョブホッパーの皆さんはどうしているのだろう。絶対に自分の職歴を覚えていないはずだ。さらに、そもそもそんなに長大な経歴は市販の履歴書に書ききれない。スペースがない。巻き物にしたためるのか。

求職者の記憶の問題、履歴書に書かなければならない就業形態(正社員、派遣社員契約社員、アルバイト、パート、試用期間)は何か、履歴書のスペースの問題、すべてがぼくにはクリアできない難題中の難題のように思われる。そしてぼくはまた途方にくれる。3回目。不可能性への挑戦。

 

履歴書は偽史だ。創作物だ。面接の時、その偽史に沿って話をしないといけない。それが難儀だ。幾度か、偽史を記憶して面接に臨んだことがある。すごい精神が磨り減る。採用されたところで嘘の経歴がばれないかヒヤヒヤして働くことになる。それを考えただけで、履歴書作成への熱が冷める。そしてまた書き損じる。嘘はいけないが、正直に書く気もない。隘路にはまり、必定、「いいちこ」が進む。安酒はうまい。シッコがどばどば出る。

 

職務経歴書も書けない。こちらはPC作成だが、就業期間は履歴書と同じものを書く必要がある。当たり前だ。でも、なんか間違えそう。履歴書上、勤めていない会社に勤めてたりして。突き合せが面倒くさい。校正とか仕事だけにしてほしい。仕事でも誤字脱字大石どうしようもない。

 

無理。

 

履歴書を書くのは、不可能。

 

それでもなんとか汚い字で履歴書を書き終え、嘘と誇張で固めた職務経歴書PCで作った。不整合がないかチェック。酔っていて、よくわからない。ま、たぶん大丈夫。送付状を書き、封筒に入れる。宛名書きが汚い。横書きから縦書きにかわって、なんか違う感じがする。どちらにしても汚い。

 

数分前にしたシッコをまたする。「いいちこ」を飲んだ夜は、ほんとうにシッコがたくさん出る。色もにおいも、「いいちこ」仕様だ。いいちっこだ。良いシッコ。よくわからない。酔ってる。

 

着替えて郵便局に向かう。雨か。めんどうだが、夜風が気持ちいい。

 

24時間営業の窓口に封書を出す。「今日の発送はもう終えたので、明日の朝の便になる」という。

急いでこなくても明日出しても一緒だった。翌日着くように速達で出さなきゃならなかったけれど、普通で出してしまった。あて先は神戸。

 

締め切りに間に合おうが、間に合うまいがどっちでも良い。とにかく早く帰宅してシッコがしたい。

 

ぼくに履歴書を出せという会社を、ぼくは信用しない。そんな会社に用はない。

 

ぼくは金輪際履歴書を書かない。やっぱ「移住」しかない。移住を真剣に考えないといけない。和歌山か岡山が熱い。でも移住先の地元企業で就労するなら、やっぱ履歴書ださなきゃなるまい。農業で自給自足は難しい。履歴書履歴書。ぼくには無理だな。履歴書社会とは相容れない。履歴書のいらない世界で生きたい。

ぼくは勉強ができない (新潮文庫)