読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サバイバル出勤について

近年、勤め人の中で鬱病が増えているという。特に30代~60代の就労世代に患者が多いという。さらに、昨今は「新型うつ」なるものも流行っている。新型うつとは、好きなことはやるが嫌いなことはやらない、仕事中はうつ状態で仕事が終わると常態に戻るという新種のうつ病である。新型うつは甘えだという向きもあるが私はそうは思わない。私自身、2005年の4月に時代を先取りして新型うつに罹った過去がある。新卒で入った会社で出社初日に新型うつが発症したのだ。初日には自分が新型うつにおかされているとは思わなかった。2日目も、なんかちょっと精神が不安定だなと思った程度だ。しかし3日目には、これはちょっと精神がぶれぶれだなと思い、脳内でアラーム音が鳴り響いた。4日目に、辞職した。5日目の午前中に事務的な手続きを済ませ、5日目の午後からエアー出勤を開始した歴史的事実はあまりにも有名である。このように、私は今から約10年前にすでに時代を先取りしていた。だから昨今の新型うつに対する厳しい意見に対して同情的かつ批判的なスタンスをとる。新型もまた従来のうつ病と同等に精神を病んでいるのである。新型は特に若い世代に多いという。「ゆとり世代」というレッテルを貼られた若者が甘えが原因でうつ病を装っているという批判的な意見を良く見かける。しかし私はそうは思わない。若者だからうつ病を発症しているわけではない。全世代を通して満遍なく勤め人はうつ病を発症するリスクにさらされている。従来、職場でのうつ病の原因は、「仕事へのプレッシャー」「仕事量の多さ」「人間関係(特に嫌な上司の存在)」「不平等な職場」などとされてきた。うつ病の原因の大部分はそれらが原因であろう。私自身、10年前に発症した新型うつ病の原因は上記のようなものであったと考えている。つまり、今まで働いたことがない学生だったのにも関わらずなんで会社で働かなくてはならないのかという「仕事へのプレッシャー」、日報を書くことや朝の挨拶など「仕事量の多さ」、名前も知らない人たちと同じ空間にいなくてはならないというストレスや新入社員が一人ひとり自己紹介しても決して名乗らない非常識な上司の存在、上司が50万円ぐらい給与をもらっているのにこちらは20万円という不平等さ。精神が錯乱しないほうがおかしいというものだ。しかし私は必ずしもそのようなオーソドックスな理由だけで、現代人においてうつ病が急増しているわけではないとみている。現代人の、特に勤め人にうつ病(新型含む)が増えているのは、服装が原因である。より具体的にいえば、革靴・スーツ・ビジネスバックのスタイルが、うつ病患者急増の本源的な原因なのである。これをはじめて指摘したのは、横浜の閑静な住宅街で親と同居している32歳の好青年であったことは広く知られている。彼の最近の趣味は筋トレであるという。この指摘がなされたのは2014年1月のことである。この新説を思いついたとき、彼は日本テレビで「笑点」を見ていたという。同時に「いいちこ」のお湯割りを飲んでいたという。

 

スーツ・革靴・ビジネスバッグというスタイルは、「健康面」と「フェアネス面」から即刻やめるべきである。なぜなら健康を損なうと精神が蝕まれ、うつ病が発症するからである。アンフェアな振る舞いもまた、通常、人に後ろめたさを持たせることになる。非人道的な行為を続けると人の精神が壊れるのと同様である。常人は非人道的、不義理、非常識な行為を連続的にとることはできない。良心が自身を攻め立てるためである。自身に対する後ろ暗い気持ちが鬱積すると当然人の精神は破綻するのである。一度でも革靴・スーツで出勤したことがある人ならわかると思うが、これらサラリーマンの標準的なスタイルで長時間を過ごすというのは不健康である。革靴は歩きにくく、夏などは靴の中が蒸れて仕方ない。スーツも同様に夏に着るのは自殺行為だ。クールビズでシャツだけポロシャツやノーネクタイにしているが、ズボンや靴が旧態依然のスタイルである点でまったく進歩がない。さらに季節を問わず、スーツの着用は常に窮屈さを強いる。スーツ・革靴のスタイルは会社がフィジカル面で従業員を統制するために考案された拘束着であると指摘したのは誰だったろう。私だ。私は若い頃からこのような非人道的な出勤スタイルに蝕まれてきた。私はある時期、出世しないのは革靴のせいなのではないかという考えに固執していた。「仕事ができる人」は、総じて高給な革靴を履いているという固定観念があった。いつだって彼らの靴はぴかぴかに磨き上げられている。これは単に高給取りだから高給な靴を買えるともいえる。貧乏人は高い靴など買えない。そんな金があれば私のようにtotoBigを買うだろう。ぴかぴかの革靴が先か、豊かな財源が先か。卵とニワトリの問題と同じで、どちらが先かはわからない。それについて考えるのは時間の無駄だ。確たる事実は、私の革靴がいつも汚いということだけだ。22歳ではじめて革靴で会社に通勤してから、不連続的にさまざまな企業で働いた。正社員で働いた会社はすべて革靴での出勤だった。どの会社でも完全に完璧に終始一貫して、私は汚い革靴で勤め先に出勤した。そして私はいつも薄給だ。昔も今も。このことから私が導きだした結論は次の通りだ。薄給で財力に余裕がなくても、無理してでも高給な革靴を買うしかない。それが金持ちになるための必要条件だ。そして革靴は毎日磨く。いつもぴかぴかでてらててらの革靴で会社に出勤する。高給取りになれるかどうかはやってみないとわかならない。しかし、まずは靴を取り替える。話はそれからだ。高給な革靴を履かずして富豪になる、ということはありえない。しかしその考えが浮かんだ数分後には早くも考えを改めていた。靴だけが問題なのか。私と「仕事ができる人」たちとの差は革靴の価格だけなのだろうか。それはあまりにも皮相的過ぎるのではなかろうか。人間の価値は、そんな瑣末な部分だけに見出されるわけではないだろう。1点豪華主義とは敗北主義者なのではなかろうか。他をすべて諦めた結果の敗残者なのではないか。足元に固執するだけではなく、もっと多角的に検証する必要があるのではないか。結論を言えば、スーツかなと思ったのだ。高給スーツを身にまとっていない点が問題なのだ。私がいまいちうだつが上がらないのは、革靴とスーツが理由だったのだ。むろんそれだけではないはずだ。繰り返すが、革靴とスーツだけを見るのは枝葉末節にこだわりすぎだ。問題の核心はなんなのか。要諦は、ビジネスバックにあるのではないか。以前、私が「リュックサック最強伝説」を提唱したのを覚えているだろうか(覚えてる)。勤め人こそ、リュックサックで通勤するのが良いとする理論である。なぜリュックが良いかについてはここでは詳述しない。各自で、リュックの良さについて考えればおのずとリュックの優位性がわかるというものだ。一つ指摘しておけば安全性の問題がある。片手にバッグを持っている状態でもしも転んだらどうなるだろうか。自明である。しかしもっと内的な面も見なくてはならない。人は表層部分だけでは決して評価できない。外からは見えない部分を照射する視座が必要だ。ようするにパンツである。いつまでもユニクロ社製のパンツを履き続けているのはどこのどいつだろう。私のような先進的な人間は、すでにユニクロ社製のパンツは卒業している。いまはもっぱら、セイユー製のパンツを履いている。靴下はオリンピックで買った。むろん、私の選択がベストということではない。繰り返すが、パンツもまた高給なものを履くべきなのだ。その意味で、ユニクロ、セイユー、オリンピックなどのパンツは所詮はどんぐりの背比べなのである。グンゼだってダメだ。正解は、ポールスミスかな? しかしそうではないのである。革靴、スーツ、カバン、パンツを高級にしても、靴下、時計、ペンケース、マフラー、手袋、水筒、弁当箱、万年筆などなど、リニューアルすべきアイテムは無数にある。うんざりである。私は何も、出費が嵩むことに対して辟易しているわけではないのである。健康面でのスーツ・革靴・ビジネスバッグスタイルの危険性を指摘しているのである。そして、次に指摘するのはフェアネスの問題である。

 

私は常に自分に問いかけている。「お前は、フェアか?」と。会社に対してフェアな態度で望んでいるかのか、私の装備ははたしてフェアなのか、大問題である。自分は果たして、勤め人としてフェアなのだろうか、あるいはアンフェアなのだろうか。私はことあるごとに考えてしまう。そして、フェアネスについて考える時、どうしても私は「サバイバル出勤」を思い浮かべてしまうのだ。そしてそれはまた同時に服装の問題でもある。また、勤め人と死(生)の問題でもある。働くとは生きることなのである。それは、生活費を稼ぐために働かなくてはならないといった手垢のついた陳腐な考えとは違う。もっと、基本的な問題だ。働くとは、サバイバルすること。働くことにはいつだって死(生)がまとわりついている(そのことに無自覚な人間が多すぎる!)。だとすれば、出勤するという行為もまた生死と無縁ではないはずだ。出勤は、必然的に「サバイバル出勤」になる。働くことの本質は出勤にあると看破した、「エクストリーム出社」「エアー出勤」「サバイバル出勤」はその点真に慧眼である。出勤時、勤め人はどうしてもフェアネスの問題に突き当たる。それは決して避けて通れないはずだ。出勤を軽んじる人に警鐘を鳴らしたいと常々思っている。そして私は、「出勤」とはなにか。働くことの本質としての「出勤」とは何か。働くことの最終形態が、なぜ「エアー出勤」となるのか。それらについて論じたいと思っている。まずは、「サバイバル出勤」について論じなければなるまい。

 

サバイバル出勤とは何か。実はこの言葉は、まだ正確には定義づけされていない。むろんウィキペディアにも載っていない。グーグルで検索してみても、サバイバル出勤というワードがつぶやかれたツイッターの投稿が数件散見されるだけだ。ただ、それらの投稿で使用されている「サバイバル出勤」はすべて誤用されている。投稿者たちは、台風や大雨のなか苦労して会社に出勤することを、「サバイバル出勤」といっている。これは明らかな間違いである。少し考えて見ればわかるとおり、現代の日本において、自宅から会社に出勤するまでの道のりで、命を落とす確率は極めて低い。むろん、交通事故や転倒事故、事件に巻き込まれたり、心筋梗塞や脳梗塞などの突然死、自殺など、通勤中に死んでしまうケースはゼロではない。しかし、台風や大雨、積雪の危険度など高が知れている。もし本当に生命の危機を脅かすような大災害が起きたら、会社になど出勤せずにじっと屋内で待機していれば良いのだ。現に出勤しているということは、通勤時のリスクなど所詮その程度だということなのだ。では、本当のサバイバル出勤とはなにか。サバイバルというワードを聞いてすぐに浮かぶのは「サバイバル登山」だろう。この言葉は、サバイバル登山家である服部文祥氏が創った言葉である(厳密にいえば、彼の初の著書『サバイバル登山家』のタイトルをつけた編集者が考案した言葉であるらしい)。ウィキペディアに簡単な定義があるので引く。

 

(服部は)「山に対してフェアでありたい」という考えから、「サバイバル登山」と自ら名付けた登山を実践する。

「サバイバル登山」とは、食料を現地調達し、装備を極力廃したスタイルの登山を指している。

 

この定義に倣えば、「サバイバル出勤」は以下のように定義できる。

 

「サバイバル出勤」とは、会社に対してフェアでありたいという考えから、装備を極力廃したスタイルで出勤すること。 

 

服部は、山に入るとき、テントやシュラフやライターや時計やGPSなどを持っていかない。この考えは、彼が学生時代にK2に登った時、極地法で山に登ることに対して疑問を感じたことに端を発している。山に登るのに、たくさんの人員を投入して、大量の酸素ボンベや大量の食料を持ち込むことはアンフェアなのではないか。それでは、山に登る意味がないのではないか。「下界」の生活となんら変わりがないではないかと煩悶したという。山と対峙するときはほとんど空身に近い存在であるべきなのではないか。そう考えるうちに、服部はできる限り装備を排して登山を行う、サバイバル登山というスタイルを確立させていく。装備を削ることがフェアなスタンスと考えたのだ。勤め人もまったく同じである。会社に行くのにそんな重装備をして、恥ずかしくないのか。電車通勤など他人様が用意したレールの上に乗って目的地に向かうことが果たしてフェアな行為といえるだろうか。

 

私は先に、通常の出勤スタイルでは出勤中に命を落とすことは少ないと述べた。しかしそれは通勤時に危険が皆無だからというのが理由ではない。命を落とさないのは、現代の勤め人が不正を働いているからなのだ。このことは、声を大にしていっておきたい。今までこの件について誰もなにも指摘してこなかったことが不思議でならない。現代の勤め人の装備は、過剰である。それはサバイバル出勤の定義から大きく逸脱している。革靴、スーツ、ビジネスバッグ、携帯電話、タブレット、ノートPC、ポケットwifiなど、文明の利器をフル活用している。どう考えてもオーバースペックだ。さらに移動手段は電車やバスや自家用車や自転車などを使っている。独力で歩くということを初手から放棄している。現代の勤め人がこのように不正を働いていることを誰も指摘しないのは、革靴、スーツなどのアパレルメーカーや電車、バスなどの交通機関による圧力が原因であるように思われる。それは明らかにサバイバル出勤の定義を逸脱する行為だ。会社に対して、アンフェアだということができる。勤め人として不義を働いているといえるだろう。そして、実は多くの勤め人はそのことに気がついている。現代社会におけるうつ病の増加がその証左である。皆が精神を病んでいるのは仕事が忙しすぎるわけではない、人間関係に問題があるわけではない、仕事にやりがいがないわけではない、勤め人としてのアンフェアが自身の精神を壊しているのである。自爆である。さらにいけないのは、革靴、スーツ、ビジネスバック、スマホ、電車、自転車、携帯型音楽プレーヤーなどの不正な重装備が健康面で、プラスになるどころかマイナスの効果しかもたらしていないということである。革靴、スーツ、ビジネスバッグの健康面におけるマイナス点は先述した。寒風吹きすさぶ中、手袋もせずにスマホを操るとどうなるか、凍傷で指を失うのである。著名な登山家を見ればわかる。電車や自転車ばかりに頼ると運動不足で成人病の発症率が上がるという事実はもはや定説だろう。大きな音で音楽を聴いてばかりいると耳の聞こえが悪くなることは音楽愛好家自身がよく知っているはずだ。もうそろそろ、装備を捨て去る時ではないか。革靴はビーチサンダルに、スーツはTシャツと短パンに、ビジネスバッグはリュックに。ほかにも過剰な装備を排し、極力、徒手空拳で社会に対峙する。会社と向き合う。サバイバル出勤を実践すれば、かならずうつ病患者は減る。もしかしたら、多くのサバイバル出勤者が、理解のない上司や同僚などから指弾されるかもしれない。しかし、現下の過酷な日本社会にあって、勤め人が平静でいるためにはこれしかないのである。健康で公正で、とにかく「生き抜く」ために、サバイバル出勤の普及を切に願う。

 

サバイバル登山家

サバイバル登山家

 

 

 

TUMI 22681 Alpha Bravo ノックス バックパック