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エクストリーム出社を支持する

火曜日は最悪だ

今日も一日仕事で疲れてしまった。厳密にいえば、仕事とネットサーフィン、そして満員の電車での通勤に疲れてしまった。

 

火曜日は体が重くていけない。朝起きてから一日中不快な疲労感を感じたまま、帰りの満員電車で私にしては珍しく、眠りそうになってしまった。

 

勤め人はつくづく大変だなと思う。

毎朝決まった時間に起きて満員電車に乗って会社に向かう。歩きづらい革靴と動きづらいスーツと重い手提げカバンが、勤め人をさらに疲れさせる。会社では、本気で取り組めば数時間で終わる仕事を、薄く引き延ばして、忙しいそぶりを見せなくてはならない。

 

合間にやるネットサーフィンすら苦痛になる。日に何度もお気に入りのサイトを開く。しかし、1日に何度もサイトが更新されるわけではない。

顔の見えないサイト管理者に対して、心の中で毒づき、仕方なく、yahooニュースでお茶を濁す。yahooニュースは更新頻度が多い。しかし、もっともっと更新頻度を増やしていいと思う。yahooニュースのサイト管理者が思っている以上に、全国の勤め人、無職者はPCの前で無為に時間を過ごしている。どんどんどんどんニュースを更新してくれ。

 

この疲労に充足感はない

帰りの電車で座席に座り、目の前でだだをこねる小さな子どもを睨みつけながら、私は考えていたものだ。

働くのは辛い。辛すぎると。

多くの人たちがいとも簡単に社会で働いているのも見るにつけ改めて思う。勤め人は一人残らず偉大だなと。タフな人たちだなと。

 

むろん、私も彼らと同様にタフな勤め人である。今日も一日生き抜いた、勇者的存在の一人であることは自認している。働くとはすなわちサバイブすることだと再確認する毎日だ。

 

しかし本当にそうだろうか。

私は、この社会で真の勇者になりえているだろうか。困難な局面で、しっかりと対象に対峙しているだろうか。逃げていないか、隠れていないか。フェアなスタンスで闘っているだろうか。私は、しっかりとサバイバルできているのだろうか。

 

現状の働き方に疑問を持つ人たちが増えてきているという。

いままでのように、会社組織に依存する働き方を改め自分の人生を独力で切り拓く者が増えているという。

一身で二生を経るがごとく40歳以降に新たな働き方をすべしと説く者がいるという。一つの職場、一つの職種に拘泥しない働き方だという。

頑なに働くことを拒む者がいるという。ニートこそが至高であるという。

エアー出勤こそ勤め人の最終形態と喝破する者すらいるという。

百人百様の働き方があるということか。

 

一口に働き方の変化と言っても内実はさまざまだ。

 

アルバイト、フリーランス、ノマドワーク、起業家、ニートなど、就業形態の多様性がある。

副業などで収入を得ることで所得の分散化を図る方策もある。

会社に対して過剰に期待し、死ぬまでひとところにしがみつくのも一手だろう。むろん、それを否定する者もいる。

勤め人のなかには、自らを自嘲気味に「社畜」と呼ぶ者もいるという。

逆に、ビジネスで成長することこそ、人生における最高の成功であると妄信的に信じる者も多い。

 

エクストリーム出社の可能性

そんななか、出勤スタイルを変えることで、働くことに楽しさを見出そうと考える人たちがいる。

「エクストリーム出社」である。ウィキペディアの説明を引く。

 

エクストリームは「過激」の意。エクストリーム出社は、早朝から観光、海水浴、登山などのアクティビティをこなしたのち、定刻までに出社をするエクストリームスポーツ。また、リフレッシュを主目的としてレジャーを楽しむ、早朝から出社までのプロセス。この場合、スポーツとしての競技性はともなわない。エクストリーム出社のプレイヤーは、一般的な通勤者と区別して、出社ニストと呼ばれる。

 

素晴らしい試みである。これを考案した人は、毎日会社に出社するのがいやでいやでたまらなかったらしい。毎朝出勤前に時間つぶしにいろいろなところをうろついていた過去の経験がエクストリーム出社の萌芽であるという。

朝活とエクストリーム出社の違いは、朝活の目的がスキルアップ、自己啓発、人脈作りなど仕事に役立つことにあるのに対し、エクストリーム出社の目的は観光、レジャーを通したリフレッシュとしている点にあるとしている。

 

エクストリーム出社の欠点

私はエクストリーム出社の思想に関して、基本的に賛成の立場をとる。

職場を変えること、職場でのマインドを変えることで働くことがラクになるという論理は詭弁である。職場自体が不愉快な場であるという前提を見落としている。その意味で新たな出社スタイルの提案という視点は、正鵠を射ている。

「キモは出勤(出社)スタイルにあり」と看破した点は大いに評価していいと思う。私は、エクストリーム出社という行為が勤め人に素晴らしい効果を及ぼすことを否定しない。

 

しかし同時にエクストリーム出社の欠点も指摘しておきたい。評価しているがゆえに、厳しい視座も持っている。

エクストリーム出社のその過激性は、一回性のものでしかないという点が気になっているのだ。

 

エクストリーム出社を毎日続けることはできない。

なぜなら、毎朝、海水浴に行ったり、登山に行ったり、箱根を観光したりするのは体力的に難しいからだ。また観光をするということはそれだけ出費もかさむ。週に5回も観光していては経済的に大きな負担になる。

さらに重要なのは非日常性の問題だ。非日常性を感じることでリフレッシュするというのは大事なことだ。漫然と日々を過ごすことはストレスになる。何もしない週末を過ごした時ほど、月曜日の疲労感は増す。

しかし非日常を繰り返すと、どこかのタイミングで非日常が日常に転じる。非日常と日常が逆転しても、普通の出社スタイルこそが非日常であるということにはならない。あるのは日常だけだ。非日常(エクストリーム出社)が日常になってしまったとき、出社ニストたちは、大きな喪失感を覚えることになる。そして後悔する。自分の手でかけがえのない非日常を葬り去ってしまったことに。

 

しかしもちろん、エクストリーム出社を毎日するわけではいだろう。それならば非日常性は守られるかもしれない。だが、もしエクストリーム出社が週1回だけのものだとしたら、果たしてそれは出勤スタイルそれ自体、さらに言えば働き方それ自体を変えたことに成功したといえるだろうか(いや言えない)。それはネタとして消費されるだけだ。

 

もう一つの問題

さらにもう一つ指摘しておく。祭りは一人ではできないということだ。エクストリーム出社自体は一人でもできるだろう。登山や海水浴は単独で実行可能だ。しかし、エクストリーム出社にはいつだって聴衆が必要だ。誰かの評価を必要とする。エクストリーム出社は誰かから「朝からなんて酔狂なことをしているんだ」と笑われることを欲する。誰にも何も見向きもされなかったとしたら、出社ニストたちは静かにエクストリーム出社を放棄するだろう。そして通常の出社スタイルに戻ることになる。そして残念ながら、それはすべての出社ニストの末路である。一度きりのネタとしてのエクストリーム出社に、勤め人のマインドを根底から変える力はない。

 

何をそんなに難癖をつけているのだ

しかし前述した定義にあるように、エクストリーム出社はスポーツである。それはフットサルやジョギングと同じなのだ。

別に、現代人の働き方に対する痛烈な風刺として現出したわけではない。決まった生活に少しのリフレッシュを与えるレジャーの一つなのである。ネタで大いに結構。

エクストリーム出社に過度な期待をしてはいけない。ちょっとした冗談なのだ。私は何を真面目に論じているのだ。

 

繰り返すが、私はエクストリーム出社というアイディアには深い感銘を受けている。私も機会があれば実行したい。しかし、これも繰り返しになるが、私がいま探しているのは、「真に新しい働き方」なのである。

私はその答えを、エアー出勤に見つけた。

 

しかし、エアー出勤の核心に触れる前に、エクストリーム出社、エアー出勤と比肩しうる第3の出勤スタイルにも触れておきたい。

 

俗にいう、「サバイバル出勤」である。

 

 

 

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