面接とエアリーマン2

温もりを感じた初面接

 面接開始から1時間が過ぎようとしていた。そろそろ昼の12時になる。私は、空腹を感じていた。何しろ朝から何も食べていないのだ。朝の7時にトーストとヨーグルト、バナナ1本にコーヒー2杯を飲んで以来、実に5時間も飲まず食わずだ。お腹と背中がくっついちゃう感じといえば、言いすぎだろうか?

 

 胃の中は空っぽだが、一方で、私の心は満たされていた。

 「第7期就職活動」の初陣は、ほとんど完璧だった。初の面接で、私は大いなる失敗を勝ち取り、久方ぶりに本物の人の温もりを感じていた。

 

 言うまでもなく、就職活動とは人の温もりを感じるために行われる人間活動である。職を得ることは二義的なものに過ぎない。

 むろん、職を探すために就職活動をする人たちがいるのは知っている。有名な話だ。そして残念ながら、近年では「就職活動とは職を探すことである」と妄信する人が大半を占めていることも知っている。悲しい世の中になったものだと私は憂う。

 

 昔はこんなではなかった。いつから、就職活動がこんなにも無機質になったのか私は知らない。知りたくもない。職探しの主流が、インターネッツに移ってからだろうか、リクルートのせいだろうか。ハローワークの職員の質が低劣になったからだろうか。学生があたかもゲーム感覚で「就活」をして、内定をゲットすることだけが目的になってしまってからだろうか。わからない。何もわからない。

 

 就職活動の変容と求職者の意識調査については社会学者にゆずる。私は私の道を進むしかない。世界に私一人だけが取り残されてしまっても、私は自分の道を突き進むしかない。

 

面接の醍醐味 

 面接の醍醐味は人とのふれあいである。

 「第7期」の初陣で私はそれを再確認した。面接の最中、1時間弱で5回ぐらい私は泣きそうになた。

 午前11時に会社入り口にあるインターフォンを押して、従業員の方がドアフォン越しに応対してくれた時、私は泣いた。

 ドアフォンに出てくれた男性は、私が名を告げると、施錠されていたドアーを解錠してくれた。私はこの瞬間、歓迎されているなと思ってしまったのだ。

 もし今この瞬間に、世界と私が対立したとしても、この男性だけは私の味方をしてくれるのではないだろうか。この男性は、警察や悪者に追われている私をかくまってくれるのではないだろうか。私が追っ手につかまり、ひどく打擲され撲殺されても、彼だけは私のために泣いてくれるのではないだろうか。

 

 応接室のいすに着座して、担当の面接官を待っているとき、もう私は胸がいっぱいだった。初手から人の優しさを感じ、もう思い残すことはないと思った。ここに来た甲斐があったと思った。

 西東京の田舎の寂れた町にある薄汚い建物に入っている絶賛業績横ばい中のいまひとつ存在意義が感じられない会社に、こんな優しい男性がいるとは。やはり、就職活動とは面白いものである。人との出会いが私を幸せにした。

 

素敵な面接官との出会い

 面接官は50代前半の男性だった。風采は上がらないものの、それでも私を面接まで進めただけのことはある。大人物だなと私は確信した。この出会いは一生モノだと思った。

 

 面接では、まず面接官が会社の事業展開、事業所ごとの業務内容、社員構成、現在の業況、これからの見通し、新入社員が取り組む予定になっている仕事の詳細を懇切丁寧に話してくれた。

 私はそれを微笑ましく、聞き入っていた。

 「なるほど」「はあ~」「へぇー」と3パターンの相槌を絶妙のタイミングで挟み込み、熱心に聞き入った。

 面接官の一生懸命さに、私は関心した。いい、社会人に育っているなと思った。

 きっと彼を指導した上司も大人物なのだろう。手を抜かず社員教育をしっかりやるタイプなのだろう。仕事だけではなく、社会人としての処世や、人として身に着けておくべき常識や道徳も教え込んだのだろう。目の前の面接官を見れば、それはわかる。

 気に入った! と私は思わず心の中で叫んでしまったものである。

 いい会社を見つけたと心の中で快哉を叫んだ。

 

ありきたりな面接

 面接官は一通りの説明を終えると、私に対していくつかの定型的な質問をした。

 まさか質問などされると思っていなかった私は、少しく狼狽した。

 何度も繰り返すようで恐縮だが、就職活動および面接というのは、人と人との繋がりを感じあう場である。それは無条件に温かい。

 いってみれば、面接官とは求職者にとっての高級羽毛布団のようなものである。

 羽毛布団が質問しますか?と私は問いたい。しないでしょう。だから、私は羽毛布団のような面接官に質問され、心の準備が整っていなかったため、狼狽してしまったのである。剥ぎ取られた羽毛のくせに質問しやがってと少し取り乱してしまったことは正直に告白しておこう。

 

 とまれ、質問されたからに答えないわけにはいかない。質問したということは、やはり、面接官は私のことが気になっているのである。

 またしても私は自分が思っている以上に歓待されていることを発見し、少し、泣いた。

 

 質問には手短に答えた。

 仕事に興味がありますかと問われ、「やってみないとわからないです」と答えた。

 愛知県での就業は可能ですかと聞かれたときは、「まぁ東京でも愛知でもどっちでもいいです」と答えた。

 なぜ応募したのかと聞かれたときには、正直に、「あなたの温もりを感じに来た」と言いそうになったが、少し表現を変えて、「勤めている会社が潰れそうだからです」と的を外した返答をした。

 一事が万事そのような具合だった。思うに、面接での質疑応答など、不毛ではなかろうか。

 特に、定型的な質問と定型的な返答の応酬は時間の無駄である。そこには血が通っていない。温もりや優しさや寛容や赦しが絶無だ。金輪際、私に質問するのは止していただきたいと私は心底思ったものである。

 

やはり素敵な面接官

 しかしそれを差し引いても、面接官の男性には好印象しか抱かなかった。

 開始20分で、私は「一般的」な意味では不採用の烙印を押されたのであろう。「一般的」とはすなわち、人と人の出会いをないがしろにし、職の獲得にだけ血眼になって、軟派な男が婦女子のお尻を追い掛け回すよな下品な行為としての就職活動のことである。

 このような本義とはかけ離れた就職活動が「一般的」になってしまったことが、かえすがえすも残念でならない。現代人が心を失ってしまった理由はここらへんにある。詳しくは近著で触れるので、深入りはしない。

 

 閑話休題。面接官は紛れもなく優しい人間だった。20分で、面接を切り上げても良かったものを、その後40分以上、彼はほとんど一人で話した。自社の制作物をわざわざ自席から持ってきて、中面を開き、詳細な説明をしてくれた。

 この箇所は新入社員でも少し学べばすぐにできるようになる、ここは資格保有者でなければ制作は難しいなど、くどいくらい微に入り細に入り、説明してくれた。

 

天晴れ、面接官 

 私はそれを聞きながら、彼の親の気持ちになってしまったのである。よくぞここまで立派に育ってくれたね、タケシと思ってしまったのである。

 自身よりも20歳ぐらい年少の求職者に対して、大事な業務時間を削ってまで、自社製作物についてレクチャーをしている。それもほぼ確実に採用されないであろう人材に対してだ。よほど育て方が良かったのか、あるいは生来的に人としての優しさを有していたのか。

 いずれにしても、天晴れである。

 

 私はあと5分ほどで昼の12時にタイミングで、「なるほど」と少し強めの相槌を打った。ここらで面接を終えましょうと面接官にメッセージを送ったのだ。タケシはそれを敏感に感じ取った。

 最後に2つ、3つ事務的な伝達があったように記憶しているがあまり正確には覚えてない。

 私の心は華やいでいた。ほくほくしていた。タケシに会えたことで満足感を覚えていた。空腹で腹の虫が今にも鳴きだしそうになっていた。私は毎日12時ジャストに昼飯を食べると決めているのだ。

 さて昼飯は何を食べようかと考えながらタケシに別れを告げ、駅前の商店街に、私は勢いよく駆け出した。

 

 

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

 

 

 

「絶望の時代」の希望の恋愛学

「絶望の時代」の希望の恋愛学