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面接とエアリーマン

この冬、暖かくて・・・・・・冬 

 私は企業の採用面接を受けるために西東京に来ていた。やっとここまでたどりついた。長い道程だった。

 といって、何も自宅から西東京までの距離をいっているのではない。確かに自宅のある横浜から西東京までは遠い。しかし、それだけではないのだ。面接に至るまでの過程が、困難を極めたのだ。

 

 一心不乱に鼻をほじりながら「スポナビ」を見ているとき、4月以降エアー出勤をするということが規定路線ならば、転職活動などする必要ないのではないかと思った。

 実際に、一度は転職活動はもうやめにしようと決心した。転職サイトのすべてのアカウントを消そうと思った。家にある証明写真をすべて燃やそうと思った。

 しかしと思って、しばし逡巡してしまった。それで本当に良いのかと。

 何かが私を思いとどまらせたのだ。

 「転職活動を続けよう」という声が、私の心のずっと奥のほうから聞こえてきたのだ。

 

32歳が転職活動を行うことの難儀さ

 しかし、そうはいっても簡単に方針転換する気にはなれなかった。何度も、転職サイトを開いては閉じて、閉じては開いてを繰り返した。

 職場から家に帰り、お母さんの作ってくれたご飯を食べた後に、さて就職活動だとPCを開いたところで、どうしてもやる気が沸いてこない。

 どうしても夜は仕事から帰って疲れていて、うまく転職活動モードに切り替えられない。

 ならば発想の転換ということで、日中の就業時間中にPCサイトで転職活動をしようと決心した。

 これはある程度までは奏功した。日中ならば体力的に疲弊しているということはない。社長の目を盗んで「マイナビ転職」や「リクナビネクスト」を閲覧することは問題なかった。

 常に左手の親指を「ALT」に薬指を「TAB」において、背後に誰かが立ったらウィンドウを切り替え、仕事をしているふりをした。こうすれば秘密の活動はばれずに済む。この技術はかなり習熟した。どこの会社に行っても、業務中にネットサーフィンをやれる自信はついた。

 

 しかし、どうしても長時間集中して活動できない。活力が湧いてこないのだ。

 サイトを閲覧しても10分ほどでやる気がなくなってしまう。少し息抜きに仕事をして、その後にスポーツサイトやSNSを巡回し、気力が出てきたら、また転職サイトに戻ってくるということを繰り返した。相当難儀してなんとか1日1件のペースで求人に応募することができた。

 

 これは人が考えているよりも、かなり困難な作業だ。

 転職したいというわけでもないのに転職活動をするというのが苦痛だった。苦痛に耐え忍んで仕事中にサイトを閲覧して、求人広告を流し読みする。なんなら応募してもいいかなと思った求人を見つけても、自己PRや志望動機を入力しなくてはならないケースに直面し、気分がなえた。

 いったい私の何をPRするというのか。いったい当該企業のどこに私は魅力を感じたのか。自分自身への問いかけが続く毎日だった。

 

「第7期」、初陣 

 ついに面接までこぎつけた求人も、なんとなしに応募した企業だったため、面接当日までどんな会社なのかもわからないようなところだった。企業を調べるだけの気力が湧いてこなかったのだ。この会社に面接を取り付けるまでに10社以上は書類選考の段階で不採用だった。でも私はなんの痛痒も感じなかった。

 かつて100社以上、滅多矢鱈に応募していた「乱れ撃ち」の時代を少し思い出した。あの時の経験で私は確かにメンタルが強くなったように思う。不採用を常態化させることで、感覚を麻痺させることができることを学んだ。

 

 久しぶりの面接で少し緊張していた。これが「第7期就職活動」ではじめての面接だった。

 よく知られているように、私の「就職活動期」は以下のように区分される。

 

 ・「第1期」:大学3年~4年(2004年)

 ・「第2期」:最初の会社(IT)を辞めた後(2005年)

 ・「第3期」:2社目(出版)を辞めた後(2007年)

 ・「第4期」:3社目(調査)を辞めた後(2008年)

 ・「第5期」:4社目(卸)を辞めた後(2009年)

 ・「第6期」:5社目(出版)を辞めた後(2010年)

 ・「第7期」:現在

 

 しかしここで注意しなければならないのは、この区分が必ずしも正確ではないということだ。

 賢い者なら容易にわかるが、このように華麗にジョブホッピングをキメてきた人間の職歴はいつだってあいまいで不正確なものなのだ。

 粉飾や脚色や妄想や誇張やトッピングや隠し味をふんだんに盛り込んだものに仕上がっていることがままある。それはだいたいにおいて、原型を留めていない。

 一度このように経歴があいまいになると、残念ながら当人にさえ本当の職歴がどんなものだったのかわからなくなってしまうのだ。

 

新たな職歴の創出 

 これは一見「重大事」に見えるが、そう考えるのはやはり、素人といわざるを得ない。

 私のような玄人はいちいち自分の本当の経歴に拘泥しない。記憶の重箱を突っついても、後の祭りである。徒労に終わるのは、自明である。

 わからないのならわからないままで、正直に反省し、自分の記憶力や管理力のなさに軽く絶望し、真摯に現状を受け止め、軽く自分を律し、新たな経歴を拵えなおせばいいのである。

 

 基本的には、期が変わるごとに心機一転新しい職歴を拵えるようにしている。これは転職を数多く経験してきたものにとっては基本メソッドであるといえる。

 季節の終わりに着ていたスーツをすべてクリーニングに出すのと同じである。あるいは、着古したパンツや肌着などをすべて捨てて、新しいものに買い換えるようなものだ。誰だって、新しい気持ちになって、「よし、転職活動頑張ろう」となるであろう。いまいち転職活動に身が入らない人は騙されたと思って、一度私の真似をしてみるのもいいだろう。

 

 しかし、職歴を書き換えると、同時にいくつかの問題が付随する。

 経歴詐称の問題は、瑣末なことなのでいまは措こう。

 一番厄介なのは、書類審査が通って面接に臨む段になって、「あれ、俺の職歴ってどんなだっけ」となることである。

 まず、どんな職歴で応募したのかを確認しなくてはならない。「リクナビネクスト」や「マイナビ転職」の送信メッセージを確認し、自分の職歴を確認する。

 ほとんどの場合、自分の職歴を確認したときに新たな発見があるものだ。

 「俺はあの会社に勤めていなかったのか」

 「俺は2回しか転職していなかったのか」

 「俺はあの会社で、かなり困難で重要なプロジェクトに取り組んでいたんだな」

 職歴を確認したら、次はインプットだ。送った職歴を頭に叩き込まなくてはならない。

 この作業が辛くなってくるのが、記憶力が急激に減退する25才ぐらいからだ。私がそうだった。

 さらに、いろいろいじくった職歴はもはや自分の職歴ではないと思い、職歴に愛着がもてなくなることがある。

 当事者意識が希薄になるのだ。新たにリニューアルされた職歴は、ほとんど他人の職歴みたいなものだ。まったく、なんで私が他人の職歴を記憶しないといけないのか、むしろこれでは、わざわざ他人ために面接を受けに行ってあげているようなものではないかといった錯覚に陥る。ふざけた話だ。

 

面接を受ける本当の理由 

 しかし私は、いままでそんな困難に幾度となく打ち克ってきた。もう、「第7期」なのだ。年季が違う。今回もまた自分との戦いになる。企業の面接官など眼中にない、とさえいえるのである。

 これは強がりではないのである。現実に私はそう考えている。

 これまで、私は転職活動をするとき、会社に自身を売り込むなどといった卑小な行為をただの1度も行ったことがない。

 むしろ、あなた方企業の側はどうなんだい? と問いかけ続けてきた。

 面接官や企業の受付スタッフなど個々人のレベルでもいい。あなた方は、私に出会ってどんな気持ちになったんだい? うん? と。

 何度も転職を繰り返し、さまざまな職場、業界、職種を転々としてきた私をどう評価するのか。

 根気のない人間、移り気な人間、ビジョンのない人間、人間性に問題がある人間、と考えるのか、はたまた、フットワークが軽やかで、ポリバレントな能力を有する万能選手、転職するごとに状況が劣悪になることがわかりきっているのにあえてその困難に突撃する勇敢な人間、という評価を抱くのか。

 

 私がはじめて会社をやめてエアー出勤した10年前のあの日以降、社会の包容力は上がっているのか。迷える子羊を迎え入れるだけの受容力を持ち合わせているのだろうか。ジョブホッピングし過ぎて、いささか疲れてしまった私のような人間を受け止められるだけ、君たちは成熟したのか。

 私は声高に叫びたい。試されているのは、君たち採用する企業の側なのだと。

 

転職活動の本当の意味とは

 私が、転職活動をする理由は以上のように、「社会の成熟度」をはかるためである。

 むろん他にも、私が転職活動をする理由はいくつかある。

 「独自の転職理論を実践する」 「理由なき転職はどこまで可能か」 「泣き落としや賄賂で内定をとることは可能か」など、試してみたいことはいくつかある。

 しかしと思わないではいられない。

 どれも詭弁なのではないかと。どれもこれも言い訳じみている。ただの自己韜晦なのではないか。

 もしかして私はと思い思わず苦笑してしまった。

 私は、人を求めてるのではないか。私が行っているのは、就職のための面接ではないのだ。数ヵ月後にエアー出勤してしまったら、人との付き合いは激減するはずだ。いまは、同僚や上司や得意先の人間と毎日のように顔を合わせたり、話しをしている。それがなくなったら。

 そうなのだ、私は人との触れ合いや対話のために、面接を受けているのだ。たとえ、面接官に冷たくあしらわれても、冷笑されても、人とのつながりを大事にしたいと考えているのではないか。 

 面接だけではない。メールや電話のやりとりもまた、孤独な人間のための最後の処方箋なのではないか。生きるために最低限必要な、絶望への小さな抵抗なのではないか。

 そう、人が就職活動をするのは、企業に採用されるためではないのだ。孤独に押しつぶされないように、人のぬくもりを感じるために、人が人として生きて行くために、人間であり続けるために、私たちは就職活動を行うのだ。

 この事実を看破したとき、私はまた少し自分の成長を実感した。

 

 

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