夜礼賛主義者

今日も4時起床。
昨晩は21時15分に寝た。
私の辞書に「夜」という文字はない。

率直に言って、昨今の「夜礼賛主義者」の跋扈は目に余る。世間は、朝を軽視しているといえよう。朝に対する敬意が欠けている。
夜遅くまで起きているのが偉いという風潮が確かにある。夜更かし自慢するのは中学生のみかと思っていたが、私の周りにいる三十路を超えた人たちの中にもいまだに夜起きている自慢をする人が多く見られる。嘆かわしい限りだ。

昨今、中学二年生のような幼い言動を揶揄する向きがあると聞くが、「実質2時間しか寝れねえから、つれーわー」といった発言もその一例といえよう。夜遅くまで何をしていたか知らないが、遅くまでおきていたことを自慢げに仄めかす子供じみた発言である。

黒やダークなものがかっこいいという価値観が夜礼賛主義者のなかにあるらしい。非常に痛々しい思想だ。
夜を誉めそやしているのはなにも幼稚な人たちばかりではない。バイタリティ溢れる方たちや、芸術家の方々も同じ穴のむじなといえる。彼らは、夜になるとアクティブになるという習性がある。不良たちも同じだ。彼らは決して朝の5時にダンスをしたりしない。早起きして飲酒をしたり、バイクを乗り回す不良を私は見たことがない。そんなに君たちは夜が好きなのか、夜をえこひいきするのか、夜がダークでなにか強い感じがするのがカッコいいのか。黒い服を着て夜の闇にまぎれるのがそんなにナウいのか。彼らの夜への渇望は見ていて異様だ。夜に楽しまなければ、自分の人生がどん底に落ちるとでもいったような、ある種の切迫感がある。

私のような「朝最強説」の論陣を張っているものとしては彼らの行動が奇異に見えてならない。最近の私の「朝力」がかなり高くなっているために、余計に夜礼賛主義者のいびつな生態が目に付くようになっているのだろうか。確かにそれもあろう。いま私が朝に関するある種の昇段試験を受ければ、「3段」ぐらいは簡単に取れると思う。あるいは見る人が見れば、「4段」に認定されるかもしれないと考えているが、どうだろうか?

素人さんたちの考えや挙動が奇異に見えるのは、私が有段者だからなのかもしれない。気にしすぎなのかもしれない。
しかし、だからこそというべきか、私のような朝の価値を知っている人間が、いまこそ昨今の朝軽視の風潮を正さなければならない。

無論、大半の人は日中に仕事をしているため、「アフター5」を充実させるべく「夜」に活動的になっているのだろう。仕事終わりで街に繰り出して、酒を飲んだり、美味しいものを食べたり、踊ったり、スポーツをしたりして、リラックスして、また明日からの仕事を頑張ろうと思えるのかもしれない。
素人さんである。
その発想が素人なのである。
一日働いてくたくたになっているのにも関わらず、そこから遊んだり勉強したりスポーツしたり飯を食ったりするというのは、よくないことである。疲れている時に体を動かしても余計疲れるだけだ。勉強しようにもすぐに睡魔に襲われるのは目に見えている。読書にしてもそうだ。眠くなって内容が頭に入らないという経験をなんどもしているではないか。
もう、夜に何かが生まれると考えるのは止めにしないか。夜=ダーク=カッコいいという安直な考えは捨て去る時だ。
ご案内のとおり、私は毎朝4時に起床している。
PCで「あまちゃん」を観て、走り、読書をしたり、書棚を片付けたり、クイックルワイパーをかけたり、弁当を作ったりしている。明日からは朝にサッカーのトレーニングをするつもりだ。ここ2ヶ月ほどフットサルをしておらず、「半引退状態」でフットサル熱(サッカー熱)がさめているのにもかかわらず、なぜか朝っぱらからサッカーのトレーニングをする。面妖である。しかし、それは道理であるとも言える。なぜなら、朝が私を元気にするからだ。朝が私を活動的にする。何に対しても無気力、無関心、無感動な私ですらも積極的にさせるのが朝だ。朝力を高めることはいいことだ。

一般の人たちに私の真似をしろとはいわない。素人さんには素人さんの考えもあるだろう。引き続き、「夜かっけー」という思想から抜け出せない人もたくさんいるだろう(悲しいことだ)。これから、草の根活動をして、少しずつ素人さんたちに朝の魅力を伝道していくつもりだ。夜よりも朝が重要であるということを素人さんたちに理解させるのは、生半可なことではないかもしれないが、私のこれからのライフワークとして一意専心で頑張る所存だ。どうぞ応援のほどよろしくお願いいたします。