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真に「新しい働き方」としてのエアー出勤

エアー出勤 転職活動 エアー出勤論

エアー出勤の記録

 これは、あらかじめ予告された「エアー出勤」の記録である。

 来年4月から、私は「エアー出勤」という新たな働き方を実践する。それは間違いない。

 むろん、リミット(2014年3月31日)までにできる努力はいろいろするつもりだ。

 totoBigは引き続き毎週10口(3000円分)購入するつもりだし、逆玉の輿に乗れそうなチャンスがどこかに転がっていないか、常に目を皿のようにしてあたりを見回している。

 残念ながら今のところ成果は得られていないが、継続することにより展望が開ける可能性は否定できない。努力と継続。大事なことだ。

 

エリートと「新しい働き方」

 エアー出勤は、ノマドワーカーや会社を辞めて独力で生きていこうと主張する人たち(スマホアプリの開発が得意な人たち)とは、一線を画す、真に重要で嘘偽りなく新たな働き方をさす。

 エアリーマンと彼らの違いについては、2年前に出版した『鼻毛と日本人--なぜエリートは「新しい働き方」を他人に強要するのか(左の鼻の穴から鼻毛が出ていることに気づきもせず・・・・・・)』に詳しい。興味のある人は図書館や書店で探してほしい。

 

最初のエアー出勤者

 19世紀にイギリスの紡績工場に勤めていたジョンさん(39歳、家族は妻と二人の娘、鼻毛は出てない)がはじめてエアー出勤してから来年でちょうど197年目になる。

 

 ジョンさんが行き着けにしていた廃屋で、はじめて未来を悲観して涙した1817年1月7日から197年目に当たる2014年の1月7日には、「正月休み明けのエアー出勤時に感じる絶望感は英吉利も日本も同じだ。正味の話」という考えに共感した人たちが主体となって、日本各地の寂れた公園で現役エアリーマンとかつてのエアリーマンたちが泣きながら缶コーヒーを飲むイベントが開催される。私は忙しくていけないが、全国で約6人が参加するという話である。

 

 ジョンさん以降、エアー出勤は一般化した。

 ヨーロッパだけでなく、ロシアやアメリカ、少し遅れて日本にも「輸入」されてきた。今では南米や中東、東南アジアなど、世界173の国と地域でエアリーマンが確認されている。

 ドイツでは1854年に、エアー出勤者による暴動が3度発生したという記録が残されている。どれも一個人が元勤め先の窓ガラスに小石を投げるなどの小規模なものだった。傷ついたのは5枚の窓ガラスとエアリーマンのプライドだけだったという。

 カール・マルクスによる『労働は歴史上2回現れる。一度目は純粋な労働として、二度目はエアー労働として』という言葉は多くの人が一度は聞いたことがあるだろう。これは1883年、マルクスが64歳のときに病床で最後から9番目に発した遺言の一つといわれている。不思議なことにマルクスの全著作をひっくり返しても、この名言は確認できない。おそらくエンゲルスが恣意的に省いたのだろう。

 

古くからあるエアー出勤

 以上見てきたように、エアー出勤自体は決して新しい働き方ではない。

 むしろ、クラシカルな働き方といえる。未開時代の狩猟や農耕の時代にはエアー出勤はなかった。それが近代になって、生産手段を持たない多くの労働者階級が、資本家の工場や農場で働くようになってから、エアー出勤者が生まれるようになった。最初はジョンさんが、そして、アードルフさん、フョードルビッチさん、マイケルさん、長井さん、ハムサさん・・・・・・。そして、私。

 皆、勤め先を辞めたことを家族にいうことができず、毎朝「見えない会社」にエアー出勤し、そして公園や森の中で1日を過ごした。

 日中は、時に泣き、時に腹筋運動で時間を潰し、時に死を意識し、大半は昼寝することで現実から目を逸らした。これは現代のエアリーマン諸氏たちの生態とあまりかわらない。

 

エアリーマンと自殺 

 ジョンさんや後続のエアリーマンのエアー出勤は、かなりネガティブなものだった。これは現代の日本のエアリーマンたちも同じだ。

 彼らの中には、エアー出勤の絶望感に耐え切れず自殺を選ぶ者もいた(ジョンさんは、11年におよび長期のエアー出勤に耐え、50歳記念としてキコリにジョブチェンジし、余技として山小屋を経営したものの、72歳の時に不注意から小屋を全焼させて自身も焼死した)。

 

日本の状況

 手元の統計『我が国のエアー出勤1992年』によると、この年(1992年)のエアリーマンの延べ人数は1032人と統計を取りはじめてからはじめて1000人の大台を突破した。

 男女別では男性982人、女性50人と男性の比率がかなり高い。年齢別に見ると、50代が78%で最多。40代が12%と続き、30代、20代、60代のエアーリーマンはあまりいない。

 

 はじめて1000人台に達した背景には、前年に破裂したバブル経済の影響がある。1991年2月のバブル崩壊後に爆発的にエアリーマンが生まれた。

 のちに、彼らをバブリー・エアリーマンと呼ぶことになるが(2011年『森下論文』より)、森下によるとバブリー・エアリーマンの多くは短期間のうちに転職先を見つけた者が多かったいう。その意味で、彼らの多くは泡のように一瞬にして消えたと森下は自論文に書いているが、本人が思っているほど上手い表現ではなかったことは付記しておく。

 

 彼らが早々に転職先を見つけられた理由として森下は、バブル後に職を追われたのは会社が倒産して無職になった人たちだが、彼らの多くは40代、50代が中心で、技能や経験を持っていた、そのため、よその会社に行ってもある程度活躍できる「即戦力」であったことを指摘している。彼らは若い頃に急成長していた日本経済のなかで、十分に経験を積むことができた恵まれた世代だった。また、業界内で一定以上の人材交流があり、人的なコネクションも強固なものだった。だから、知り合いや知り合いの知り合いの会社に再就職したものが多かったという。

 

 職にありつけた一群がいた一方で、残りの一群の多くは途方にくれ、結果、死を選んだ。

 この二極分化がバブリー・エアリーマンの特徴だと森下は言う。自死した者の多くは、中小零細企業に勤めていた人たちだった。大きな会社で守られながら社会人生活を送ってきた恵まれたエアリーマンとは別種の人たちだった。

 小さな会社を追われた彼らは完全に徒手空拳だった。頼るべきコネクションも蓄えも潰しのきく職能も持っていなかった。発展成長していた日本経済のなかで歯車の一つにもなれなかった者たちだった。彼らは、エアー出勤後、まもなく本物の絶望に襲われ、死んだ。

 

フリーになるかエアーになるか 

 バブル後に生まれたエアリーマンたちの間には、厳然とした「格差」があったという森下の指摘は、現下の労働者にもそのまま当てはまるだろう。

 一方は、会社を辞めてスターバックスあたりで優雅に茶をしばいている一群で、いわゆるフリーランスといわれる人たちだ(当世風にいえばノマド)。

 他方は公園のベンチで缶コーヒーをすすっている一群だ。自由すぎて空気のように誰にも見えなくなってしまった、エアリーマンたちだ。エアー出勤、エアー労働、エアーコーヒー飲み、エアー存在、エアー人間を経て、実存的な悩みに直面して、死ぬ。

 前者はノートパソコンとネット環境があれば、独力でなんでもできると標榜し、他者にも自身とおなじ生き方を勧める。他方で、後者はノートパソコンやネット環境があっても、できることといえばネットサーフィンをすることぐらいで、人様に自身の生き方を強要するなど滅相もありませんお代官様といった生き方をしている人たちだ。両者はまったくの別物であるといえる。

 

 統計局から出た最新の統計である『2013年エアー出勤の実態---じぇじぇじぇ、これは異人さんをおもてなししてる場合じゃないですね(涙)』によると、今年のエアー出勤者は速報値で4297人であるという。

 絶望的な数値である。

 つい20年前は1000人突破で騒いでいたのに、今ではその4倍だ。事態は悪化している一方で残念ながらエアー出勤者を社会のセーフティネットが救うことはない。彼らのことは、いないものとして捉えているのが現下の日本社会といえるだろう。彼らに救済の手を差し伸べたというNPOを聞いたことがないし、関連法案が整備されたという話も聞いたことがない。「エアリーマンお悩み相談電話」が開設されたという話も聞かない。

 

新たな試みとしてのエアー出勤

 エアリーマンの多くは低成長期の日本経済で働いてきた者たちだ。つまり、コネも技能もない、野に放たれたら完全に空手になる人たちである。完全に私である。

 彼ら(私)を、より良いエアー出勤者にする方策を、私が見つけといえば言いすぎだろうか。ついに「新しい働き方」としてのエアー出勤を発見したといえば驚かれるだろうか。

 ちょうど197年前から始まったエアー出勤は、今日に至るまで負の側面しかなかった。それが正の働き方になったとき、この国の労働は劇的に変わる。明るい未来がひらけるのである。あとは私に任せてもらいたい。

 

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