「エアー出勤」とは何か

いつも「エアー出勤」のことばかり考えていた

 「エアー出勤」とは何かについて考えたことがない人間は、素人である。

 あるいは、呆け者である。なぜなら、「エアー出勤」というのはいつなんどき誰でもが経験するかもしれない、身近な事柄であるからだ。身近な「危機」に備えない者はきっと痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。

  勤め人たちは常に「エアー出勤」に対して一定の興味や恐れを持っていると私は考えている。

 会社から帰宅して漫然とネットサーフィンをしているときに、ふと「エアー出勤」というワードで検索をしていた経験はないだろうか(あるだろう)。

 往来をトボトボ歩くサラリーマン風の男をみて、「エアリーマンかな?」とぼんやり考えてしまったことが一度でもないだろうか(あるだろう)。

 「エアー出勤」は現代に生きる私たちにとって真に重要なテーマの一つと言えないだろうか(言える)。

 

 今までの人生で、一度も「エアー出勤」について考えてこなかった人は今すぐに猛省すべきだ。

 特に、働き盛りの三十代から五十代のサラリーマンはこの問題について一度は真剣に考えなければならない。なぜならこの世知辛い世の中では、ちょっと足を踏み外したら簡単に人生の坂道を転げ落ちて、気が付いたら「エアー出勤」していたということになりかねないからだ。そういう事案は気づかないだけで、そこかしこに散見しているはずだ。肉親や縁者、友人知人に問い合わせてみれば一人や二人、かつての「エアー出勤」について述懐してくれる人もいるだろう。

 

 まだ働いて間もない二十歳前後の若者やこれから社会に飛び出そうとしている前途ある子どもたちにとっても他人事ではない。

 不況と好況は周期的に現れるという経済理論がある。今が多少良くてもいつなんどきリセッション入りするかわからない。景気が後退すると雇用情勢も悪くなる。若年失業者が増え、職についている若者さえ、ひょんなことから若くして「エアー出勤」することにならないとも限らない。

 本当に恐ろしい世の中になったものだ。働くとは恐ろしいことだ。働き続けることは地獄、退職しても地獄、エアー出勤してもまた大きな苦難を味わうことになる。

 

なぜ「エアー出勤」が選挙の争点にならないのか

 私が「エアー出勤」に言及してそろそろ十年が経つ。しかしこの間、社会で「エアー出勤」についての議論が深まっているようには到底思えない。「エアー出勤」のシンポジウムや「エアー出勤」をしている悲惨な人たちを救う特設電話が開設されたという話を私は寡聞にして知らない。

  

 私がこんなにも「エアー出勤」の恐ろしさを警告しているのにも関わらず、社会の側がまったくのノーリアクションであるのはなぜだろうと私はため息をついてしまう。そして悲しくなる。政府がこの問題に無関心でいることに、私は怒りさえ覚える。経済や外交ばかりだけではなく、雇用とりわけ「エアー出勤」についてもっと細やかな対応をすべきだと思う。今までの選挙で「エアー出勤」が争点にならなかったことが不思議でならない。次の選挙では議論の俎上に上げてもらいたいものだ。

 

 私はこれまで「エアー出勤」を研究対象とした学者の論文を一つも読んだことがない。もともと学者の論文など読む機会がないことを差し引いても、これは異常事態だといえよう。

 また月に3冊はかならず本を読む読書が趣味の私だが、「エアー出勤」をテーマにした書籍を1冊も読んだことがない。

 書店や図書館で「エアー出勤」に関する書籍を見かけたことすら一度もない。グーグルで検索しても「エアー出勤」について言及しているサイトを探すのは困難だ。わずかに掲示板の「2チャンネル」にそれに関連するスレッドが二、三散見されるだけだ。これはいったい何を意味するのか。

 

「エアー出勤」から目を背ける人たち

 世の中の人々は「エアー出勤」について興味がないのだろうか。幼少のころ、自分のお父さんが「エアー出勤」していたという記憶がある人はいないのだろうか。数多ある雇用関係のトピックに「エアー出勤」は入らないのだろうか。完全失業率や学卒の就職率や産業別の離職率などを発表するならば、エアー出勤率も算出すべきではなかろうか。まだ研究するのに十分な細かいデータが得られていないだけなのだろうか。それとも研究するまでもない些末なことなのだろうか。

 社会に潜在している問題を鋭い切り口であぶり出すのが本分のはずのジャーナリストは、この問題に取り組むつもりがないのだろうか。この問題は世間でタブー視されているのだろうか。出版社は、「エアー出勤」をテーマにした書籍では売り上げが見込めないと考えているのだろうか。

 

 試しに、手元にある広辞苑第十三版で「エアー出勤」を引いてみる。しかしいくら探しても「エアー出勤」の項目が見つからない。しばらく「エアー(空気)」の項目を目で追い、目当ての単語がないことを受け入れて広辞苑を閉じる。 

  しかしすぐに、そんなことはないはずだと思い、私は少し急いて再度大判の辞書を繰る。

 広辞苑以外の辞書――たとえば大辞林、新選国語辞典――にも一通り目を通すが、結果は最前と同じだ。どの辞書を繰っても「エアー出勤」の意味を調べることができない。

 

 私は、少し絶望する。広辞苑といえば今や日本で最も愛用されている辞書の一つといっていい。その国民的な辞書にさえ、「エアー出勤」という言葉が載っていないとはいったい辞書の本義とはなんなのであろう。世の中に親しまれているはずの言葉を辞典に掲載しないのは、編纂者らの怠慢にもほどがあるのではなかろうかと毒づきたくもなる。

 

 しかし、「エアー出勤」がここ数年の間に使用されるようになった新しい言葉であると考えれば普通の辞書に掲載されていないとしても仕方がないとも思う。

  広辞苑などよりもむしろ新語辞典のほうにあたってみるべきではないか。私はそう考え、暇を見つけて図書館に向かい新語辞典を繰った。しかしというべきか、やはりというべきか、そこにも「エアー出勤」という単語は載っていなかった。

 

「エアー出勤」は意外に知られていない・・・・・・

 改めて考えてみる。いったい、「エアー出勤」というのはどれほどの人々に認知されている言葉なのだろう。私が勝手に、巷間で当たり前のように使用されていると思っていた「エアー出勤」は、実はほとんどの人にとってはまったく知られていない言葉なのかもしれない。市民権を得ていると考えていたのは、私の一人合点だったのだろうか。

 

 確かに、私自身は当たり前のように「エアー出勤」や「エアリーマン(=「エアー出勤」をする人)」という単語を使用してきた。

  しかし、周りの友人や知人、家族がそういった言葉を口にしているのを私は一度も聞いたことがない。たまたま私が耳にする機会がなかっただけなのか。

 「父親がこの間までエアー出勤しててさぁ」

 「俺、エアー出勤中なんだぁ」

 「将来はエアリーマンになるのが夢です」

 「職歴の空白期間は主にエアー出勤に励んでおりました」

 などという台詞を誰かの口から発せられたのを聞いたことは、一度もない。

 とすれば、「エアー出勤」という用語は、ごく少数の人間の間でしか流通していない、ある種のジャーゴンである可能性もある。あるいは、私だけの造語である可能性も否定できない。私が造りだし、私だけが使用している用語なのかもしれない。

 

 しかしと思わざるをえない。本当にそうなのだろうか、と。

 

 では、今日も日本全国通津浦々で、出社する会社がないのにもかからず早起きし、朝から晩まで往来をうろつき、ファミレスで何杯もコーヒーを飲み、図書館で大著を貪るように読んで時間を潰し、小さな絶望の生活を送っている、あの孤独な人たちはいったいなんなのだろう。彼らはいったい誰なのだろう。彼らは、今日もどこかで完全に無為な「エアー出勤」に勤しんでいるはずだ。私は彼らのことを思い、胸が痛くなる。

 

エアー出勤の定義

  「エアー出勤」とはいうまでもなく、会社を辞めたことを同居する家族に伝えることができず、毎日あたかも会社勤めをしているかのように振る舞うことをいう(独り暮らしの単身者が、なぜか「エアー出勤」をするという事案を聞いたこともある。しかしそれは「都市伝説」であるように思われる。「エアー出勤」は基本的に、同居する家人の目を気にして余儀なくしてしまう行為のはずだ。一つ屋根の下に自分以外誰もいない状況下で「エアー出勤」をする理由はない。だから独り暮らしの単身者がエアリーマンになるということは原理的にありえない)。

 

 エアリーマンは実際に出勤する会社などないから、公園でコーヒーを飲んで時間を潰したり(もっとも広く知られているやり方だ)、ファミレス、映画館、図書館、ファストフード店などで読書や昼寝などをしたりして時間を潰す。

 東京都内や神奈川、埼玉、千葉などに居住しているエアリーマンならば、山手線などの環状線に一日中乗り続けて時間を空費するというやり方もある。山手線に乗って時間を潰すのは都会人の特権であり、地方在住者にはできない時間の潰し方だ。もし首都圏に住んでいるならば一度は試しておきたいメソッドであるといえる。

  勤め人時代に自家用車で通勤していた場合、どこかの川沿いや長時間停めていても咎められない道路脇やホームセンターの駐車場などで昼寝をする人たちもいる。

 

多様なエアー出勤メソッド 

 「エアー出勤」の方法は多岐にわたっている。

 熟練のエアリーマンたちが日夜自分独自のメソッドを研究し、いかに効果的に時間を潰すか、自分の精神衛生上もっとも快い方法は何か、日々練磨している。その意味で、エアリーマンは職人に近い存在なのかもしれない。自分だけのやり方を常に模索する求道者といえるだろう(他方で、その技術がうまく次の世代に継承されていないのではないかとの指摘もある。職人の後継者問題に似ている。誰かが、エアリーマンの指南書、技術書を書き留める必要があるように思われる。そして後継者探しも喫緊の課題だ)。

 

 いずれにしても「エアー出勤」はタフな仕事だ。細やかな神経と強靭な精神力と体力、現実から目を逸らす能力などが必要とされる。家族にばれないように振舞う演技力も兼ね備える必要があるだろう。出社する会社がないのに毎朝決まった時間に起床して、決まった時間に家を出る。爽やかな夏の朝だろうと、布団のぬくもりが恋しい厳冬の朝だろうと、甘えは許されない。出社する会社が実際にあろうが、エアー会社だろうが、気を抜いて寝坊してはいけない。甘えから露見してしまう些細な変化を狡猾な家人は見逃さないはずだ。一度疑われたら、エアー出勤中であることがばれるのは時間の問題だ。エアリーマンは常に薄氷の上でぶるぶる震えながら立ち尽くしている微妙な存在といえるだろう。

 

エアリーマンの服装

 もちろん、服装はいつも通りのいでたちで出社するべきだ。スーツで出社していた人は引き続きスーツを、作業着の人は作業着を着て、カジュアルファッションの人はカジュアルファッションに身を包む。前日と少しも変える必要などない、変えてはいけない。微妙な変化でさえ感付くのが家人というものだ。長い年月を一緒に過ごした家族に対しては、警戒し過ぎてもし過ぎることはない。小さな気のゆるみにより大きな代償を払うことがある要注意だ。

 

エアー職場

 「エアー出勤」する場所は各々が自由に決められるという意味では自由度の高い職業であるとひとまずはいえるだろう。しかし多くの場合、出勤先は自ずと決まってくる。自宅の近くは危険であるように思われる。なぜならご近所様の目があるからだ。どこで誰に見られているかわからない昨今、隣の奥さんに見つかり、ご親切にも自分の家人にご報告されてはかなわない。

 では、電車を乗り継いで遠方に出勤するのが良いかといえばそれにも一長一短があるのだ。確かに東京都内ならば、渋谷、新宿、池袋などの繁華街に出れば、知り合いに会う確率は相当低くなる。都会の喧騒に紛れ、自分の存在を埋没させるのは一見得策なように思われる。しかし財政的なデメリットを考える必要が出てくる。どこに行くのにも交通費がかかる。それは片道三百円程度かもしれない。社会人にとってはなんてことない金額だ。アルバイトをしている学生にとってもはした金といえるかもしれない。しかしエアリーマンの日給はゼロなのだ。この事実は見逃してはならないポイントだ。完全に、完璧に、純然に、誰がなんといおうと無給なのだ。だからたとえ数百円の出費でも懐が痛むのだ。

 

エアリーマンの財政状況

 企業に所属しているサラリーマンは一日働き、一ヵ月働けば確実に給与が得られる。これがいわゆる「月給取り最強伝説」である。サラリーマンの安定感は、当人たちが思っている以上に堅固なものだ。社会的な信用にも直結する。他方、エアリーマンは完全なまでに無給なのだ。拘束時間は一般のサラリーマンと同じなのに、である。完全なる格差社会である。

 

 さらにサラリーマンが周りに同僚や部下、上司など、仕事を相談したり、時には人生の打ち明け話をしたりするであろう仲間がいる一方で、エアリーマンはいつだって孤独だ。独りなのだ。最愛の家族にすら己の境遇を告白できない。これが何よりもつらいことだ。嘘をついているのは、愛する家族のためなのだ。そして、その嘘が万一露見した場合、最悪の場合は家族が離散することも考えられる。八方ふさがりとはこのことだ。

 

 この状況はどう控えめに見積もっても悲劇だ。私が特に悲観主義者であるわけではあるまい。サラリーマンに比べてエアリーマンの境遇が絶対的に不遇なのは多くの人と意見の一致を見るところであろう。

  

エアリーマンは自己責任か

 一般的な勤め人とエアリーマンの間には大きな断絶がある。両者は対局の立場にある。

 まず、経済的に格差がある。給与所得がゼロ円とそうではないのとでは大きな違いだ。サラリーマンはたとえ薄給でも、ゼロ円でないことにもう少しプライドを持ってもいい。

  社会で承認されるのは、勤め人であって決してエアリーマンではない。自分がやっている仕事が誰のためにもならないと卑下するのはやめたほうがいい。

 

 無職者やニートは誰からも尊敬されないし、誰かの役に立つわけでもない。別に誰にも迷惑をかけていないのに、いつだって白い目で見られる無職者はかわいそうな存在だ。たまたま一時、無職者であるときに犯罪など犯そうものなら、「無職はこれだから……」とレッテルを貼られるのは必定だ。

 

 一部の人間にとってはエアリーマンは確かにスペシャルな存在といえるだろう。特に、十代から二十代の若年者が「エアー出勤」をしている場合、ユニークな存在としてある種の畏敬の念を集めるということがある。物珍しさと言ってもいいかもしれない。あるいは、酔狂な存在が若者たちの興味を掻き立てるのかもしれない。しかし一般的には、蔑みの対象となる。毎朝、「見えない会社」に出勤するぐらいなら、自宅で就職活動でもしたらどうだと指弾されることもある。早く家族に真実を打ち明けてラクになれと、自白を強要されることもある。

 

 実に素人的なご意見である。

 

 絶対に告白できない真実が、確かにあるのである。終生胸にしまっておきたい、暗黒の真実である。

  円満な家族関係を築けるのは、安定した職業を有しているからであろう。エアリーマンになると、自分がしてきたことを否定したくなる。現在の境遇を呪い、できればこれは現実ではないと思いたくもなるだろう。実際にこれは現実ではないと考え、ひたすら現実から目を逸らす手法を極める人もいると聞く。現実逃避というのは、よりよく生きていくためには絶対に必要な能力だろう。下手に現実と向き合うと現状よりもさらに悪い方向に転落することは、よくある話だ。

 

 さらに、将来に対する焦燥はちょっと半端ないのではなかろうか。当世風に「パナい」といっても差支えなかろう。これは現在勤め人として安穏な暮らしを送っている人でも、多少の想像力を働かせれば容易にわかることだ。「エアー出勤」はいろんな意味で半端ない、絶対になってはいけないと。存在しない会社に出勤して、誰がどう考えても無生産な一日を送る。誰がどう見ても、最悪な状況だ。将来は真っ暗だ。

 

 このように、勤め人とエアリーマンには厳然とした差がある。断然、勤め人のほうがいいに決まっている。私にいつか子どもや孫ができたら、絶対にエアリーマンにはなっちゃいけないと教え諭すだろう。図書館や公民館で、エアリーマン時代の「昔話」を語るよう要請されたら、私はそれを快諾する所存だ。

 

 ところで、エアリーマンは本当に自己責任なのだろうか。エアリーマンがどれだけタフな環境で日々働いていようと、それは本人の責任なのだから自分たち勤め人は知ったことではないと本当に言い切れるだろうか。

 

 言い切れるのである。

 

 例えば、働きたいのに仕事がなくて働けない、学歴・性別・出自で差別されて就職口が見つからない、勤め先が超絶ブラック企業だったなど種々の理由で無職者になってしまったら、彼らには国や自治体や周りの人間が温かい手を差し伸べる必要がある。またそのような無職者は、全力でそれらのセーフティネットに支えられるべきだ。社会はそのような厳しい状況下にある人たちを救済しなくてはならない。

 

 他方、エアリーマンは事態を独力で突破するべきだ。なぜなら彼らは、自分の意志で「見えない会社」に出勤しているからだ。勤めていた会社を辞した理由は千差万別だろう。職場でいじめを受けて退職に追いやられた人もあるいはあるかもしれない。リストラにあってしまった不運な人もいるかもしれない。なんとなく気分で会社を退職してしまった、少し能天気な人もいないとは限らない。しかし会社を辞めた後の行動は、各個人が自分の責任の範囲内でやるべきだ。ハローワークや自宅で求職活動に注力するのも、のんべんだらりと自宅に引き籠るのも自由だ。その自由な選択肢のなかで、エアリーマンを選んだ人はそれを独力で解決しなければならない。自分で意志したことは、自分で責任を取るべきなのだ。働けないのには外的な原因があるかもしれないが、エアリーマンになってしまった原因を他人にもとめてはいけない。エアリーマンへの就職は自発的に選びとったもののはずだ。

 

 それに、「エアー出勤」は、必ずしも悪いことばかりではないはずだ。「エアー出勤」の経験が人を成長させるという側面もなくはないだろう。私も過去の経験から様々なことを学んだ。私には信念があったから、過去3度のエアー出勤は、何とか自死せず最後までやり遂げられた。

 ただ、一つ言えるのは、半端な気持ちでエアー出勤すると大怪我をするということだ。多くの元エアリーマンは、二度と「エアー出勤」はしたくないと考えるだろう。その気持ちは痛いほどわかる。

 「エアー出勤」を経験することで、喪失するものは確かにある。しかし喪失することではじめて成長できるということもあるのである。

 

エアー出勤は、青春だった

 私の二十代は、「エアー出勤」とともにあった。あえていえば、「エアー出勤」こそが青春だった。

  私の経験を後世に伝えたいと思う。勤め人とエアリーマンは同時的には交わらないかもしれないが、その差は紙一重のものだ。昨日元気に会社に出勤していた人が、今日、「エアー出勤」することになるかもしれない。

 これから「エアー出勤」することになるかもしれないすべての人たちへの指針を示したいと思う。そして、今現在日本全国に存在しているすべてのエアリーマンへのエールを贈りたい。一人でも多くの人に、「エアー出勤」の実態を知ってもらえれば私としては幸いである。

 

 

厚生労働白書〈平成25年版〉若者の意識を探る

厚生労働白書〈平成25年版〉若者の意識を探る

 

 

 

貧困大国ニッポン―2割の日本人が年収200万円以下 (宝島社新書 273)

貧困大国ニッポン―2割の日本人が年収200万円以下 (宝島社新書 273)