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働きたくなくて・・・・・・

エアー出勤 転職活動 エアー出勤論

クリスマス前のネオン輝く街を歩いていて、ふいに、「働きたくなくて・・・・・・2013・・・・・・冬」と思ってしまったのだ。

 

いつも以上にたくさんの人で賑わう街中にジングルベルのメロディーが鳴り響いていた。酒に酔った若者のグループや肩を寄せ合って歩くアベックたち、合同コンパ帰りらしい若い女学生風の集団を尻目に、私は思索していた。横浜北部一番の名うての思索家然としていた。

近代以降歴史に名を残す大哲学者や思想家が誰一人解けなかった、難問中の難問とされている哲学的難問がもう少しで解けそうなところまできていた。

後一押し、1ミリでも思考を深めることができれば、その瞬間にすべての雲が晴れ、地球に、人類に、歴史に、私に、明るい光が差し込むところまで来ていた。

 

私がそのときに取り組んでいた難問とはすなわち、「エアー出勤は可能か」という問題だった。

もっと具体的に言えば、「31歳・実家暮らし・独身・横浜在住・趣味はフットサル」の男が、エアー出勤をするのは、可能かということだ。

哲学に知悉している人ならわかると思うが、この難問を解いた人は歴史上、まだ誰もいない。カントもハイデガーもニーチェも解けなかった。それだけ難しい問題といえるし、あるいはユニークすぎる問題ともいえるし、瑣末な問題ともいえる。

 

委細はどうであれ、私の頭脳は人類が到達できる極限近くまで来ていた。

誰も解いていない問題に取り組むためには知力だけでなく、その問題に取り組むだけの理由がなくてはならない。歴史的必然性といっても良いかもしれない。その問題を解くために生まれてきた、宿命を持つものにしか立ち向かえない命題がある。

私にとっての宿命とはすなわち、「エアー出勤」である。

 

エアー出勤を超えて

これは最近特に感じることなのだが、私はこの「エアー出勤」に関する問題を解かないうちはこれより先に進めないのではないか、これ以上成長することはできないのではないか。そう思うことがある。

 

私が窮地に追い込まれているという事実は、もはや説明するまでもないだろう。私や僕や俺に加え、全国でも56人ぐらいが知っている歴史的事実である。

それでも少し説明すると、来年3月末日をもって、雇用形態が正社員からアルバイトにかわり、その結果、4月以降にアルバイトのまま今の会社に留まるか、新たな職場を探すか、エアー出勤するか、の3つの選択肢から、気分気ままに適当に1つを選び取らなくてはならないという事態に直面している、ということである。

気を抜くと、「エアー出勤かな」となりそうだが、事実、気分はもうエアー出勤状態という私がいる。そのことが私を驚かせる。

 

かつて3度、エアー出勤をした経験がある。

大学を卒業した年に最初のエアー出勤をした。その後の、2回目、3回目は、2年連続のエアー出勤だった。手元にある新聞記事の切り抜きを見ると、私の顔写真の下に、「快挙 2年連続のエアー出勤は横浜初、神奈川では18人目」とキャプションが打たれている。

転職とエアー出勤を繰り返し、華麗なるジョブホッパーに転身することで何を得たか。

転職するごとに給料は下がり、社則などとは無縁で、労働基準法など無きに等しい会社で細々と働き、慢性的な無気力状態に陥り、毎夜「いいちこ」を飲むことだけが楽しみという自堕落な生活を信条とする大人になった、時期もあった。

 

一見、「エアー出勤」とは、若い頃に犯した手痛い失敗であるように思われる。

若いときの早期退職やエアー出勤が、私の社会人としてのキャリアを初手から砕き、その後の暗黒的な零細起業勤めへと舵を切った主因であると考えることもできる。

 

事実、日本社会においては一度レールを外れると、もとに戻ることは難しいとされている。零細企業に転職してしまうと、その後大企業に戻るのは事実上不可能だということだ。

むろんそういう一般論があるのは知っている。しかし、私はそもそもそのような単純な理論の上で踊らされるような小物ではないのだ。社会で働く多くの勤め人は、脱線することの恐怖と隣り合わせで働いている。いつもビクビクしている。だから多くの若者は、できる限り大きな会社、名の通った会社に就職したがるようになる。そして一度そのような会社に入ったら、できるかぎりそこにしがみつこうとする。職業の安定がすなわち人生の安定ということだ。

素人的発想である。

 

本当のエアー出勤の話をしよう  

かつて、私はエアー出勤をした。新卒で入った会社を5日で辞めた。5日目の午後に、人生で初のエアー出勤をした。23歳と3ヶ月だった。それは、当時横浜で最年少だった。ハマのエアリーマンと誰かが言った。私はその異名を、気に入った。

 

私は若く、せっかく入社したIT企業を短時日で退職した。ある人からは蔑みの目で見られ、別の人からは同情された。今後の人生について心配されもした。

しかし、そんな同情は無用である。

今だから言えるが、私は、早期退職を「意志」したのだ。

 

私は一つのの大きな使命を持って会社を辞めたのだ。若く血気盛んで、強いヒロイズムを持ち、信念を持って社会に突撃した。このことは31歳の今まで、誰にも打ち明けなかった。誰もが私を意志薄弱で根気のない、移り気な若者をみなしていただろう。それは、まったく違う、素人の見解と私は内心で思っていた。

私は、エアー出勤の可能性を探っていたのだ。

23歳3ヶ月の若さで、レールを外れることを恐れずに誰にも頼まれもせず、誰に褒められるでもなく、一人で「エアー出勤とは何か」をフィールドワークのなかで探っていた。

 

やっと答えが見つかりそうだ。8年。長い歳月だった。

 

 

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