人生とサッカーの朝連について

職業を持つということは、大体において、朝早く決まった時間に起床することになる。すると当然、前夜に決まった時間に、なるべくはやく就寝しなくてはならなくなる。

生活の中心が、「仕事」になる。起床時間も帰宅時間も就寝時間もテレビを見る時間も、すべて仕事を基準にして考えなくてはならなくなる。生活のリズムは固定化され、受けるストレス量も固定化され、ストレスの種類も固定化され、すべてが折り込み済みのストレス生活がえんえん続く。

それを壊す唯一の手段が、「朝連」だと気がつくのに、ぼくは10数年もかかってしまった。

まったく、なんでこんな簡単なことにすぐに気がつかなかったのだろう。

過去の行動をなぞることは、恥ずかしいことではないし、みっともないことでもない。かつて、小学校時代に屈託なく人生を楽しんでいたならば、大人になったいまも、その頃と同じことをすればよいのだ。

でも、せつな的な快楽を求めてはいけない。感傷的なものもいけない。たとえば、「学校給食」はダメだ。一時、小学校時代の給食をノスタルジーとともに楽しむサービスが流行った。揚げパンやソフト麺を、当時の教室を再現した店内で食べるというサービスだ。これは、いけない。感傷的になるのはいけない。楽しめて1回きりのものだ。せつな的な快楽は、常習性を伴う。常にそれを欲するようになる。給食なんて本当は美味いものじゃない。もし給食が本当にすばらしいものならば、毎日同じようなメニューを自宅や定食屋で食べるはずだ。そんなものを食べている大人はいない。

子供時代の楽しさを再現するのは、給食ではない。生活スタイルを当時のものにすればいいだけのはなしだ。

要するに、朝連だ。あさ5時半に起きて6時から7時まで、ボールを蹴ればいいじゃないか。あの時代に夢中になったサッカーライフを、いま、31歳になった2013年に再現させようじゃないか。

週末だけボールを蹴るなんて馬鹿げている。蹴りたければ毎日蹴ればいいのだ。会社から帰ってから蹴る時間がないのなら、朝出社する前に蹴ればいい。いつだってサッカーはできる。ぼくは時間を取り戻す。もはや、前進する時代は終わった。過去に、帰るのだ。サッカーの朝連だ。小学校時分のもっとも幸福だった、サッカーボールを追い回す人生に帰るのだ。バカみたいにトレーニングするんだ。まずは、コーンだ。ドリブルの練習だ。ラダーを使って阿呆みたいにステップの練習をするんだ。

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(文責:田辺)