2013年9月22日 焼岳(2455 m)

乗鞍高原から沢渡駐車場へ

8時に宿「緑山荘」を出た。緑山荘はいい宿だった。朝飯に出てきたアップルティーが美味だった。和食の後のアップルティーはいささか斬新だったが、そういうのもたまにはいいだろう。宿のおばさんも親切な人で好感を持った。

 車で30分ほど走り、沢渡駐車場へ着いた。駐車代は1500円。乗鞍高原周辺にコンビニがなかったので、沢渡でおにぎり・から揚げセットとペットボトル入りの飲み物を調達した。本気の登山家ならば、食糧を持参するのだろうが、都会派の坊ちゃん登山でおなじみのシティーボーイであるところの軟弱な私は、できれば重い荷物となる食糧類は現地のコンビニで当日に買いたい。そういう意味で、沢渡で食料を買えたのはよかった(から揚げは塩辛くて、登山にちょうどいい味付けだった)。

 

上高地方面へ、帝国ホテル前から上る

 沢渡から往復2000円のチケットを買い、バスに乗って上高地方面に向かった。「中の湯」「大正池」などを通過し、「帝国ホテル前」で降車。所要時間は30分ほどだった。

赤い屋根の帝国ホテル前を通り過ぎて、焼岳の登山口に向かった。

焼岳方面に歩く登山者は少なかった。多くの人たちは、穂高連峰や槍ヶ岳に向かうようだ。私はビギナーなので、まずは焼岳の登頂を目指した。私は今後引退してしまう可能性が高いので、残念ながら穂高連峰を登頂することはできないが、後に続く登山者たちにはぜひとも頑張ってほしいものだ。

 

山頂を踏み中の湯へ 

前日の乗鞍岳でいいウォーミングアップができたこともあり、快調に歩を進めた。途中でお腹が痛くなることもなく、人生に対して漠然とした不安を覚えて、足が止まってしまうということもなかった。

最初のほうの樹林帯から焼岳小屋まではあまり人がいなかったが、小屋からの最後の登り道では多くの登山者が列をなして登っていた。

登頂後、当初の予定通り登ってきた道(焼岳小屋から帝国ホテル前下山)を戻ろうとしたが、ふと別の方向をみると、多くの登山者が「中の湯」方面に降りているのが目に入った。

基本的に焼岳登山は、2種のピストンルートしかないと思っていた。一つが帝国ホテルからのピストン、もう一つが中の湯からのピストン。私たちは前者を選んだ。

中の湯から上るには、登山口まで自家用車で行かなければならない。中の湯には小さな10台ほどの駐車スペースしかないはずなのに、かなり多くの登山者が中の湯方面に下山している。ということは、あるいは中の湯の登山口近くにバス停があるのかもしれない。実は私たちが知らないだけで、帝国ホテルから上り、中の湯に下山し、バスに乗れるのかもしれない。私たちはピストンはつまらないと考え、中の湯方面に下りることにした。中の湯に下り、バスで上高地バスターミナルに向かい、周辺を散策しようと決めた。

 

中の湯に下山後のワークアウト

中の湯に下りると、たくさんの車が駐車されていた。坂道の下の方まで100台以上は停められそうだった。皆、車で来ていたのだ。目の前にバス停はなかった。私たちは騙された思いで、仕方なしに下のほうのバス停まで歩き始めた。くねくねした道路を何回も曲がってバス停まで下りなければならないようだ。

途中、空車のタクシーを停めて上高地までの運賃を聞いたら、3700円と言われた。都会派で軟弱な私は、一瞬タクることも考えたが、高額だったため車に乗るのを諦めた。タクシーの親父曰く、中の湯まではすぐそことのことだったが、全然すぐそこではなかった。歩きで1時間ほどはかかりそうだった。焼岳に登頂して、下山してから道路を1時間も歩くのはごめんだった。

歩くのは嫌だと駄々をこね、泣き、わめき、屁をこいたら、名案が生まれた。歩かないで走ればいいのだ。なぜこんな簡単なことがすぐに思い浮かばなかったのか、私たちは登山で疲れていて脳みそが働いていなかったようだ。

そして私たちは、走り始めた。ザックを背負い、登山靴で、道路をランニングした。登山後のランニングは、なにか違う競技にのぞんでいるかのような妙な気分だった。

30分ほど走って、中の湯のバス停に到着した。

 中の湯からバスで上高地バスターミナルに向かった。運賃は確か750円だった。沢渡~上高地エリアの往復チケットで乗せてもらえるかと思ったが、駄目だった。

 

上高地に降り立つ

上高地は、素敵な場所だった。たくさんの観光客や登山者でにぎわっていた。上高地に保養に来ている年配の人や雄大な自然の中をトレッキングしに来たらしいアベック、そしてもちろん登山者も数多くいた。

登山者の多くは、穂高や槍ヶ岳から帰ってきたらしい人たちだった。皆とても重そうなザックを背負っていた。私はそれを見て少し、羨ましく思った。目の前の迫力ある穂高連峰を見ると、焼岳はやはり少しスケールが落ちるように思われた。私のようなビギナーにはレベル的にはちょうどよかったのかもしれないが、目の前を歩く大きな荷物を持った登山者たちが顔に浮かべる満足感はやはり特別なものに映った。

彼らは、上高地を歩いている散策者たちに対して優越感のようなものを覚えているような気がした。そして私もまた彼らに対して羨望の眼差しを向けていた。

 

ベテラン登山家の件につきまして

山登りする人たちの一部は、不思議な選民意識を持っている人たちが多い。そして大半は、控えめに言って、クソだと思う。クソというのは、ウンコだということだ。うんちでもいい。シット、ということだ。ベテラン登山者ほど、臭くて大きなウンチを全身に塗りたくっているような人種だ。これは偏見だ。山で会うベテランはほとんどすれ違うだけの人だからか、いい人が多いように思う。しかし、街で会うベテランはとても尊大で、自分たちの登山スタイルに過剰な自信を持ち、ビギナーに対して冷淡な気がする。ビギナーが登る山にケチをつけ、ビギナーの装備を嗤い、登山スタイル全般を否定する。自分が登った登山ルートこそ最上だと主張してやまない人を知っている。これは偏見だ。偏見だ……。

 

神降地(かみこうち)

明神池を見るために300円支払った。チケットには上高地の文字に、「神降地」という漢字が当てられていた。神が降りる場所らしい。

古来から、山の上は「聖界」で、下の方は「俗界」と考えられていたそうだ。その境目がどこかわからない。また現代において、レジャーとしての登山がこんなにも盛んなのだから山の上がもはや聖なる場所であるのかどうかも怪しい。

しかし、穂高連峰には、「下界」とは違う特別なものを感じないわけにはいかなかった。そして、そこから還ってきた登山者たちもまた特別な存在に思えた。行きて帰りし登山者たちが、充足感に満ちているのもわかる気がする。そして、そんな彼らが自分を特別な存在と思ってしまうのも仕方ないのかもしれない。神の聖域に入り、還ってきたのだ。

しかし、これだけは言いたい。彼らは、神ではない。神の、ウンコだということだ。いや、神のウンコを拭いたチリ紙の切れ端のような存在だ。あまり、私たちビギナーに対して高慢な態度でのぞまないでいただきたい。私はウンコだが、君もまたウンコなのだ。

最後に、つの丸氏作『モンモンモン』から引用しておく。登山者にはビギナーとベテランを問わず、下記引用からいろいろなことを感じ、学び、謙虚になってほしい。

 

「ウンコの仕方知ってる?」

 

「うん、こーするの」

 

 

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