ドンドコ沢ルートで登山開始_鳳凰三山⑦

車を停めて、登山の支度をして小便をして、朝8時に登り始めた。
 花子たちはおそらく先に行ってしまっただろう。私は初の単独行で少しく緊張していたので、ゆっくりと、道に迷わないように慎重に歩を進めた。
 今回のルートは、「青木鉱泉→ドンドコ沢→鳳凰小屋→地蔵岳→観音岳→薬師岳→薬師岳小屋(宿泊)→中道コース→青木鉱泉」というものだ。これは青木鉱泉から反時計回りで1周するもので、南アルプスの三山を縦走できる、最もポピュラーで入門者向けのルートだ。
 ガイドブックによると、花子たちが泊まる鳳凰小屋は登山口から5時間半ぐらいのところにある。一方、私が泊まる薬師岳小屋までは8時間ぐらいかかる。ガイドブック通りに行けば、16時には小屋に着く予定だが、私は人より歩行ペースが速いので遅くとも15時には小屋に着くと高をくくっていた。
 
登りのルートは、ドンドコ沢ルートというだけあって、沢を遡行するものだ。川沿いに歩いていけばいいので、ルートがわかりやすく独り者の私でも何も考えずに登れた。
 しかし、5分後にはルートを外れていた。
急斜面を登り始めて10分ほどで、ここは違うのではないかと思った。手をついてやっと登れるような急峻なルートだった。踏み跡がないか探しながら登ったが、それらしいものがあるような無いようなよくわからないまま私は登り続けた。そもそも私のような素人は、人の足跡を見極めるほどの、登山テクニックなどなかったのだ。いよいよこのルートは完全に間違っていると確信したのは、目の前に小鹿が現れた時だった。私が息を切らせて、両手をついて登っていた時、左前方5メートルのところを小鹿が横切った。私はそれを見て冷静に思ったものだった。「こんな無邪気に小鹿が駆けている場所が、果たして正規の登山道なのだろうか」と。
「いやそんなわけない」と思い、私は来た方向に引き返した。途中で誰かに会ったら、すぐにでも救援を求めたい気分だった。
ようやく沢に戻って、冷静にあたりを見回すと、登山ルートを示す赤いビニールひもが、わりと分かりやすい場所に点在していた。なぜ私は、沢沿いに行かずに、最短ルートで頂上を目指すような方向に行ってしまったのだろうと、自分の力量のなさに驚き、失望した。
その後は、赤いビニールひもや木の幹に印されている赤いスプレーの印を注意深く探して、迷わないように頂上を目指した。
途中、最初の方で抜いたパーティを再度抜かした。私が小鹿ルートでワイワイやっていた時に、彼らは正規のルートをしっかりと登っていたのだろう。向こうとしては、なぜ私が後ろから再度現れたのか、不思議に思ったかもしれない。