忘年会にて

先週はいくつかの忘年会に出席した。今週以降も年末まで忘年会ラッシュだ。週に1回はどこかしらの忘年会に誘われている。仲間外れにされてお声がかかっていないものを数えれば週2回のペースで開催されているとさえいえる。
年をとると、知人・友人が増えて忘年会へのお誘いも多くなる。普段あまり会わないような人たちからも、いい機会だから飲もうということで酒宴に誘われる。

生来私は社交的な性格ではないので忘年会などへの参加は極力遠慮していた。仲の良い友達からの誘いや、酒席でハイテンションになるような人たちが参加しないような集まりにだけ参加するようにしていた。しかし、最近はそのような消極的な性格を改心し、平日だろうが多少遠方だろうが参加するように心がけている。

三十路まであとあと1年ちょっとだ。もう少し積極的な性格になって、いろいろな人と出会い、経験や見聞を広めたいと思っている。自宅でツイッターやmixi、アメーバピグなどに興じるのも悪くはないのだが、外に出て友人・知人と酒を酌み交わし、様々な話題に花を咲かせて大いに語らいあうというのも良いことなのではないか。そこから新たな出会いや趣味などが生まれるかもしれない。家にこもろうと思えば徹底的に引きこもれてしまう環境だけに、少し意識的に外に出るようにしたい。

先週の火曜日は自由が丘での忘年会に参加した。かつて、日雇い派遣で働いていたときに知り合った三輪さんとその同僚と居酒屋で飲んだ。

2008年の年末に私は勤めていた会社を辞めた。飲食店向けに食材や包材を卸す会社だった。毎度のことで恐縮だが、辞めた理由は思い出せない。いや、思い出せないというよりもおそらく辞めた理由などなかったのだろう。辞めてからの就職活動で企業に面接を受けに行っても、退職理由をうまく答えることができず、毎回適当なことを言っていた記憶がある。
そんなことだから、2009年は1年を通してずっと就職活動をしていた。1月から3月まではエアー出社をしていたために完全に無為な時間を過ごした。たまに就職面接を受けに行く程度で、大半はファストフード店や図書館で時間を潰していた。4月ごろに、エアー出社を切り上げ、純粋な求職者になった。

毎日家にいても仕方がないので日雇いのアルバイトを始めた。今思い出しても暗澹たる気持ちになる。職場は物流センターなどの倉庫が多かった。夏ごろに、ほぼ毎日同じ現場に通っていた。アパレル関係の物流センターだ。そこでほぼ毎日顔を合わせていたメンバーとは連絡先を交換し何度か仕事帰りに飲みに行ったりもする仲になった。

私が今年の年始に就職してからは一度も彼らには会っていなかった。それが先週の火曜日、突然「今日忘年会をやろう」というメールがきた。一瞬、面倒だなと思ったもののこういうところで消極的になっていてはいけないと思い、気合いを入れて自由が丘まで出向いた。

三輪さんとその同僚は先に居酒屋に入っていた。三輪さんは今年の夏から不動産関係の会社で働いている。私を含め3人とも社会人であり、かつて倉庫で働いていた時とはあらゆるものが違っていた。経済的にもそうだが、定職を持てているというのも大きい。あの不安定な日払い派遣生活は、人を人生の落後者のような気持ちにさせるものがあった。仕事があるかないかの毎日、薄給、単純労働などがいつ終わるともしれないまま続く焦燥感は半端ではない。とりあえず、定職を確保できているということは喜ばしい状況である。しかし、私が遅れて酒宴に合流すると空気はなぜか沈鬱としていた。三輪さんの同僚とはこの時が初対面であった。私と同年齢ということらしかったが、見た目は40歳ぐらいのおじさんだった。33歳の三輪さんよりも老けこんでいた。私は、積極性を発揮して忘年会に参加したことを後悔し始めていた。席に着いた瞬間から、切り上げ時を模索し始めていた。
どうやら2人が勤めている不動産会社がひどいところらしく、その日も三輪さんが上司と口論をしてきたらしい。三輪さんとその同僚は、下っ端であるため社内で理不尽なことばかり言われているらしい。三輪さんは衝突した上司に紹介されて今の会社に入社したとのことだが、毎日煮え湯を飲まされ辟易していると言っていた。三輪さんと同僚さんが決めてきた契約もその上司に横取りされてしまって、2人の立場がないとのことだ。いつ退職しようか、時機を見計らっていると話していた。
大変ですねと私は心底同情した。何しろ三輪さんとはあの過酷な日払い現場でともに汗を流した仲なのだ。真夏の朝8時にトラックの荷台から重い段ボールの荷降ろしをした仲だ。三輪さんはそのバイトの後、夜8時ぐらいからヤマトでもバイトをしていた。1日2つの現場を掛け持ちしていたのだ。その生活から解放されたのだ。今の不動産会社がキツイというのは確かにそうなのだろうが、あの肉体的にも精神的にも過酷な日払い生活には戻りたくないと思っているはずだ。私はどうにか2人に、今の職場で頑張ってもらいたいと思った。今はまだ就職市場に出てはいけない。アラサーの転職活動は困難を極めるはずだ。時宜を見極めてほしい。

1時間ほど経過しても重い空気は続いていた。私が一番気になったのは、時々同僚さんが三輪さんに目配せをすることだ。三輪さんはそのたびに何か言いたそうにするのだが、ニヤニヤ笑っているだけで、特段意味のあることを言うわけでもない。同僚さんもなんか捉えどころのない感じだった。
私が実家暮らしであるということが話題に上がった。そこで三輪さんが意を決したように私に言った。
「実家暮らしで金があるんなら、物件買わない? いいのあるよ」
そのためだったのか。今日の忘年会の開催意図がはっきりした瞬間だった。会の最初から2人はそれをいうためだけに、タイミングを図っていたのだ。
そういうことだったのだ。友人知人から久しぶりに忘年会へのお誘いが来たら、疑ってかからなければならない。いや、久しぶりでなくても疑ってかかるべきだ。そもそも私みたいな酒が弱く社交性のない人間を忘年会に誘うという時点で、何か裏があると勘ぐるべきだったのだ。
爾来私は、忘年会、飲み会の類へのお誘いは極力お断りしようと心に決めた。