辞表を出して3週間経過

辞表を提出して3週間が過ぎた。
一度、局長から時間をとってみんなで打ち合わせをしようといわれた。抱えている仕事を何人かに配分するためだ。しかしその時以来、社長、局長とは一度も話していない。今月末で退職する予定だが、いまだに誰にも何も引き継いでいない。

長く続いた酷暑が終わった。もう少しで秋が訪れる。秋は好きな季節だ。夏の賑やかさ、冬の厳粛さ、春の陽気さとは違う情緒を感じさせる季節だ。今回は秋か、と私はひとりごちた。今回の会社では、秋が別れの季節になるようだ。

一般的には「春」こそが別れの季節だろう。日本においては3月が学校の卒業式であり、年度末であるからだ。しかし、いったん社会に出てしまえば、そのような区切りはあまり意味をなさない。会社社会に限って言えば、会社を辞めるタイミングは1年中いつでもある。会社や同僚との別れはいつの季節でもありうる。その意味で、別れの季節はその人個人個人で違ってくるのが普通だ。

私にとっては秋もまた別れの季節であるように感じる。
なぜ秋という季節が私の背中を押してくれるのだろう。秋という季節が私の自律神経を不安定にさせるのだろうか。夏の暑さにへばり、残暑によって最後の気力を踏みにじられるからだろうか。

春もやはり別れの季節であるように思われる。保育園、小学校、中学校、高校、大学と各年代で春に別れを経験する。毎年3月、4月に「区切り」を感じていた。1年かそれ以上同じ場所に所属していた人間と離れるというのは、やはり別れということになるのであろう。たとえ、仲の良い人間が一人もいなくても。
そして私の場合は最初の会社を4月に辞めたというのも、春を別れの季節と感じる一因になっているように思われる。私も世間のみんなと同じように4月に新スタートを切った。しかし数日後に私は一人リタイアを申し出て、社会から一時的に退場した。そのことが私の中で強く印象に残っている。出会ってすぐに別れた「同期」は今何をやっているのだろう。

そして夏も冬もまた別れの季節なのだ。私はいくつかの会社を夏に辞め、冬にも辞めた。
そう、つまりそういうことなのだ。
私はかつて会社を、春に辞め、夏に辞め、冬に辞めてきた。そして今回は秋に会社を辞める。すべての季節に私は職を辞しているのだ。もはや私にとってはすべての季節が別れの季節なのだ。いや、逆にいえば「別れの季節」などというものは私には存在しない。それは季節の問題ではないからだ。別れは、いつも私とともにあるのだ。

またしても私は、”本当に”就職戦線に飛び出そうとしている。しかし、今回は前回までとは情勢が違う。社会や経済といった外的な要因が違う。さらに、私の側にも大きな違いがある。私ももう28歳なのだ。三十路までもう少しだ。「三十にして立つ」にはそろそろ足場を固定する必要がある時期だ。ふらふらしている場合ではないのではなないか。
しかし、と思わないではいられない。
私だけは、「本当の職場」を探し続けなければならないのではないか。誰に要請されたわけでもないのだが、使命感を感じている。本当の職場は、すべてを超越した理想郷のはずだ。かつて私は会社を移ろい、町を彷徨って「本当の職場」を探し求めていた。会社の中、倉庫、電車の中、ファミレス、満喫、ハンバーガーショップ、図書館、公園、ハローワーク、映画館、路上で私は「本当の職場」を探した。すべての場所が「本当の職場」と言えないこともない。しかし、何か違うのだ。私は、今度こそは「本当の職場」を見つけなければならない。それはやはり私の使命なのだ。私はドンキホーテのように勇猛果敢に就職戦線に飛び込む。そこで無残な姿をさらすかも知れない。あるいはそれは笑えないところまで行ってしまうかもしれない。それはどうなるかわからない。
これが最後になると思う。私は、最後の「本当の職場」探しに出かけることにする。