始末書の書き方がわからない

目の前にいる老婆が喚いていた。
「あんたも始末書出しなさいよ!」「広告関係は全部あんたが担当でしょ!」「責任持ちなさいよ!」
富樫さんが掲載すべき広告を入れ忘れた。私や他の何人かの社員は、まさか彼女がそんなミスをしでかすとは思っていなかった。広告の「版」や請求額はチェックしていたのだが、掲載しなければならない広告を飛ばしてしまうとは。把握していたのは富樫さんただ一人だった。なのになぜか私まで責任を負わされる羽目になった。私は、あまりの理不尽さにはらわたが煮えくり返りそうになった。しかし次の瞬間、怒りとは別の感情がわいてきた。しばし当惑した。
いったい、「始末書」ってどう書くんだ。

私は、今までの社会人生活でただの一度も「始末書」を書いたことがない。始末書というのは、テレビやアニメの中だけのことだと思っていた。それが今、28歳にして始めて「始末書」を書く機会を得た。少し興奮した。シマツショという響きが耳に心地よかった。

私は富樫さんが書いた始末書を見せてもらった。当たり前だが、それは自筆で書かれていた。やはりパソコンで作成するわけにはいかないのか。これは私にとっては厄介なことだった。なぜなら私は、自他共に認めるほど字が汚い。面接時に、件の老婆(社長)から、あんた字が汚すぎるわよ。性格もさぞやテキトーなんでしょうね。と小言を言われた。また入社後も、あんたの字を見てると吐き気がしてくるわよと言われ、ナイーブな私はしばし傷心した。

そんな私が、激烈に汚い字で「始末書」を書いてしまったら、火に油を注ぐことになりかねない。私は、ありったけの知恵を絞った。考えに考えた。三日三晩、適度に睡眠をとって考えた。そして4日目に答えが出た。

提出しろと言われてもう4日が過ぎたけど社長は何も言ってこない、このままなかったことにしてもいいのでは?

始末書の提出を求められてから1週間が過ぎた。富樫さんは提出したようだが、私はいまだに提出していない。人生初の始末書の提出は、果たせなかった。しかしそれでよかったように思う。始末書の提出を求められたのにもかかわらず、それをなかったことにしたというのも、それはそれで貴重な経験といえるのではないか。明日以降、何かの拍子に始末書の未提出について咎められたら、私は始末書を出さなかったことについての始末書を書こうとするだろう、しかしおそらくそれも書かれることはないだろう。なぜなら、私は、始末書を書かなかったことに関する始末書、すらも書かなかったことに関する始末書を書こうとしている振りをしている自分を素敵な存在だと思うだろうからだ。始末書を書いてしまうというのはそんな素敵な自分を損なう、低劣な行為だ。私は決して始末書を書かない。それはアイデンティティにかかわる問題だ。
ただ、だれか達筆な人が代筆してくれるなら、それに押印する準備は、これはある。