私が私であるために、転職し続けなければならないのだ

5月1日から4日まで、友人2人と東北旅行に行ってきた。1日の土曜日は会社の引越しがあり、デスクやイスの搬入作業をした。夕方6時ごろにはタイムカードを打ち、7時過ぎには帰宅した。シャワーを浴び、衣類や洗面用品、眼鏡、携帯電話の充電器など、必要最低限のものをかき集めてバッグに入れた。8時半に家を出て約束していた友人と飲み会を行った。11時にその友人と別れ、旅行に行く別の友人と合流した。仙台、松島、宇都宮などを回った。旅先では、計3回も牛タンを食べた。宇都宮の餃子はあまり美味しくなかった。往路、復路ともに交通渋滞にはまった。旅行中はずっと睡眠不足だった。特に、2日の朝6時に松島に到着したときは激烈な睡魔に襲われていた。遊覧船に乗っている間、ほぼずっと眠ってしまった。仙台の駅前は予想以上に開けており、横浜在住の私たちは小さな敗北感を感じた。「太助」という店で、友人一押しの牛タンシチューを頼もうとしたが少し前にメニューから外れてしまったらしく、残念ながら食べることができなかった。
4日の深夜0時過ぎに帰宅した。1時過ぎには床に入り、泥のように眠った。翌朝起床するとわずかながら疲労を感じた。悪くない疲労感だ。いつもの疲労感とは違う。私はいつも連休を無為に過ごす。基本的に何もしない。何もしなかった連休明けほど心身ともに疲れているものだ。
今日は、朝起きてゆっくりと朝食を摂り、その後部屋の掃除をした。スーツをクリーニングに出しに行った以外は外出しなかった。自宅で、1日リフレッシュし明日に備えようと決めていたのだ。
思えば、昨年のゴールデンウィークは散々だった。年初から始まったエアー出社で心身ともにかなり消耗した。3月の中ごろまではなんとか勤め上げた。しかし流石に経済的にも精神的にも耐えられなくなった。そして不本意ながら退職した。幸い、架空の会社を退職しただけだったため、経歴に傷が付くことはなかった。その3ヶ月間を振り返ったときに感じる自分に対する失望感は生涯忘れることはないだろう。しかし何はともあれ、自宅に退却することができた。その後は自宅に腰を落ち着けて就職活動を行った。4月から5月にかけては無職仲間と一緒に卓球をしたり、飲み会を開いたりした。そしてゴールデンウェイーク中に横浜で開催されていた卓球の世界選手権を観戦したりもした。卓球の観戦自体は面白かった。生観戦は初めてだった。福原選手や石川選手、中国の強豪選手のプレイは生で観られてよかったと思う。
しかし、私(たち)は無職だった。無職には大型連休などはいらない。いうなれば、毎日が休みみたいなものなのだ。ゴールデンウィークほど気分を滅入らせる時期はない。
そんな去年の今頃に比べれば、現在の状況はパラダイスみたいなものだ。旅行に行った。うまい飯も食べたのだ。そして何よりも、職業がある。私は無職ではない。仕事があるのだ。それ以外、何を求めるというのか。
世の中はまだまだ就職難だ。去年一年間就職活動をして、散々苦しい思いをした。応募した求人は300を超えた。年齢、職歴、求人数の低下などが理由で、面接にたどりつくのも一苦労だった。それまで経験したことがないほど過酷な就職活動だった。
今、就職戦線に出るのは自殺行為だ。かすり傷では済まされないだろう。致命傷を負う可能性が極めて高い。それぐらい誰にだってわかる。今、転職するのは無謀だ・・・・。
それなのに、私はなぜまたリクナビネクストを利用しているのだろう。なぜマイナビで求人検索をしているのだろう。
なんてことだ。どうやら私は本気で就職活動を再開したようだ。いったい何回目の就職活動だ・・・・5回目? 6回目?・・・。
今、確信した。私は真の転職家なのだ。戦場の緊張感を忘れられないベトナム帰還兵のように、私は就職戦線に舞い戻ることになりそうだ。これまでよりもさらにタフな戦いになるだろう。深手を負うかもない。失うものは甚大だ。そのことがわかっていても私は行くだろう。
幸いにも、前回の就職活動で使用していたリクナビネクスト、マイナビ転職のアカウントがいきていた。「退会」していなかったので当たり前といえば当たり前の話なのだが。まずは職歴を盛大に書き換えるなど、対策を練ろう。そして週末から本腰を入れて活動を開始しよう。
私が私であるために、転職し続けなければならないのだ。