1冊目・『反貧困』―「すべり台社会」からの脱出(湯浅誠著、岩波新

藤吉君に薦められたので読んだ。素晴らしい本だった。
僕は、湯浅氏を全面的に支持する。湯浅氏のやっていること、言っていることは全部正しいとあえて言いたい。もし湯浅氏とお近づきになれるのならば、私財をなげうってでも友達になりたい。そしてもし対面出来たら、「まこっちゃんおめぇまじすげぇよがんばれよ今後も応援するよ」って言って抱きしめてあげたい。

湯浅氏によれば、現在の日本社会はセーフティネットが機能していないという。セーフティネットは通常三層構造を持っている。すなわち、雇用、社会保険、生活扶助である。これがことごとく機能不全を起こしているという。
雇い止め、派遣切り、ワーキングプアネットカフェ難民の増加。雇用情勢は年々悪くなっている。職がない、あっても労働環境が劣悪、食べていくのがやっと、貯金など到底できないのでもし失職してしまったらその日から路頭に迷う。貧困は、年齢、学歴、性別、世代を超えて様々な人たちを襲っている。政府はそれをないことにしている。あるいは、「自己責任」といって断罪する。小泉(元首相)・竹中(現パソナ会長)構造改革派の人たちが規制緩和を推進し格差が拡大したという議論を聞く。竹中氏は「格差は拡大していない。むしろ縮小している。経済白書を読めばわかる」と主張する。データ上、格差が拡大したかどうかなど問題ではない。経済白書なんて誰も読むわけがない。格差、拡大したかなぁ〜みたいな感じがするなら、それは拡大したのだ。その辺は、感覚的で良い。OK、格差は拡大した。格差は、間違った規制緩和と日銀の中途半端な金融政策による経済不況が原因だ、異論は認めない。異論のある人は、経済学者の岩田氏に言ってくれ。僕が読んだ岩田氏の著作にはそう書いてあった。少なくとも僕はそう読み取ったし、そう誤読した。それが結論だ。財界が、労働者派遣の規制緩和を求め、それが実行された。その時、労働者側の就業条件や権利がないがしろにされた。それが、現在の非正規雇用者の困窮につながっている。これが雇用ネットの崩壊だ。
多くの低所得者は、国保に加入できなかったり国民年金が未納だったりする。また、日雇い派遣者などは雇用保険に未加入の場合が多いので、失業保険も受給できない。これが、社会保険ネットの崩壊だ。
生活扶助の崩壊は、役所の「水際作戦」などで、最後のセーフティネットである生活保護すら受けられないといった事態を指す。
貧困は、自助努力が足りないわけではない。彼らが貧困に追い込まれるのには、5つの排除構造があるからだとまこっちゃんは言う。すなわち、「教育課程からの排除」「企業福祉からの排除」「家族福祉からの排除」「公的福祉からの排除」「自分自身からの排除」である。
詳しくは、同書をブックオフなどで購入して各自読んでくれ。貧困に興味がない人たちにこれ以上何を言っても無駄だ。これを読んでいる今もきっと鼻毛を抜きながら放屁するなどしているに違いない。貧困は、いつも「再発見」されるものだと誰かが言っていた。いつも身近にあるのにもかかわらず、だ。いつの時代にも存在する「貧困」なのに、それを見て見ぬふりをする人たちがいる。再発見することもしない人たちが、社会の「底下げ」に加担している。自分は正社員で働いているし高等教育も受けたし友達もたくさんいるし、今、まじ充実してるから世の中のことなんてしらないみたいに思ってる馬のような人たちにまこっちゃんの念仏は届かない。そんな奴は、鼻毛を抜きながら放屁してケツ毛を抜いているような下品な人間なんだ。貧困など存在しないと言っているようなものだ。貧困を肯定しているようなものではないか。下劣な。それはあまりにも無慈悲過ぎやしないか。
そう、まるであの日の僕のように…。

半月前のことだ。その日僕はアルバイトでハムの箱詰めをしていた。お歳暮向けの商品を梱包・箱詰めする短期間バイトだ。その現場は、正社員と直バイトと派遣が働いていた。僕は直バイトだった。
派遣で働いている人に、喜多野さんと言う人がいた。年齢は40代前半ぐらいにみえた。いつもうっすら無精髭を生やしていた。その髭が白かったのでもしかしたら50歳ぐらいなのかもしれないが、僕は人の年齢を言い当てるのが苦手なので実際の年齢はわからない。僕はその人ともう一人派遣で勤めていた田中さんと割と仲が良かった。田中さんは40歳ぐらいだったと思う。1カ月間、彼らと一緒に昼食を食べ、一緒に駅まで歩いた。最終的には「高級寿司食べたいね」など夢を語りあうような仲にまでなった。

その日僕は、箱を閉める仕事をしていた。箱を閉める仕事とは文字通り箱を閉める仕事だ。箱を閉める仕事とは文字通り箱を閉める仕事だというのはまさにその通り箱を閉める仕事なのだ。箱を、閉めるだけ。最初の人が箱にハムを入れ、隣の人が保冷剤を入れ次の人が箱を閉める。この時は喜多野さんが保冷剤を入れる係だった。ハムを入れるのも保冷剤を入れるのも箱を閉めるのも、全部楽な仕事だ。誰だってできる。ミスなど起こりようがないように思うけど、不思議なことにたまにミスが発生する。肉を入れ忘れることはない。なぜなら隣の人にフタの開いた空箱を流すことなどありえないからだ。箱を閉め忘れることもない。なぜなら出来上がった箱は10段積みぐらいに積み上げるから、フタの開いた箱があったらすぐに気がつくからだ。保冷剤を入れ忘れることは時々ある。この時も、1つだけ保冷剤を入れ忘れた商品がラインを流れた。出荷する前の台車に積む段階で社員の人が、重さで気がついた。中を開けて怒鳴った。「保冷剤入ってねーぞ、コラ」。一瞬私たち三人の手が止まった。三人のうちラインの一番川下にいる私が、社員のところに行き社員に頭を下げ、保冷剤の入っていない商品を受け取って定位置に戻った。喜多野さんは何事もなかったかのように保冷剤を1つとりだし、その箱に入れて、また次の箱に保冷剤を入れる仕事に戻った。僕はその態度にちょっと気分を害した。「ごめん」の一言ぐらい言ってほしいものだ。これじゃあまるで謝りに行った僕が全部悪いみたいじゃないか。実際社員の人も僕が保冷材を入れる係だと思っていたようだ。謝らないまでも、「俺が入れ忘れたね」ぐらいのことを言ってもいいじゃないか。変な言い方だが、喜多野さんの行為は堂に入っていた。きっと自分が何かミスっても知らんぷりで、周りの人間に自分に落ち度があるように見られない所作を、長年の経験で培ってきたのだ。ふてえ野郎だと思った。実は僕は、喜多野さんが自分のミスを詫びず、他人事のように振舞うのを数日前にも見ていた。その時からこの人は、なんてセコイ奴なんだとひそかに見下していた。ずるいし、髭白いし。なんか風呂に入っていないような臭いもするし。
そんなことがありながらも、昼飯はだいたい喜多野さんと田中さんの3人で食べた。ただ僕はなんとなく喜多野さんのことを見下すような目で見ていた。
ある日、喜多野さんが公休日で休んだ。昼食は田中さんと2人で食べた。その席で、喜多野さんの話題になった。喜多野さんの80歳になるお母さんは今、雪国で一人暮らしをしているということ、喜多野さんは派遣で稼いだ給料の一部をお母さんに仕送りしていること、年末年始は郷里に帰り2人で過ごす予定であることなどを聞いた。僕はその話を聞いてもうなんだかなぁって思った。なんだかなぁ。もうなんだかなぁってなった。
派遣の人は基本的に立場が弱い。使えないと思われたら、他の人にチェンジさせられることがある。その派遣会社から派遣されている全員が総とっかえさせられる時もある。非常に立場の弱い人たちだ。だから必然的に、ミスらないように慎重になる。ミスが露見しないようにするかもしれない。小さなミスで、別にそんな大事じゃなければスルーしようとするかもしれない。そのように考えるのも仕方ない、気がする。
喜多野さんは日雇い派遣で経済的に不安定な立場にいるのに、その上郷里の高齢の母親に仕送りをしている。なんだかなぁ。
この一年、僕は日雇い派遣の仕事を何回もした。何人かの人と知り合いになった。色々な人がいた。実家暮らしで安穏としている人、他に正業がある人、就職活動中の人、ずっと日雇い派遣で働いている人、フィリピン人の妻に働かせて自分は小遣い稼ぎのために日雇い派遣をする人、資格を取るために勉強している人、資格を取るために勉強していると言っているのに全然勉強しないでクラブ通いしている人、なんとなく日雇い派遣をしてどうにもならなくなったからそろそろ郷里に帰ろうと考え始めていた人。その人たちは完全な貧困者ではなかったと思う。少なくとも居所はあったし、週5回日雇い派遣に入ることはできていた。ただ低所得者ではあった(僕も含めて)。そして、「すべり台」に座ってしまい、余儀なく下降していってしまっている人たちが大半だったように思う(…)。
僕は貧困の兆しを再発見したように感じた。それは『反貧困』を読むまでもなく、日雇い派遣で働いていた時に再発見し、先月ハムを詰めている時に再発見した。
僕は、友人や知人に言いたい。「貧困」を再発見してくれと。貧困はそこかしこに存在する。いつか気が付いたら「すべり台」の上に立っているということにもなりかねない。そうならないために、僕たちがすべきことは、「すべり台」に乗らないように注意深くなるということではない。「すべり台」を取っ払うことが肝要だ。誰ひとり「すべり台」に上らせない社会の構築だ。これは、まこっちゃんたちが今懸命にやっている。僕もできることはする。
これから僕は、友人・知人らがどれだけ他者(特に貧困者)を発見できているかという点を、彼らの評価基準にしたい。別に「貧困」でなくてもいい。友人がもし金欠ならば、酒をおごったり、映画をおごったり、図書カードをあげたりして、援助してあげたらいいと思う。もちろん現金でもよい。
特に僕は今、1年間のフリーター生活を終えて、極度の金欠状態にある。もし今度僕に会うことがあったら、そっとお年玉を手渡すぐらいの気前の良さを見せてほしい。
僕はその行動を見て、友人・知人の精神的貧困度を測りたいと思う。