忘年会

出版社の忘年会には、社員14,5名と取引先の印刷業者が2人、そして私が参加した。
上座に取引先の人間が座り、その隣に社長が座った。彼らの向かいに局長と2010年1月4日に入社する予定のスペシャルゲスト、すなわちこの私が座った。

酒宴が開かれた小料理屋は私たちの貸し切りだった。上座に私たち5人が座り、下座には若手社員や社長の親戚らしき人たちが座った。このことから私がどれだけ重要な立場にいるかわかるだろう。

会の冒頭で局長に促され、皆の前で挨拶を行った。面接担当だった社長と局長以外の人間とはこの日が初対面だ。晴れがましい思いで名前と短い意気込みを述べ、温かい拍手をもらった。毎度のことだがこの瞬間は心地よい緊張感を感じる。そして、こうも思う。
私は本当に祝福されているな、と。

思い起こせば、ここ数年は様々な人間に祝福され、歓迎されてきた。一昨年の末は、当時勤めていた会社の先輩たちに送別会を開いてもらった。その5 か月前には、同じメンバーに歓迎会も開いてもらった。その会社には5か月しか在籍しなかった。短期間のうちに私のために2回も会合を開いてもらった。この人たちはなぜこんなにも私を祝福したいのだろう、と少し不思議に思った記憶がある。私に対して言いようのない好意を寄せていたのかもしれない。

その会社に入社する前にはアルバイトとして2か月間、築地にある出版社で働いた。その出版社は、社員や準社員が土曜日、日曜日も出社するようなところだった。私が入社した当初、従業員全員が仕事に忙殺されているためか歓迎会が催されることはなかった。当時は私のような要人が入社したのになぜこの人たちは私を祝福しないのだろうかといぶかしく思った記憶がある。入社して1ヵ月半後ぐらいに、ようやく私の入社歓迎会を開くという回覧板が回ってきた。私はそれを見て、「今更?」と思った。入社してもう数十日が経過している。それなのにこのタイミングで歓迎会などを開かれても決まりが悪いだけではないか。私は憤激した。私の存在もずいぶん軽んじられたものだ。歓迎会は、入社後間髪入れずに開かれるものだ。それが新入社員に対する礼儀だ。私はその回覧板を閲覧した数日後、所属部署のマネジャーに辞職する旨を伝えた。もともと腰掛で短期間働くだけといった腹積もりであった。在籍期間、2カ月弱。歓迎会などには参加したくないし、頃合いだ。
しかしマネジャーと話した数日後、事態は悪い方に転がった。私の退社で立ち消えになるかと思われた「歓迎会」が、「送別会」に装いを変えて開催されるらしいことをマネジャーの口から聞いた。これには心底驚いた。新たに向かい入れようと祝宴を開こうとしていたその同じ人に対して、今度は別の場所に旅立つからと言って見送りの会合を開くという。まるで節操がないではないか。歓迎しようとしていた矢先に送別しなければならなくなった出席者もかわいそうだが、自分のために歓迎会を開いてくれるとわかった矢先に退社を申し出た主役である私の気持ちも考えてもらいたい。居心地悪いことこの上ないではないか。
幸いなことに、会合の開催日は平日で通常業務があったため、「送別会」の参加者は少数に絞られた。歓迎会に参加したくないから退社したのにも関わらず(理由はそれだけではないが)、送別会に参加しなくてはならなくなってしまったことは誤算だったが、この会社でも人の親切心に与れた。まさか彼らがこれほどまでに私を祝福したいのかと少し心が引きかけたが、皆が私の門出を祝いたいという気持ちはわからないでもない。

実はこのアルバイトで勤めた会社に入社する数ヶ月前、時期としては2008年の初頭だが、調査会社に入社し2カ月で辞めていた。そこでもやはり歓迎会が開かれ、入社を喜ばれた記憶がある。そう考えると、2008年は様々な人が私のことを祝っていたように思う。

そして2009年末、私はついに念願の「就職」を手に入れた。そして入社前に、「顔見せ」として冒頭に述べた忘年会に参加した。しかしゲストとして遇されたのは酒宴が始まってほんの数分までのことだった。酒宴が始まって30分が経過した頃、私は決心した。
「この会社には絶対に入社しない」


「あんた、なんで就業時間なんてくだらないこと聞いてるのよ」と私の対面に座っている女社長が語気を強めた口吻で言った。私は最初なぜ怒られているのか理解できなかった。少しして解った。目の前の、老婆といってもいいような女社長は、数日前に私がした電話の内容のことを言っているのだ。その電話は、忘年会の開始時間を聞くために掛けたものだったが、他に2、3点就業条件等について確認したいことがあったからその時にまとめて聞いた。就業時はスーツかカジュアルな服装か、就業時間は何時から何時までか、土日は休業なのかなどだ。本来ならそのようなことは求人広告を見ればわかる。求人広告に書いてあることを面接時に再確認するのが普通だろう。しかし、特殊な事情により私の手元にはこの会社の求人情報がなかったのだ。
この会社に応募したのは今年の夏ぐらいだった。応募してから4,5カ月間全くのなしのつぶてだった。それが、12月の初旬に突然先方から携帯電話に連絡が入った。応募してから一度も連絡が来なかったため、自分が応募したことさえも忘れていた。聞くところによると、数か月前に求人募集したときに採用した女性が、試用期間をもって退職するという。そのため、欠員補充をするので以前応募してもらった中から数人をピックアップして面接をする。就いては私に面接に出向いてもらいたいというものだった。私は二つ返事で面接に行く意思を伝えた。私はその日、帰宅してすぐにPCに向かった。その会社の社名や業種についてはぼんやりと覚えているのだが、その他のことについてはほとんど何も覚えていなかった。どうやって応募したのかさえ記憶がなかった。リクナビネクスト、マイナビ転職、エンジャパン、ハローワーク、朝日求人等の応募履歴を調べた。すぐに、この会社に応募した時の送信履歴を見つけた。リクナビネクストだった。しかし応募したサイトがリクナビネクストであったことが不運であった。リクナビネクストは他の多くのサイトと違って、求人広告の掲載期限が過ぎるとその内容が閲覧できなくなる。そのため、この会社の求人情報(給与、就業時間、手当、応募条件、仕事内容など)を入手できなかった。面接では、給与や手当面などについては聞いたが、始業時間などの基本的過ぎる質問をする時間がなかった。そのため、電話で質問せざるを得なかったのだ(もちろん、忘年会の席で質問してもよかったのだが)。
その質問が、女社長と局長の癇に障ったようだ。
「定時が9時から18時だとして18時に帰れる思ってるの?あんたなんて深夜まで働きなさいよ。土曜日なんてないわよ。月火水木金金金月よ。甘いわよ。ここにいる印刷屋さんなんて寝ずに原稿を待ってるのよ。あんたが夜通し働かないでどうするのよ。ねえ、わかってるの?」
話の最後に「ねえ、わかってるの?」と難詰するのが女社長の口癖らしかった。
言っていることは理解できた。要するに、ツベコベ言わずに血を吐くまで働けということだ。もちろん、サービス残業で。
この考え方は中小零細企業では当たり前のものだろう。だからそんな暴論を聞いても特に驚きはしなかった。私が驚いたのは別のことだ。
取引相手がいるところで、社員を酷使するのが当たり前だというような非道な本音を述べるべきじゃない(印刷会社の人たちはひたすら苦笑していた)。出版社では普通かもしれないがそんな本音は身内だけに話せばよい。
もう一つ、驚いたことがある。それは、「まだ入社してないのになぜこの人たちは、こんなにもぶちまけた話をしてるんだろう」ということだ。
これは、まだ入社してないのにそんなことを言われる筋合いはないといった意味もあるが、私が不思議に思ったのは、企業の上役は、うちの会社はこんなに素晴らしいのだと「建前」を述べ連ねるのが普通なのに彼女は、経営者としての(歪んだ)考え方を生真面目に開陳している。そんなこと言ったら誰も入社しないだろう、と思われるとは考えないのだろうか。
酒宴は終始、この女社長が私に絡むスタイルで進行した。出版業などは片手間でやれ、会社が持っている畑にある大根を掘れ、畑にまく農作物を考えろ、印刷業者の社長令嬢と政略結婚しろなど。かなり閉口させられたが、あらかじめ予測できた事態ではあった。というのも、数週間前に行われた面接においても、この社長はこのキャラで私の面接を行ったからだ。その時もずいぶん厄介な思いをさせられた。しかし、その時は、同席した局長がこの灰汁の強い老婆を上手くいさめる役を買って出てくれたおかげで私はその面接をどうにかうっちゃることが出来た。しかしこの忘年会での局長の役回りは面接時のものとは違った。
女社長以上に私に絡んできたのだ。
局長はアルコールが強いらしく、ずいぶんいいペースでビールのジョッキを空けていた。とても上機嫌そうに見えた。そんな局長の口癖は、「こいつ、明日から来ねえわ」だった。
もちろん、ここでいう「こいつ」とは私のことだ。
女社長が印刷業者に、以前いた新入社員は入社初日に昼飯食って帰ってそのまま来なくなった、入社2日目で来なくなった奴がいたなどと得意げに喋っていた。それを聞かされた印刷会社の2人はどのようにリアクションをとっていいものかわからずただひたすら半笑いしていた。そして局長がその話を引き取り、私に向かって「あ、こいつも今やばいと思ったな。明日から来ねえわ」と言った。また、私となぜか印刷会社の社員(2人いるうちの若い方)に対して、秋になったら会社が所有している畑に大根を掘りに行けと命じ、収穫物は即売してこいと意味不明なことを口走っていた。私は、相当辟易した。それが表情にも出ていたのだろう。そのたびに、局長は私に向かって、「あ、こいつ明日から来ないわ」と決め台詞を言った。
もちろん、この「明日から来ないわ」というのは一種のギャグとして捉えることが出来る。局長と社長(ともちろん他の社員や取引先の人たちも含めてすべての人たち)は、この会社が十分におかしいことを自覚している。だからそれをネタにすることで「ヤバイ会社」を茶化しているともいえる。入社前にすべてをさらけ出す、というスタンスなのかもしれない。入社予定の人間としてはある意味でいいものを見せてもらったといえるかもしれない。しかし、酒席でターゲットにされた私の心境は穏やかではいられなかった。ことあるごとに、「俺、まだ入社してないよ?」と心の中でつぶやいた。「主賓」として招かれたものとばかり思っていたところに、このような仕打ちを受けた私は、心底絶望していた。なぜ、私はこのような狂人たちの酒宴に参加してしまったのだろう。私は本当にこんな会社に入社するのだろうか。この社長と局長が牛耳る会社でやっていけるのだろうか。他の社員はやっていけているのだろうか。周りを見回すと、私たちの卓以外はおおむね楽しそうに酒を飲んでいた。若手中心の卓は、笑い声で溢れていた(一度、若手社員がコーラを注文した時、「コーラは骨が溶けるから止めなさい! ねえ、わかってるの?ねえ?」と女社長が恫喝した時は場が一気に白けた)。
私は、完全に意気消沈していた。この時点で私は、この会社に入社することはないだろうという結論に達していた。入社初日、2日目に退職した人間がいるのなら、私はその人たちの上を行ってやろう。入社前の忘年会で、辞めた男。−1日目に辞めた男。私らしくていいではないか。伝説。幕が上がらないうちに終演のベルを鳴らす、みたいな。レジェンド。
酒席は終盤戦に入っていた。社長、局長に加え、得意先の2人も良い感じに出来上がっていた。社長が「ねえ、わかってるの?」というセリフを吐き、局長が「こいつ来ねえわ」と言い放ち、得意先の2人が苦笑する。そういう光景が数回続いた。私は、もうどうでもよくなっていた。私は、あるタイミングでふと、会の間中ずっと我慢していたことを口に出してみた。
「1月4日、来ないかもしれないです」
私の読みでは、局長か印刷会社のベテラン社員の方が軽い突っ込みを入れ、その場に小さな笑いが生まれるものと思っていた。しかし実際には誰ひとりとして、私のギャグとも本音ともつかない呟きをフォローしてくれなかった。場が一瞬凍りついた後、局長が乾いた笑声を洩らした。おそらくその場にいたすべての人間が、「あ、こいつマジで来ないつもりだ」と思ったことだろう。

それにしても、私はなぜこうも歓迎されていないのだろう。ゲスト出演でなかったのか。今日は忘年会であり新入社員歓迎会でもあったのではないか。私はしばし当惑した。そしてあの日のことを思い出した。
よく考えたら、面接時からして私は別にそんなに歓迎されていたわけではなかった。
12月の初旬に突然電話を受けた数日後、私はこの会社の面接を受けに事務所まで行った。そしてその日もやはり、今日と同じように冷遇され虐げられた。


面接を担当したのは社長と局長だった。社長の書斎のような場所でしばらく待たされた(会社はマンションの一室にある)。しばらくして局長が入室してきた。お互い簡単な自己紹介をした。雑談をして社長を待った。5分ほどしてから社長が来た。インフルエンザ予防のためかマスクをかけていた。着座するなり、私の方を見て言った。「あんた履歴書の字が汚過ぎるわよ」「なんであんたこんなに転職回数多いのよ、ねえ?」「気に入らないことがあるとすぐ辞めるんでしょ?ねえ?」「甘いわよ、勤めるのが嫌なら会社でも設立しなさいよ」。私は少しげんなりした。そして、やれやれこの手のタイプかと観念した。私ほどの転職マスターは、様々な面接官のタイプを経験してきている。教科書通りに対応する面接官、虚勢を張る面接官、尊大な面接官、フランクすぎる面接官、面接慣れしていない面接官。様々なタイプがいる。そして、目の前にいるのは、説教する面接官だ。このような面接官に当たった場合、じたばたしてもしかたがない。もし、その会社に入りたければ(というか入りたいから面接に来たのだろうが)、じっと我慢して殊勝な顔つきで説教を聞くのが良い。彼らは若者に対して、労働観、人生訓、死生観(!?)などを講釈したいだけなのだ。うなずき、謝っていればそれでいい。真剣な顔とニヤケ顔を交互にするなどメリハリをつけるのも有効だ。ニヤニヤしながら話を聞くのは、私の十八番だ。60を過ぎているであろうその女社長は、なぜ前職を辞めたのか、たび重なる転職はなにが問題なのか、原因を自覚しているのかなど立て続けに質問してきた。私は、例によってしどろもどろになりながら応えた。そして案の定、女社長は納得のいかない表情をしていた。そのようなやり取りに対して、社長の隣に座っていた局長が、私の立場を気遣うようにフォローを入れてくれた。それでだいぶ救われた。しかし女社長の質問攻めは想定の範囲を超えるようなものばかりだった。両親の職業、支持政党、信仰している宗教、共産党・日教組・労組についてどう思うかなど今までの面接では決してされないようなものばかりだった。さらに、自分が入信している宗教団体に入る気はないかなどと言ってくる始末だ。常識的に言って企業の採用面接でするべきではない質問ばかりだった。私は、早い段階で集中力が切れた。おかしな質問ばかりで、私が何か言えば説教されるといった八方塞がりの状態だった。そのような状況ではまともなやり取りなど出来るはずがない。返答が適当になるのも必定だ。面接はグダグダになった。かつて、このような面接を何回か経験したことがある。お互いに採用しないし採用されたくもないみたいな空気が部屋中に充満する。しかし、形式的に数十分間は「面接ごっこ」を続ける。完全なる不毛。私はこの日、アルバイトを休んで面接に出向いたのだ。アルバイトをしていたら稼いでいたであろう10000円と会社までの交通費往復1000円の計 11000円が損失だ。無職の身としては非常に痛い。私は、面接の落とし所、つまり面接を終わらせるように仕向けようとした(私ほどの面接マスターは、自ら面接を終わらすように場をコントロールすることが出来る)。私は、絶妙のタイミングで、「なるほど、わかりました」と強引に締めくくりの言葉をはさみこんだ。この言葉を発することで、何がわかったのかはわからないが場を散会させることが出来る、場合がある。今回は上手くいった。面接の空気が緩やかに終了モードに移り変わった。そして、女社長が言った。
「それで、いつから来れるのよ?」
私は、唖然とした。この流れで、採用なのか。この女社長、アレか、俗に言う、ツンデレなのか? 私はニヤニヤ顔で壁に掛けてあるカレンダーを眺め、「いや〜、年明けですかね〜」と言った。それを聞いた局長が「じゃあ、26日にある忘年会に遊びにおいでよ。働き始めは年明けからでいいからさ」と言った。


2次会の会場まではタクシーで向かった。同乗したのは、若手社員・富樫さん(女、24歳)、印刷会社社員・浜さん(男、40代)、同・川島さん(男、22 歳)。会場の場所を知っている富樫さんがナビゲーター役として助手席に座った。忘年会でビールをかなり飲んでいた浜さんは上機嫌に川島さんとじゃれあっていた。2人は会社の上司と部下と言うよりも学校の同級生みたいな間柄だった。浜さんが何か面白いことを言い、それに対して川島さんが突っ込む。そして、怒ったふりをしながら浜さんが川島さんの腋の下をくすぐる。キモイ関係と言えなくもないかもしれない。しかし私は彼らのじゃれあいを目の端で捉えながら、羨ましいなと思っていた。私が入社しようとしている会社では、上司と部下はそんなフランクな関係は構築し得ないだろう。おそらく緊張を孕んだ関係になるはずだ。私は途方に暮れながら窓外を眺めていた。ぼんやりしていると突然、隣に座っている川島さんが私の耳元で呟いた。
「マジ、きついと思いますよ」
おそらく私が勤める予定の会社について言っているのだろう。彼自身、忘年会の席上、取引先の人間であるのにもかかわらず、ずいぶんと社長や局長にいじられていた。私たちの間には年齢の近さや立場の弱さと言った共通点があり、そこに連帯感のようなものが芽生えつつあった。彼のような若者の言葉は聞くに値する。彼らは、本音しか喋れない。ヤバイものはヤバイと素直に言う。逆に海千山千のベテラン社員は黙して語らないか、「まあ色々あるわな」みたいなぼんやりとしたことをいう。
タクシーを降りて川島さんと並んで歩いている時、彼は先程車内で言った言葉を繰り返した。「マジで、きついですよ」
私は彼の眼を覗き、その真意を読み取ろうとした。「まだ間に合う。他の会社に行け」と言っているような気がした。
2次会が開かれるスナックに着くまでに川島さんはもう一度同じフレーズを言った。「マジ、きついですよ」
私は、そのセリフ三回目ですよと言って笑った。川島さんは、「いやマジでマジで」と真顔で言った。私は、「こりゃマジだ」と思った。私は、「1月 4日に辞表を持って出社します」と冗談を言った。2メートル前を歩く富樫さんがそれを聞いて、「え?」というリアクションをした。

2次会の会場は、小奇麗なスナックだった。
最初に、社長が挨拶し、その後印刷会社の浜さんが乾杯の挨拶を行った。乾杯が終わると、皆が順々にカラオケを歌いだした。壊れかけのradio、なごり雪、浪漫飛行、バスストップ、なんかよくわからない歌、津軽海峡冬景色、なんかよくわからないワルツ…。当然、私にもマイクが向けられた。悪乗りした局長が、君が代歌えよと言ってきたが私はこれを無視した。私は内心で、「あんたたちに関わることは金輪際ありません」と思っていた。だから、空気が悪くなろうがお構いなしにカラオケを歌うのを拒否し続けた(というかそもそも私にはカラオケを歌う習慣がない)。
2次会の途中、隣に座った50過ぎの社員のおじさんが、「この会社変でしょう(笑)」「でも社員はみんないい奴ばかりだよ」「社風って重要だよね」「勉強の期間だと思ってやってみればいいよ」「若いんだし、色々経験するのもいいかもね」と私を気遣うようなことを言ってくれたので私は心の中で滂沱の涙を流した。そして、心の中で「ありがとう優しいおじさん、そしてさようなら」と言った。2次会が始まって40分ぐらい経ったところで限界が来た。唐突に、「帰ろう」と思った。どうせ、この会社には入社しない。何を気にしているのだ。盛り上がっているところで急に帰宅するのは、私の得意技ではないか。私は席を立ち、社長に先に帰宅する旨を伝えた。すると、先程まで狂人のようなダンスを踊っていた女社長は、急にまじめな顔になって、私に「…大丈夫?」と言ってきた。私は、それをスルーし、「えぇ…」とはかなげに応えた。隣にいた局長にも、「ではこれで」と別れの挨拶をした。すると局長も真顔で、「1月4 日、来てくれるんだな?」と言った。私は、「えぇ…」と生返事をした。彼らの変貌ぶりが、おかしかった。おそらく、自分たちが羽目を外し過ぎたことに今更ながら気がついたのだろう。2次会中、私が抜け殻のようになって悄然としていたのを見ていたのかもしれない。
私は、数人の人間に先に辞することに対する非礼を詫び、コートとカバンをとって逃げるようにエレベーターの方に向かった。すると、先程会場までタクシーで同乗した富樫さんが下まで送ると言ってついてきた。気配り屋なのだろう。彼女は弁解するようにこう言った。「こういう会社なんです」と。「そうみたいですね」と私は答えた。下まで見送る必要はないと彼女を制し、エレベーターに乗り込んだ。彼女は、「では」と言って一瞬言葉が詰まった。私は、その気持ちがわかった。「では、1月4日に」。この人は、1月4日に本当に出社するのだろうか、そのように疑問に思ったに違いない。私はこの時点で、もうこの会社に関わることはないだろうと思っていたし、この人たちにももう会うことはないだろうと思っていた。だから、「では、来年」とは言わず、「では、さようなら」と言った。
帰りの電車では、私は今日の会合を思い出していた。今日の会合は、歓迎会ではなかったのだ。ただの忘年会だったのだ。だとすれば、今日という日はまさに2009年を洗いざらい忘れ去るための日なのだ。この会社に応募したこと、面接を受けたこと、会合に出席したこと、罵倒されたこと、いじり倒されたこと、2次会から遁走したこと、1月4日に入社しようとしたこと、すべてを忘却しよう、なかったことにしよう。
私は、また最初から就職活動をし直そうと決心した。