『逆に社会人②』 私こそが…

先日、若者向け就職支援サービスを受けた折、改めて自分の職歴の棚卸をした。デスクの上に広げられた履歴書を見て、私は思わず絶句した。いったい、私は今まで何をしてきたのだ…。なんと中途半端な人生を…。大学を卒業して社会に出て以来しっかりと働いてきたことなどあっただろうか。胸を張ってこれをやってきたと言えるようなことは絶無なのではないか…。
IT、出版、リサーチ、卸。
一貫性のない職歴だ。IT企業には5日間しか出社していない。入社前研修は述べ20日間ぐらい受講した。社会人として働いた日数より研修期間のほうが長い。研修ですでに燃え尽きていた感じだ。この会社で学んだことは皆無に近い。入社前に学んだC言語はすべて忘れた。というか研修期間中もほぼ習得できなかった。新卒社員が身につけるべきビジネスマナーもここでは身に着けられなかったように思う。何しろたった5日間の社会人生活だ。同期入社の人たちの名前すら覚える間もなかった。まして電話の応対や名刺交換、先輩社員との付き合い方、上司への酒の酌み方など覚えられるはずもない。覚えたことと言えば「退職届」の書き方ぐらいだ。

2社目以降も、事情は似たようなものだ。2社目の出版社は勤続2年と、私にとってはやや長い期間勤めることになった。しかし入社3カ月目で先輩社員が辞めて以降は、正社員が“ほぼ”自分だけという環境の中で働いた。その結果、編集、取材、営業などすべてを我流でやることになった。これでは成長しているという実感が得られない。この会社でもあまり多くは学べなかった。取材経験から色々な人間に会えたことは財産になったと思う。そこで基本的なビジネスマナーは身に付いた、と思う(かなり怪しいが)。しかし私がこの会社で学んだことはそんなことではない。学んだことは、「退職届は2度出せる」といったことだった。
入社して1年後、私は退職届を提出した。先輩社員がいない中、業務の統括者であるフリーの編集者は自宅や出先から一方的に連絡するだけで、こちらからの電話にはほとんど出ない。わからないことがあっても誰にも聞くことができず、我流で仕事を進めるか、もしくは完全に投げ出しネットサーフィンをするぐらいしかなくなる。その結果得られたものは、暇すぎて口に運ぶ機会が増えた「カントリーマァム」の食べ過ぎによる脂肪ぐらいだ。この時期、私の体重は 65kgを超え、私史上もっともfatな時代だった。今は体重59kgです。また社長が毎日喫茶店に入り浸り会社に来ないことも職場の環境を悪くした。社長は、会社の近辺にはいた。しかし滅多に会社には寄りつかなかった。社長は株の売買に忙しく、朝から夕方まで証券会社の人間と忙しそうに電話でやり取りをしていた。何度も出社前に会社近くの喫茶店で見かけたことがある。午後3時に市場が閉まり、株の売買を終えるとスポーツジムに行くのが社長の日課だった。そしてその後、居酒屋で食事する。一度、午後6時半時過ぎに社長に電話したときに電話口から食器が触れ合う音や周りの酔客の話声らしき音が漏れ聞こえてきたことがあった。電話を切る前に社長が私に、「まだ残ってるんだ。…がんばってください」と言ってきたときには社長に対して大きな失望を覚えたものだ。
ある日、社長の内縁の妻が事務員として入社してきた。彼女はベテランライターを次から次に粛清し、出来の悪い新入社員に関しては、陰で内縁の夫に密告することで、解雇処分にするという暴君ぶりを発揮した。その結果、入社してきた新人に仕事の引き継ぎをしても、すぐにその人がいなくなってしまうという事態が続発した。在籍2年、そのうち引き継ぎ業務に1年を費やした。職務経歴書に、「業務内容:引き継ぎ」と記入できるレベルだ。私はここで「耐えること」を学んだ。20代から60代まで幅広い層の人間が入社してきた。当然物覚えや経験に差がある。教えるそばから解雇されてしまうので、先週ある人に教えたことを今週再度別の人に教えるということも何度かあった。私はここで忍耐力を得たと言えなくもない。奇妙なことに、引き継ぎをしていた間、社長が私の退職届をなかったことにしようとしていたふしがあった。そのため、本当に私が辞める時、なぜか再度退職届を出す羽目になった。2年連続2度目。不思議な経験だった。

3社目、4社目は短期間で辞めた。中小零細企業らしく、研修というものは存在しなかった。OJTという名の、即実戦投入。2社目に勤めたところも同じような感じだったので私としては慣れたものだった。不安なまま仕事をこなし、疲弊し、自信を得たり逆に失ったりしながら数日を過ごし、退職届を提出する。お決まりのパターンだ。断言してもいいが私は退職届を出すことにかけては、相当高いレベルにある。普通の若者は退職届の書き方さえ知らない。また退職届を出す時人は緊張するだろうが私はしない。出すタイミングを掴み損ねることもあるだろう。私はそのようなミスは犯さない。いつも泰然自若としている。出せと言われればそのタイミングで出す。焦って先走る必要はない。平静でいれば自然な振る舞いが出来る。退職届の提出だからと言って必要以上に緊張することはない。私は、退職に関してはエキスパートだ…。

しばし、今まで勤めた会社での出来事を振りかえった。そして絶望した。退職届の書き方、出し方、2度目の出し方、心構え。だからなんだっていうのだ。そんなことしらん!何が泰然自若だ。知るか。
…やはり私は何も身につけていなかったようだ…。2年間勤めた出版社ですら、編集能力や取材テクニックを身に着けられなかった。なんてことだ。

改めて、勤めた会社の勤続年数を書き出してみる(本当の職歴)。
1社目=1か月
2社目=2年
3社目=2カ月
4社目=2カ月(アルバイト)
5社目=5か月(正社員前提の就業だったが正社員になる前に退職)

大学を卒業して今月で4年8カ月目。勤めた5社合計で社会人歴2年10カ月。1年10カ月はどこにも勤めておらず主に転職活動を行っていた。 4,5社目は非正規だ。求人広告に掲載されている「応募条件:社会人経験○○年」に、アルバイト経験は含まれない。よって4,5社目を「非社会人時代」に入れると、「社会人時代」が2年3カ月で「非社会人時代」が2年5カ月になる。大学卒業後、社会に出て以来、社会人でなかった期間のほうが長くなった。逆転。
会社に勤めていないときは主に就職活動をしている。具体的には、2005年春から秋にかけて、2007年秋、2008年春、そして2008年末から現在。大学4年の時ももちろん就活をしていた。大学3年秋の就職ガイダンスを含めれば、2003年、2004年、2005年、2007年、2008 年、2009年とここ数年ずっと就職活動をしているといえる。これは、快挙であると言えなくもない。さらに言えば、おそらく2010年も就職活動をすることになる。もはや私の仕事は就職活動であると言っても過言ではない。私の職場は、オフィス内であり、自宅であり、ハローワークであり、ヤングワークプラザであり、面接を受けた企業の応接室であり、履歴書に貼り付ける証明写真を撮るスピード写真機の中であり、退職するごとに各種手続きをした区役所であり、社会保険事務所であり、エアー出勤していた時によく行ったコーヒーショップであり、ファミレスであり、漫画喫茶であり、図書館であり、映画館であり、革靴の底が擦り切れるまで歩いた路上である。私の20代の記憶はすべて就職活動に関連しているものであると言えなくもない。数年前より私が成熟しているかどうかは自分にはわからない。しかし経験は積んだ。それが「就活」に偏ったものであれなんであれ。会社で学ぶべきものはほぼ何も学んでいない。しかし社会には出続けているとはいえる。確かに社会人時代と非社会人時代の期間が逆転した。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。人は辛酸を舐めて成長する。会社内であろうが、路上であろうが場所は問わない。社会で舐める辛酸に本質的な違いはない。勤め人とは違うかもしれないが、私だって社会人だ。いや、より多くの辛酸を舐めている以上、私こそが逆に社会人なのだ。