27歳男、リーマンショック後にエアー出勤をする⑮

『前回までのあらすじ』
いや、だから特にないです。



何日か前にデニーズでコーヒーを飲んでいるときに、そろそろこのエアー出社を切り上げなくてはならないなと思った。
このまま続けていても事態が好転するようには思えなかった。精神、肉体、財政、すべての面で消耗が激しすぎる。しかし、ひとまず終えようと決心したのはいいが、次の瞬間、さてどのように? と考え込まざるを得なかった。

私はここ数日、同じ時間に同じ店で同じものを注文していた。そして1時間ほど時間を潰してから、ゆっくり家路につく。帰宅するのは19時半ごろ。
同じことの繰り返しは人の精神を摩耗していく。特に私はエアー出社という完璧に不毛な行為をしているため、擦り減る度合が常人よりもひどいように思う。
限界に達していたのだと思う。
窮地を脱するためにも、知恵を絞らねばならなかった。

そもそもなぜ元サラリーマンがエアー出社などという普通に考えれば愚行以外の何物でもない行為に及んでしまうのかというと、それはプライドと優しさのためだといえるように思う。
大半の人にとって仕事をするということは、特別なことではない。それは社会に出る年齢になった人間にとっては基本中の基本。職に就いているからといって誰かに褒められるわけではない。言い換えれば、いい年をして無職でいるというのは人として何か欠陥があるのではないかと考えてしまう。そのことで自分を卑下してしまう人間が、会社を辞めたことを誰にも告げられずに毎朝スーツを着て定時に家をでて街中を彷徨うことになる。
無職であるという負い目のためにエアー出社をしてしまうのは馬鹿げているかもしれないが、だからといってそのような人たちを責めてはならないと思う。彼らというか私は、確かに脆いのかもしれない。しかし弱くて脆いのと同時に、他者に対して細やかな配慮を見せることもできる人間だということもお忘れなきようお願いしたい。彼らはというか私は、家人や近しい人たちに余計な心配をさせないように気を遣っているのである。リストラに遭ったり、意味もなく会社を離職したりして無職になってしまったことが家人などに知れたらきっとその人たちを悲しませるだろうと慮ってエアー出社をしているのである。その辺は、実際にエアーをキメたことのある人間にしか、あるいはわからないことかも知れない。しかしそうであるならば、もしそのような境遇にある友人知人が近くにいたらそっとしておいてほしい。間違っても、「打ち明けた方がいいよ」などと言わないでもらいたい。エアー出勤者は、脳内で何度も家人達に真実を打ち明けているのである。そして正直に告白することが、必ずしも万人を幸福にしないということを脳内で何度も発見しているのである。

人類は果たして、己の自尊心を傷つけず、また同時に家人を不安にさせないような何らかの妙策を用いてエアー出社を止められるのだろうか。
私は今回の小旅行で、ずっとこの問いの“答え”を探していたのかもしれない。関内・桜木町エリアを歩き回っている時も、中央図書館で書見をしている時も、マックでホットコーヒーを飲んでいる時も、ずっと“答え”を探し求めていたのかもしれない。答えを見つけられるのなら、いっそ就職などできなくてもいいとさえ思った。

会社が倒産した、半年間の有給休暇を貰った、テレワークになった、起業した、などいくつかの案が浮かんだが、どれも現実的ではなかった。
私には無理だと思った。エアー出社を始めてからずっと考え続けてきたがどうやら私の頭脳ではこの難問は解けないようだ。諦めようと私は思った。
しかし諦めたからと言って、どうにかなるというものでもない。このままエアー出社を続けていくのは不可能だ。私にはもうエアー出社をする気力も体力も金銭的余裕もない。一度切れてしまった気持ちを再度奮い起こすのは無理だろう。ではどうすれば…。私は途方に暮れていた。

一か八か試してみようか。あれをやるしかないのではないか。
エアー出社を止めるための名案は、私にはない。しかし不完全ではあるが、一つだけ、エアー出社を止めることのできる劇薬のような危険な作戦が私にはある。これはいろいろな意味でリスキーだが、ハマればすべてがうまくいく。やるしかないと思った。
一度決意してしまうと、気持ちが楽になった。すぐに行動に移した。これで私も晴れて自由の身だ。
私は、家人宛てに携帯メールを一斉送信した。
「転職することになりました(^▽^) 今の会社は今週末で辞めます。新しい会社は3週間後の○月×日(月)からです(* ̄∇ ̄*)エヘヘよろしく(⌒∇⌒)」

これにより、私のエアー出社は週末を持って終了することになった。そして「次の会社」に入社するまでの数日間を家で過ごせることになった。

玄妙である。事実だけを簡素に伝えることで、ビジネスメールのように無機質でかつ相手に有無を言わせない力強さがある。また退職・転職という重くなりそうな話題のメールを、絵文字を使うことで柔らかく前向きな姿勢を感じさせるものに仕上げている点も素敵である。
ただ残念なのは、週末に退社する会社など存在しないことはもちろんのこと、3週間後に入社する会社もまた架空のものであるということだ。
これにより目の前に新たな難題が現出したというのは紛れもない事実だが、それについては目を逸らすことで今はやり過ごしたい。
なんにせよ、エアー出社は終わったのだ。