27歳男、リーマンショック後にエアー出勤をする⑩

『前回までのあらすじ』
1月初旬からエアー出勤を続けている私は、横浜・関内エリアをさまよいつつ、面接会場では異国人を救済しながらも、スーパー銭湯に入り心身ともにリフレッシュした帰りにユニクロでパンツを購入していた。




私は大きな過ちを犯していたのではないか。
本格的に就職活動を開始してほぼ1ヶ月が経った。いまだにどこからも内定の連絡が来ない。
携帯の受信設定は何度も確認した。非通知連絡、アドレス未登録番号からの入電も受けられるように設定してある。パソコンの電子メールの設定も、特におかしい所があるわけではない。先方が内定の連絡をしたければ私の方は24時間電話・メールで受け付けられる状態になっている。しかし、来ない。
これには何か伝達方法のミス以外に大きな理由があるのではないか。
私は持ち前の知性を発揮し、一つの結論を導き出した。
私の人間性に問題があるのではないか。

携帯電話やパソコンの受信状態とかではなく、私の職歴、職能、学歴、保有資格、語学力、社会人としてのマナー、容貌、喋り方、人格など私を構成する諸要素に、彼ら人事担当者が魅力を感じないのではないか? 今まで、就活がうまくいかないのを他人や社会情勢のせいにしていたが、そうではないのではないか。他人に変わってもらうのではなく、自分が変わらなくては、この悪環境を打破できないのではないか。今まで生きてきた27年間、社会に出てからの4年間、それらすべてを総括し、反省すべきところは反省し、改善すべきところは改善するなど、自省しなくてはならないのではないか。内定がもらえないのは自分のせいだ、これからはもっと謙虚にならなくては一歩も前に進めないのではないか?と反省しようとしたが、できなかった。問題は、向こうにある。特に、人事担当者の読解力の欠如、考えの狭量さ、無慈悲さ、安定志向に私は疑問を持っている。

私が就職できない理由の一つに、経歴の問題がある、と一般的な見地に立ってものを考える人事担当者的な考えをする人は考えていると私は考えている。
私は、大学卒業後に入社した横浜にある会社を1ヶ月で辞めた。いや1ヶ月というか5日間ぐらいしか出社しなかった。
2005年4月に入社し、同年同月に退社した。辞めてからしばらくは家人にそのことを告げられず、ファミレスや公園で時間を潰していた。そう、まさに今のように。最終出社日に事務的な手続きを行い、昼前にはその会社を後にした。どこかで時間を潰さなければならなかった私は、鎌倉まで小旅行に出かけた。今と同じように、スーツを着て。そのとき見た並木道の桜が忘れられない。ちょうど満開の季節だった。舞い散る桜の花びらは幻想的に美しかった。八幡宮では、日本人の新郎と外国人の新婦が結婚式を行っていた。私はその様子をぼんやりと小一時間ほど眺めていた。華麗に舞う桜の花びらと幸せそうな新郎新婦。それを見ていた観光客もまた幸せそうだった。そんな中、私は桜の花が咲き出すころに入社し、同じ桜が満開に花開くころに退社するという荒業を見せていた。桜は散るから美しいという。桜の花がまだ蕾のころに入社し、満開のころに会社を辞めた私もまた桜と同じように美しいということか…。

その後、数回転職を繰り返した。勤めた会社が、すべて異業界(IT、出版、卸、リサーチ)、異業種(プログラマ、編集、事務、調査員)であるという点に、人事担当者は私に対して一貫性の無さを見出す。また私には、次に勤める会社が決まる前に現職を離職するというポリシーがある。そのため、どうしても転職活動期間(=無職期間)というものが生まれてしまう。そのブランク期間を良しとしない風潮が世間にあるため、その点も「突っ込みどころ」となってしまう。つまり転職回数、一貫性の無さ、ブランクだらけの経歴が私のウィークポイントになっているらしいのだ。

しかし、これは責められるべきポイントではないし、私のウィークポイントではない。社会人として致命的な欠陥でもないし、人間として劣っていることの証明にもならない。むしろ、ほとんど転職せずに安穏と社会人生活を送っている大多数の人間より、奥ゆかしさ、柔軟性、行動力、多様性、戦闘能力、決断力が優れているといえなくもない。

面接時、人事担当者は手元に履歴書と職務経歴書を置いて面接を進行する。
そして事前に私の経歴に目を通しているのにも関わらず、面接の時に改めて私の華麗なる経歴に驚嘆する。そして意識が半ば呆然としているような状態で、転職回数の多さ、A社とB社をC社をなぜ転職したのかなどをおざなりに質問する。この時点でほとんどの面接官は私に対する興味を失っている。
しかし少し知恵を働かせれば、その履歴書・職務経歴書がただの書類ではないことがわかるはずだ。そこらへんのビギナー転職者の紙っぺらとは重みが違うことがわかるというものだ。
私の履歴書には、一般の27歳男性のものよりも多くの会社名が記入されている。それだけ転職回数が多いからだ。ということは、それだけ記入するのに手間がかかっているということになる。履歴書は通常、ボールペンを使用し、手書きで作成される。それは、絶対に書き損じの許されない、息の詰まる作業だ。普通の27歳男性が1社で済ますことのできる「職歴欄」に私は3社も記入しなければならない。記入文字数が多ければ多いだけミスが起こる確率も高くなる。この作業は並み外れた集中力を要する。私のような転職マスターでも10枚に1枚は書き損じる。また記入文字数が多ければ多いほど、誤字脱字が発生しやすくなる。それをミスなく仕上げるのは相当の注意力が必要になる。これは私が以前出版社で働いていたからこそできる所業であるように思われる。出版社での校正経験がない者は、この点からも転職には一層の慎重さを期する必要があるように、私は思う。
また職務経歴書の作成も、履歴書ほど多様な能力を必要としないまでも相当の労力を要する。
通常、職務経歴書はPCで作成する。また書式はA4、枚数は1枚に収めるというのが一般的である。ご案内のように、私は紙っぺら1枚に収まるような薄っぺらい社会人経験は送ってきていないと自負している。正社員で3社、試用期間中に辞めた会社が1社、社員登用あり的アルバイトでの就業経験も1社ある。またブランクも、戦地のタコ壺のようにボコボコあいている。それをA4・1枚で収めることの困難さは推して知るべしであろう。特に5日間ぐらいで辞めた会社で何を学んだか、ブランク期間はどのような生産的な時間を過ごしていたのかなど職務経歴書を書く上では避けて通れない難問を、呪術的な文章によりエクスキューズする私の技量はまさに転職マスターに恥じない代物に仕上がっていると自負しているが、どうだろう?

このように社会に出撃と撤退を繰り返してきた、転職界における勇者的な立場にあるこの私が心血を注いで作り上げた履歴書・職務経歴書に書いてある「本当に価値のある職歴」を人事担当者は読解できていない。これは由々しき事である。会社の窓口的なポジションにある人事担当者がそのような体たらくであることが今日の経済不況の原因の一端になっていることを彼らは自覚していない。

しかし考えようによって採用されなくてよかったとも思う。そのような読解力の低い人間、本当の価値をわからない人間が人事を勤めている会社は、おそらくロクな人材がいないであろうから。
いつか私の価値を読み取れる人に出会うまでがんばろうと思う。またもし私の価値を読み取れない人事担当者に採用されても、それはそれで甘んじて受け入れようとも思うが、どうだろう?