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27歳男、リーマンショック後にエアー出勤をする⑧

『前回までのあらすじ』
就職よりも大切なことを発見した私は、しかし未だに就職先が見つからずにいた。


私は絶望的になっていた。確かに中国人を救ったのかもしれない。いや救っただろう。しかしそれが何だというのか、この過酷な転職戦線で他人に手を差し伸べている余裕が今の私にあるだろうか。

ネットカフェを出た私は、いったんはハローワークに向かったもののどうも気持ちが乗ってこないので歩いて新横浜駅に向かった。
新横浜駅から横浜市営地下鉄に乗った。あざみ野方面に向かう車中、もうこの苛烈な戦線ではやっていかれないなと思った。この戦場で生き抜いていくのは、冷酷で狡猾かつ活発かつカツカツな生活を送っているハングリーなマインドを持った戦士たちだけだ。私のような心優しい人間は戦場に出たところで敵兵に瞬殺されるだけだ。あるいは半殺しの目にあって捕虜に獲られるだけだ。生きて虜囚の辱めを受けるくらいならばいっそのこと自刃してしまおうか…。

午後4時前にセンター南駅に着いた。私が目指す場所は、あざみ野駅だ。ここから歩いて1時間ほどかかる。そのくらいなら歩いていける距離だ。私には時間がある。19:30を過ぎなければ帰宅できない。歩いて時間を潰そう。あざみ野駅まで急ぐのなら、先ほどの電車に乗っていればよかったのだ。歩こう。

思えば、今年に入ってから毎朝出社するふりをして7時半に家をでて、出社すべき会社などないから、仕方なく街をほっつきあるいている。
横浜、桜木町、関内、伊勢崎町、片倉町、町田、渋谷などをスーツ姿で歩き回っている。疲れたら、マクドナルドやガストで休み、またすぐに街を徘徊する。1月に入って、ずっと歩いているような気がする。街をうろつくか、ファストフード店で休息するか。いったい私はなにをやっているのだろう。時間を空費しているのではないか。
そのときふとこの感覚に覚えがあることに気がついた。この感じは、いつかのあの…。
私は思い出し、そして苦笑した。
あの時と同じではないか。

2005年3月、私は友人と2人でヨーロッパを旅行した。イタリア、スイス、ドイツ、チェコ、ポーランド、エストニア、ロシア、フィンランド。
旅の途中、ポーランドで友人と別れた。私は一人でベルリンに向かった。友人とは1週間後にエストニアのタリンで待ち合わせることにした。
ベルリンには2日だけ滞在した。特に何をするでもなく、ほとんどの時間を宿の中で過ごしていた。退屈を持て余していた。その時点で、日本を発ってから半月ほどが過ぎていた。私は旅行に飽きていたのだ。ミラノの大聖堂、教会、美術館、スイスのゲレンデ、電気自動車、雄大なマッターホルン、登山鉄道、ミュンヘンの有名な酒飲場、プラハの石造りの町並み、城のある丘から見た美しい夕日。それらすべてが興味深く、刺激的なものだった。しかし旅行に倦んでいた私は、もはや何を見ても何を聞いても感興が湧いてこなくなってしまっていた。

予定を早めてベルリンを発つことにした。友人はポーランドからリトアニアに入り、ラトビア、エストニアとバルト三国を北上すると言っていた。しかし私にはもうそのような活力はない。
ベルリンからエストニアのタリンまで、バスで向かった。途中数回の休憩を挟み、30時間ぶっ通しで走り続けた。こんなに長くバスに乗ったのは後にも先にもこれきりだ。

5日後に友人が到着するまで、この街に留まらなければならない。タリンは小さな町だ。同じ宿に泊まっていたイギリス人は「pretty」とこの小さな町を形容していた。それ以外にもこの街についての感想を述べていたが、他はすべて聞き取れなかった。
5日間ずっと歩いていた。城壁で囲まれた旧市街を歩いた。暇すぎたため、城壁に沿って歩いた。町1週を45分で歩けることを発見した。そして疲れたらマクドナルドに逃げ込んだ。コーヒーを飲み、暖を取った。退屈で過酷な時間だった。3月のエストニアは凍えるように寒かった。歩いていると、鼻水が垂れた。手先、足先がかじかんだ。耳が赤くなり、顔中が痛くなった。それでも私は歩いた。ただ時間を潰すために。遠い日本からエストニアまできて、私はいったい何をしているんだろう…。

私はセンター南駅からあざみ野駅まで歩いていた。小雨が降っていた。傘を持っている方の手が冷たくなっていた。私は傘を持つ手を交互に代え、片方をポケットに突っ込んだ。知らず知らずのうちに鼻水が垂れ落ちてきていた。ハンカチを出してこれを拭った。
16:55にあざみ野に着いた。私は寒さをしのぐため駅前のスーパーの中に入った。
あざみ野駅から出ているはずの、バスの時刻表を携帯電話で調べた。しかし凍える手ではうまく携帯のボタンを操作できず苦戦した。ようやく目的のサイトにアクセスできた。目的のバスは17:00丁度に出発するという。時刻は16:59だ。
私はバスの停留所まで猛然とダッシュした。