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27歳男、リーマンショック後にエアー出勤をする⑦

ネットカフェで3時間パック980円の料金は払って外にでると小雨が降っていた。凍えるように寒い新横浜の町をハローワークの方に向かって歩いた。しかし20メートルほど歩いて、踵を返した。どうせ今日もいい求人などない。電車に乗って自宅最寄り駅まで帰ろう。そして近くのファミレスやモスをはしごして時間を潰そう。
駅に向かう道すがら、もう生きていてもしかたないのではないかと立ち尽くて、いやまだ死ねないと思い直した。まだやりきっていない。まだ道の途上だ。あの場所に行くまでは…。

この日は午前9:30に、ある会社の面接・適正試験を受けた。できについてはあまり詳しくは話さない。それでもあえて言うなら、人を一人救ったと言えなくもないかもしれない。

9:20に事務所につくとエントランス付近に明らかに就活中といった20代前半の男が立っていた。初見でこの男も私と同じ企業の採用面接を受けることが分かった。私のように年がら年中就活をしていると一目見ただけで、その人間が求職者かそうでないかわかる。身なりやたたずまい、目の濁り方、視線の泳がせ方、オフィス内で他者とすれ違ったときの挙動など見るポイントは50を超える。断言してもいい。今私の目の前にいる男は、絶対に求職者だ! なぜ断言できるか? そう聞いたからだ!
「面接受けにきたんスか?」
「ハイ」


「入らないんですか?」と私。
「・・・・・」
「入りましょうよ」
「ワタシチュウゴクジンデス」
私は愕然とした。チャイニーズ?? こんなところにまで中国パワーが侵食してきているとは。なんてこった、国際政治の場で中国の発言力が強まっているのは人づてに聞いていた。経済成長率も先進諸国は言うに及ばず、BRICSなど発展途上国の中でも群を抜いていると誰かが言っていた。世界を見渡しても中国ほどの競争力をもった国はないという噂を街で耳にしていた。まさかこんなところにまで中国人が攻め入ってきていたとは…。誤算だった。私はなんでこのような強敵ににこやかに話しかけてしまったのだろう。後ろから棍棒でどついておけば…。悔やんでいてもしかたない。中国人が相手とわかったなら正面からまともにやり合うのは自殺行為だ。私は方針転換した。
室内に入ると待合室には、すでに4名の求職者がソファーに腰掛けていた。女2、男2。どいつもこいつも取るに足らない転職弱者に見えた。問題はニコニコ顔の中国人だ。私は空いているソファーに腰を下ろした。私の隣に中国人が座った。ドアーの前で立ちすくんでいたこの中国人は、私について来る様に待合室に入り、私の隣に座った。なるほどね。この中国人は私に気を許しているようだ。お人好しめ。ここは安全地帯じゃないんだぞ! 紛争はチベットや中近東で起きてるんじゃない! 待合室で起きてるんだ!!
私はどうやってこの中国人を蹴落とすか思案した。思案しているうちに尿意を催してきた。9時半まであと2分ほどある。ここは心も体もリフレッシュして、ライバルどもを‐といっても中国人以外は鼻くそみたいなものだが‐粉砕してやる。
私は、トイレに向かうべく腰を浮かした。隣に座る柔和な顔をした中国人の耳元で「ちょっと、トイレ」と囁き。道を空けさせた。
私はドアーを開けて、トイレに向かった。
男子便所に入り、小便用の便器の前に立った。すると隣の便器の前に中国人が立ち、小便をし始めた。
こいつ、私の後をつけてきたな。人気の少ない便所内でライバルである私に不意打ちを食らわせようとしていやがるな。姑息な。
私は中国人を警戒するような口調で言った。
「ふん、君も小便か(面接前の緊張感に耐えられなかったわけだね。ぷぷっ)」
中国人はただニコニコしていた。私は、次第に気持ちが激してきた。こいつはなにをニヤついてやがるんだ。オフィスの入口の前で立ち尽くすようなマナーもへったくれもない異国人め。小便中のお前の尻を私の回し蹴りでスマッシュヒットするぞ。と思って言葉を失った。彼はオシッコなどしてはいなかった。
中国人は確かに小便用便器の前に立ち、小水をする仕草をしていたが、彼はチャックも開けず、ただするふりだけをしていたのだ。そうなのだ。彼はあの待合室という戦場に一人でいられず、わき目も振らず飛び出してきたのだ。そしてこの戦場における唯一の知り合いである私の後を子供のようについてきたのだ。おぉ、チェン! お前って奴はなんて弱い奴なんだ。心細かったろうに。戦場で君のような弱者を一人ぼっちにしてしまって、私はなんて卑劣なことを…。
守ろうと思った。故国に両親、弟妹を残して単身日本に出稼ぎに来たチェンを、守ろうと思った。
そう思った時点でこの日の採用試験は終わっていた。
なぜなら、チェンを助けるということはイコール私が不採用になるということだからだ。
ただ、私が落ちてもチェンが受かるとは限らない。チェンと私以外にも他に4名も志望者がいる。
彼らの合否は私が決めるとこはできない。しかし微力ながら彼らの試験を妨害することはできる。

適正試験が始まった。まずはエントリーシートの記入からだ。職歴、志望動機、OAスキル、特技、趣味などを20分で入力しろという。いきなりかなりの難問だ。OAスキルってなんだよ。wordがちょっと使えるとか、excelにさわったことがあるとかかな。特技って…フットサルで後方から来たロングパスをハーフボレーで合わせることとかかな? 最前列にいた私は開始5分で鉛筆を置いた。難問過ぎて記入できなかったという面もあるがそれだけではない。チェンのための援護射撃を狙ったのだ。普通、20分の制限時間を与えられたテストを5分で切り上げた場合、その人間はよほど能力が高いか救いようのない馬鹿かどちらかだ。残念ながら今回の私は後者なわけだったが、それは他人には分からない。周りの者は私が開始数分で鉛筆を置いたことに度肝を抜かれただろう。それが狙いだ。周章狼狽した他の求職者たちは普段の半分も力を出せなかったはずだ。 

エントリーシートの次は適正検査を受けた。
私は人事担当者に「不適」と思わせるよう努力した。幸いにも、私の思うように○を付ければ、この目的は達成できるように思われた。
『いつも疲れているように感じる』 はい
『一人でいたいと思うことがよくある』 はい
『複数でいると発言しない方だ』 はい
『ふとした瞬間、さみしくなる時がある』 はい

私ができるのはここまでだ。
あとは君自身が、面接官にどうアピールするかだ。
今までやってきたことを自信を持って話せ。誇張も脚色も必要ない。
ありのままを話すんだ。
職歴も中国での生活も、家族のこともすべて話すんだ。そうすれば自ずと展望は開けてくるはずだ。
私も陰ながら君にエールを贈らせてもらう。
フレー、フレー、チェン君! フレッフレッチェン君! フレッフレッチェン君! イェーイ!!
がんばれ、チェン! 

翌々日私のもとには履歴書、職務経歴書が返送されてきた。