撤退6

【前回までのあらすじ】
無職でいることが朝のゴミだしにも悪影響を及ぼすことを知った私は、定職に就くことの必要性を再認識した。







待てど暮らせど内定の返事を貰えないことに焦りを感じ始めていたが、よく考えたら1社も面接を受けていないことに気が付いた。
しかたなくハローワークに求人を探しに行った。よさそうな会社が1社あったのでスタッフに連絡を取ってもらったら先方から明日来いと言われたので、行った。

その会社では調査員のような職種を募集していた。クライアントには数社の大手企業を抱えているらしく業績はすこぶる好調らしい。

最初に、面接官のAさんに履歴書と職務経歴書を渡したら「職務経歴書はPCで作成してあるのになんで履歴書は手書きなの?」と言われた。私はなぜそんなことを言うのか分からず、「転職のマニュアル本に書いてあったからだよ」と答えた。そう答えたあとに質問の真意を理解し「すいませんね、字が汚くて」と苦笑しながら答えた。Aさんも「そうだよねぇ」と苦笑した。

私は字が汚い。できる限りきれいな字で書くべき履歴書の字も汚い。マニュアル本には、「字が汚い人は、丁寧に書くのを心がけたほうがよい。そうすれば誠意が伝わるから」と書いてある。
しかしその丁寧に書くと言うことが難しい。
本当に字が汚いひとはいくら時間を掛けて丁寧に書こうと思ってもそれができない。なぜなら慎重に書こうと思うと妙に緊張してしまい、その結果まるで犯行声明分みたいな無機質で角張った字になってしまいさらに大体の場合、字が汚い人は犯行声明文のようなある種整った字を「書き続ける」ことができない。なぜならいくら慎重に書こうと思ってもそれがかなわない為、最初の10字ぐらいを丁寧に書こうと気を入れて書いてもすぐにだめだこりゃということになり、あとはいつものように書きなぐることになる。それはメモ書きにしろ履歴書にしろ同じことだ。大体において字が汚い人は変に意固地なのできれいに書こうとすることに馬鹿らしさを感じてしまう。というかいくら努力してもいっこうにきれいにならないので無駄な努力をしない。そのような人に「きれい」も「丁寧」もない。だから履歴書の字も汚い。

必要書類を渡したあとに算数と国語の筆記試験を受けた。算数は「3桁の掛け算」や「9月23日が日曜日なら12月24日は何曜日だ」とか「1ドル=○円、1ユーロ=△円なら、1ドルは何ユーロ」など難問ばかりだった。また制限時間のわりには問題数が多かったので苦戦した。国語は「杜撰(ずさん)」の読み方を答える問題などハイレベルなものが多かった。
その次は、作文だった。これがまた難問だった。お題は「社会的な価値観(企業)と個人的な価値観(自分)について答えてちょ(会社の考えと個人の考えが相反したらどうすんの?)」というものだった。こんな抽象的なお題をだされても困ると言うことでその場で選考を辞退しようかと思ったが何とか思いとどまり制限時間40分をかけてなんとか書き上げた。

その後Aさん及び現場担当のBさんの面接を受けた。まずBさんが具体的な業務内容を説明してくれた。それにたいして私が質問をすることで、私の調査員・取材者としての力量を図るというものだった。その横ではAさんが算数・国語・作文の採点を行っていた。私はBさんの面接をうけているときも、チラチラAさんの表情を覗っていた。算数・国語はまあまあできていたので心配していなかったが(結果は両方とも80点/100点ぐらいだった)、作文は正直ぜんぜんダメだった。しかもそのダメさがちょっと違った意味でダメであったのを自分でも理解していた。


Bさんが業務内容・研修内容などを一通り説明し私が逐一質問する面接はほぼ完璧にできた。なぜなら私は前職で取材者のようなことを経験していたからだ。Bさんは思わずAさんに「この人はできる」とうなり声を上げた。それにたいしてAさんも「それは私もそう思う」といった。公平にいって面接に関してはかなりうまくいったとおもう。
その後、BさんがAさんに「なんか質問ある」と聞くとAさんは「いや確かに取材・調査の能力はあるように思われるよ。ただ、この作文がね〜、ダメだよこれ、こんなこと書いちゃ、こんなの社長に見せらんないよ、人事の私のところで止めときたいねこりゃ」といった。私はそれに対して「いや〜私もそう思います。はは、おっしゃっている意味がよ〜く分かります、実は」といった。Aさんは「大きな問題が2つある。一つは字がめちゃめちゃ汚いこと。これを社長に見せることはできない。2つ目は内容がぜんぜんダメだということ」といった。字が汚くて内容が全然ダメとは要するに全否定を意味する。Aさんは怒るというよりも呆れ返っていた。AさんはBさんに「読んでみ」と作文のコピーを渡したがBさんは一瞥するだけで「いやそれはAさんに任せる」といった。おそらく字が汚すぎて度肝を抜かれたのだろう。
内容に関しては個人情報を保護する観点及び自己弁護の意味からここに詳しくはかけないが要約すると、次のような感じだった。
・ 個人に比べて企業(社長)のほうが断然力が強大だから、そのようなものに立ち向かうのはばかげている。文句をいってクビにされたら元も子もない。前職においてはワンマンの社長が次々に従業員を粛清した。私はそれをただ傍観していた。ただものには限度がある。だから私は社長に意見した、ということはない。静かに自分から身を引いた。
「なぜならそのようにひく事こそつまり小さな敗北感を抱くことこそが『会社』で生きていくことだからだ。迎合し取り込まれるのが最善の策だ。」(「」内は原文のママ)

Aさんは「何文句ばかりいってるの。結局社長がワンマンだから自分は何も言わないで無言の抵抗をしたって話? ってそんなこといったらうちだってめちゃくちゃワンマンだよ!」と感想を述べた。

そのようなわけでこの日の面接及び筆記試験は万事うまくいった、とはいい難いがいい経験を積むことはできた。
また私がなぜ就職できないのかもわかった。その部分を改善することで就職への道が近づく。これは大きな収穫だ。

私は帰宅後すぐにPCに向かった。
グーグルで「ユーキャン ペン習字」と検索した。
私は一歩前進した。これは人類全体にとっては小さな一歩かもしれないが私個人にとってはとても大きな一歩である。