足腰論

 僕は時々考える、自分の部屋の片付けが出来ないことや人との待ち合わせに遅刻してしまうことなどの堕落や失敗は結局の所、(その人が本来有すべき分だけの)足腰がタラナイことがその根本原因なのではないかと。十分な足腰があればたいがいのことは上手くいくのではないか。掃除も時間を守ることも集中を切らさず読書を続けることも携帯の充電をし忘れないことも英単語を覚えることも何もかも。
 
 足腰がある(強い)と言うことはつまるところ体力があると言うことだ。しかしここで言う体力と言うのは筋力だけをさすものではないし持久力だけでもない。筋力と持久力を同時に有し、かつ、その人に合った分の筋力、体力を有すと言うことだ。つまりバランスの良い体力ということだ。
 
 作家の村上春樹はインタビューアーに「なぜマラソンを走っているのですか?」と聞かれ、「いい文章を書くためには、足腰が強くなければいけないんです。メタファーではなく。」と答えている。体力があればスポーツは勿論、仕事も出来る。勉強も出来る。良い文章も書ける。体力があればなんでもできるというのは言い過ぎかもしれない。体力があるからと言って出来ないことは出来ない。しかし、自分の最適な体力を獲得すれば、その人間が本来もっている能力を最大限に発揮することは出来るだろう。
 
 たいがいの人間は最適な足腰をキープしていない。なぜなら人の(精神的および肉体的)コンディションは不安定だからだ。最適な足腰は常に変化しているということだ。定期的にメンテナンスをしていなければ、すぐに不安定な足腰になる。つまり、すぐに二度寝癖がでたり犬の散歩をさぼったりするようになる。そのような自堕落で向学心がなく向上心もないような状態を脱するためにはどうすればいいか。最適な足腰を求めつづけるしかない。
 
 世を騒がせている社会問題の大半も、足腰が足りないと言うこの一点で説明がつくのではないだろうか。ひきこもり問題がまさにそうだ。彼らは足腰が足らないから外に出ないんだ。朝(昼)起きて部屋を出て、居間のテレビをつけてソファに座るころには、もう足腰(体力)を使い果たしてしまっているのではないか。痴漢、殺人、耐震強度偽装事件などもそうだ。何もかも足腰が足りないからだ。なにもかもだ。エブリシングだ。結局のところ、この閉塞的な社会を打破するためにはマラソンを走るしかないのではないだろうか。それが僕の言いたかったことだ。