旅行記 8日目 (チェンマイ)

朝起きると、体の中が熱かった。寝てる間に血液が加熱されたような感じだった。日本にいるときには感じたことのない体の変調だった。体のだるさはなく、頭痛や腹痛の類もなかった。ただ、体の中が熱かった。ぼくは大事を取り、日本から持参した風邪薬を服用した。そして、午前中いっぱいベッドで横になっておこうと決めた。しかし、一度覚醒した体は眠りを受け付けなかった。ぼくは30分ほど横になった後、しかたなくベッドから起きだし、相変わらずほとんど風邪の症状がなかったのでシャワーを浴びることにした。朝食をとり、脱糞した。ゲストハウス『ナット』はトイレ・シャワー付きで150バーツという安さだった。しかし、トイレは劣悪だった。水を流すレバーがなく、備え付けのホースを使い汚物を流すという、半ぼっとん便所であった。そのためひどく臭った。ぼくはこれには我慢ができなかった。昨日チェックイン後、小便し、この事実に気づいたときには、憤激し、明日の宿は別の所に取ることを決めた。そこにきて、この体調の悪さが重なったので、今日は少し良い宿を取ろうと決め、ガイドブック片手に外に出た。

ガイドブックを見ると丁度今泊まっている宿の向かいに、ゲストハウスというよりホテルといった感じの『アノダード』という名前の宿があった。6,7階建てのそのホテルは、外観からくたびれた印象を感じたが、エントランスは広く清潔だった。エントランス付近には客は1人もいなかった。従業員は10人以上いた。タイではよく見られる光景だ。
ぼくは300バーツ(900円)の部屋にチェックインし、『ナット』から荷物を移し、ベッドに横になった。しばらく休んだ後、洗濯物を取りに行った。ランドリーでは、また昼食をいっしょにと勧められたが、フライドチキンを1つだけ食してすぐに、辞去した。ホテルに帰る途中で、小分けにされたパイナップルを買い、ビタミンを摂取すべく食し、カフェでレモンジュースを飲んだ。途中ジミーとの待ち合わせ場所の前を通った。時刻は11時を少しまわっていた。ぼくは少し気になっていた。もし、彼に本当にナースの妹がいたとして、その妹が日本に旅立つ前に日本人の知り合いを持てるチャンスを得たとする。しかし、その日本人は約束をすっぽかし、彼女は日本人に対して悪い印象だけを持って日本に向かうことになったとしたら。そんなことを考えていた。ぼくは気が重くなった。ジミーやジミーの妹そして心配症の母親をどん底に突き落としてしまったかのような錯覚に陥った。ぼくはある作家の言葉を思い出した。
『・・・人に良いことをしなかったのは悪いことをしたのと同じだ。』
ぼくは、引き返した。そして待ち合わせ場所の、昨日と同じカフェ、同じ席に腰をおろした。ぼくはオレンジジュースを注文した。通りをぼんやり眺めていた。体は熱を帯びていた。1時間待っても彼は来なかった。ぼくは勘定を済ませた。そして『アノダード』ホテルに帰った。

宿に帰ると、風邪薬を飲んでベッドに入った。掛け布団をしっかりと掛け、長袖を着て眠った。とにかく汗をかき水分を取れば夕方には、完調しているだろうと楽観的に考えていた。
15時ごろになって目が覚めた。着ていたシャツはたっぷりと汗を吸い込んでいた。額には汗の粒が浮かんでいた。予想した通り、快方に向かっていた。ペットボトルの水を飲みシャツを着替えて、またベッドに戻った。一応、夕飯前まで寝ていようと思った。
17時ごろに目が覚めた。当初、この時間頃にナイトバザールに行きそこで夕飯を食べる予定でいた。しかし、体は重く、体調は悪化していた。起き上がる気力も出ずに、シャツを替えることもできなかった。ぼくは再び目を閉じた。すぐに寝入った。19時半ごろ目が覚めた。外はもう宵闇になっていた。部屋は濃い闇に覆われていた。4階の一番隅のぼくの部屋には車の走る音も人々の声も、何一つ聞こえなかった。ぼくは多量の汗をかいていた。Tシャツの上に長袖シャツを着ていたが、2枚ともびしょぬれだった。ぼくは風邪薬を飲むために、何か食物を入れるべく、バナナを食べた。直後、激しい吐き気が襲ってきた。ぼくはトイレに駆け込んだ。食べたばかりのバナナを便器の中に吐いた。ベッドに戻ろうとトイレの電気を消した。そこで眩暈がして床にひざをついた。ぼくは這うようにして、ベッド脇まで行った。頭の中はパニックになっていた。思考力は低下していた。病院に行くべきか、わからなかった。メガネをかけ、ベッドの端に腰かけた。と同時に異常な汗が頭や顔から垂れ落ちてきた。めがねの内側に水滴がついて事物を歪ませた。思考力のないこの状態でも、異常な事態だということがわかった。ぼくは「地球の歩き方」に載っている「チェンマイ市内にある日本語の通じる病院」が記載されているページを開いた。本の上にペットボトルの水をぶちまけたかのような水量の汗が落ちた。ぼくはそこに「チェンマイ総合病院」という文字を確認した。ここから近いのか。チェンマイ総合病院の位置を示す「MAP P.189 左―A1」という文字を見た。何を意味しているのか理解できなかった。おそらく別のページに地図があるのだろうと、前のページを繰ろうとしたが、できなかった。思考力は底をつきかけていた。ぼくは今開いているページを指で押さえながら、立ち上がった。倒れる前にホテルの受付に行かなければと思った。残りの思考力が何かをぼくに訴えかけてきた。貴重品を持って行くべきだ。ぼくはナイトテーブルを見た。財布があった。それを引っ掴んだ。パスポートはポケットに入っていたように感じた。ぼくは最後の力を振り絞り、バックパックをひっくり返し中のものを全部ベッドにぶちまけた。そこには海外旅行保険の契約証が入っていたはずだ。ぼくは、散乱した荷物の中から、紙の書類を適当に掴んだ。そしてバックに詰め込んだ。部屋を出ると、長い廊下には誰もいなかった。エレベーターまで20メートルほどあった。壁づたいに歩いた。途中、限界を感じ渇を入れようと声を発しようと思った。しかし、声は出なかった。エレベーターはすぐに来て、1階受付まで降りた。汗が止まらなかった。受付には3人の女性がいた。ぼくを見るなり1人が、硬直した。開いてある本のページを指し示し「ホスピタル。」と言った。彼女は即座に理解し、「とりあえず、あそこの椅子に座れ。」と言った。ぼくはエントランスにある椅子に座りテーブルに頬をつけ、うつろな目で受付とは反対側の、ラウンジを見ていた。そこには1人の中年男性がいた。ぼくは彼を見て、なぜだかわからないが、昔見たパレスチナ紛争のドキュメンタリー番組に出てきた、イスラム聖職者を思い出した。イスラエルの強権的なやり方にあくまで宗教者として立ち向かう勇敢な男。彼は目を丸くしてこちらを見ていた。ぼくは彼の目を見ていた。普段ならすぐに逸らすはずだが、眼球がうまく動かなかった。手足が痺れてきた。彼が近くに寄ってきた。ぼくの周りをとりまく6、7人のスタッフに何事か話していた。彼はぼくのそばに立ち、右手でぼくの首筋を左手でぼくの額を押さえた。彼の暖かい手のぬくもりがぼくを少し安心させた。ぼくは、気持ちを落ち着かせ、「タクシー。」と言った。彼は「分かっている、今来るはずだ。」というようなことを言った。タクシーはなかなか来なかった。15分ほどしても来ず、ぼくはしびれをきらして、受付の女性に向かって「タクシー。」と少し大きな声で言った。ホテルのスタッフは、なんの反応も返してこなかった。ぼくはまさか、タクシーも救急車も呼んでないんじゃないかなどといやなことを考え始めていた。すると、ホテルのボーイがよってきて、小瓶に入った薬のようなものを僕に渡そうとしてきた。ぼくはそんなわけのわからない薬がほしいんじゃない、タクシーを早く呼べと叫びそうになったが、必死で押さえ、いらないとそのボーイに意思表示した。パレスチナ人聖職者のようなおじさんがそのボーイを追っ払ってくれた。ぼくがもう一度、おじさんに「タクシー。」と言うと、おじさんは、怒ったような口調で「Why think ?」と何度もぼくに言った。ぼくは口を閉じてタクシーを待つことにした。ほどなくして、トランシーバーを持った一人の男が現れた。ぼくは「ポリスか?」と彼に聞いた。彼は「レスキューだ。」と答えた。ぼくはこの時点で、かなり持ち直していた。だから、レスキュー隊の登場に、すこしおおごとにし過ぎじゃないか、などと思った。それから5分ほどしてレスキューカーが来た。サイレンがけたたましく鳴り響いていた。ぼくは立ち上がった。症状はほとんど治まっていた。なんだか皆さんお騒がせしちゃったみたいで、へへ。それでは部屋に戻ります。なんてことを言える状況ではなく、ぼくはレスキューカーに乗り込んだ。内部はひどく狭かった、ぼくは車内の担架に横になった。内部は畳2枚分くらいの広さだった。1畳分をぼくが占めた。残りの1畳を大柄なレスキュー隊員が3人で占めていた。皆制服など着ていない、ただのおっさんに見えた。ぼくは瞬時に感じ取った。この男たち、はしゃいでいると。彼らはこの状況を楽しんでいた。へらへら笑っていた。車の外に頭を突き出し興奮していた。天井につけられた玩具みたいな扇風機を弄(もてあそん)んでいた。ぼくは苦笑した。担架に寝ころがってぼんやり扇風機を眺めていた。扇風機の風がぼくのお腹に直撃した。便意を感じた。軟便か。ぼくの乗ったレスキューカーは不必要なくらい大きなサイレンを鳴らしていた。ぼくはヴォリュームを絞って欲しかった。チェンマイの夜は車の通りも少ないはずで、大半の旅行者はナイトバザールに行っているはずだ。他にすることがないのだ。チェンマイバンコクみたいなナイトスポットもなく静かな町だ。サイレンの音はこの町には刺激的過ぎる。
この夜確かにぼくと、このはしゃぎっぱなしのレスキュー隊員は、チェンマイの町で、その存在を存分にしらしめた。すべての住民、旅行客がぼくたちの車から発するヒロイックな咆哮を聞いたはずだ。レスキュー隊は誇らしげにその職務を全うした、顔は終始ニヤついていたが。ぼくはといえば、恥ずかしさのため右腕を顔の上に置きレスキュー隊員からの視線を遮っていた。左手はお腹を優しくさすっていた。お腹は大丈夫そうだ。

病院に着き、体重・血圧などを測った後、診察室に通された。ぼくはストレッチャーの上に仰向けになるように言われた。若い男の医者が来て、問診をした。彼は英語で質問をしてきた。ぼくはほとんど何を言っているのか理解できなかった。「日本語のできる医者は?」と聞いたが、「今日はいない。」と言われた。これじゃあ何のためにこの病院に来たのか分からない。ぼくは彼の英語を注意深く聞いた。知っている単語を頼りに、病状を伝えようと試みた。しかし、あんまりうまく伝わらなかった。若い医者はイライラしてきたのか、語気を強めはじめ、ため息すらつき始めた。そこに若いナースが入ってきた。彼女は、ぼくと若い医者の間に入りぼくに伝わるようにジェスチャーを交えてコミュニケーションをはかった。それでどうにか問診が終わった。その後注射をすることになった。ぼくは注射が嫌いで、身を硬直させていた。すると30歳くらいのベテランナースが注射をすべく、道具を持ってぼくの傍に寄ってきた。ジェスチャーでぼくを助けてくれた若いナースは横になっているぼくの、足元のほうにいた。ぼくが青ざめた顔で注射器を見ていると、若いナースが日本語で「イタイ、イタイ、イタイ。」という言葉を残して微笑みながら診察室を出て行った。どうやらタイでは注射する前に患者をビビらす習慣があるらしい。それは確かに痛かった。手の甲に注射を打たれたのは初めてだった。その後X線写真をとり10階のVIP用個室に通された。ぼくは外国人で保険に入っているから、病院側としてもたっぷり治療費を取りたいのかもしれない。ぼくには関係のないことだ。部屋は異常にエアコンが効いているように感じた。あるいは悪寒がしていただけかもしれないが。ぼくは「さむい。」と言った。ナースは少し温度を下げてくれた。しかし、汗で湿ったシャツを替えてくれることもなく、濡れたままの服でベッドに入れられたため、いっそう寒さを感じた。そして室内の明かりが消された。ぼくはブルブルと震えた。しかし、疲れていたこともあり厚手の掛け布団に身をうずめすぐに眠った。その後数時間おきに体温と血圧を測りにナースが来た。そのたびにぼくは目を覚ました。ナースはぼくの首筋に手の甲をあて、熱の具合を測った。ぼくは、少しだけ、人の温もりが人を治癒させることもあるかもしれないなと感じた。