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旅行記 6日目 (チェンマイ)

タイ旅行

寝台列車ってのはほんとに快適だよ。やっぱベッドの上で寝られるのは、最高だよ。3月に行った春木君とのヨーロッパ旅行の時には、ポーランドあたりで夜行列車に乗ったんだけど座席に横になって眠るのはなんだか起きたときに疲れが残っちゃうんだよね、それに肘掛が邪魔だったりしてさ。まあそれはどうでもいいことなんだけどさ。ぼくの乗った列車は、上段は収納式のベッドを開くタイプで就寝時までは、下段の向かい合った座席に1人ずつが座るタイプだったんだ。(この向かい合った座席が下段のベッドになるんだ)ぼくの対面には40代のちょっと小奇麗なおばさんが座ったんだけど、このひとが相当に品がよくて、どっかの資産家の細君に違いないよ。読んでる雑誌なんかも、ちょっとした上流階級の奥さんなんかが読んでそうなファッション雑誌で、下々の民にはちょっと手の届きそうもないような服が掲載されているようなやつなんだ。その人はパッと見、つっけんどんな感じがするんだけど、ぼくはなんていうかその溢れるような慈悲深さってのを一見して感じ取ったね。それは発車して1時間くらいが経過した頃だったんだけど、外は、日本なら間違いなく運転を見合わせちゃうような、激烈な暴風雨だったんだ。列車も徐行運転を繰り返したりして、かなりののろのろ運転だったんだ。ぼくは持ってきた文庫本を読んで窓外に目をやったりしてその風雨になんだかドキドキしてたんだけど、そんな悠長なことも言ってらんないような事が起きたんだ。ぼくたちの座席の窓が、もうかなりのおんぼろで上下に開閉するガラス窓がうまく閉まんなくて、1分毎にずり落ちて来ちゃうんだ。当然、開いた窓の隙間から、雨が吹き込んできてこれはもう読書どころの騒ぎじゃないんだ、もう大惨事だよ。周りをみるとどこの窓も似たり寄ったりで、みんな自分とこの窓の応急処置を懸命にやってるんだ、ずぶぬれになって。乗務員のおじさんが来て、慣れた手つきで一つずつ窓を閉めて、まあ何とか全部の窓を力ずくで閉めて、錆びたつっかえで窓がずり落ちないようにしたんだ。ぼくらのとこの窓も一応直ったんだ。それで濡れた座席をティッシュで拭いて、向かいのちょっと品の良いおばさんと顔を見合わせて、肩をすくめあったりして。30分位して直ったかに見えた窓がまたずり落ちてきたんだ。しかも今度はぼくらのとこだけ。困ったなぁって思って、すぐに窓を閉めようとガラス窓を上に持ち上げたんだけどすぐにずり落ちちゃうんだ。それでなんか、ものをかませようってことになって(僕と品の良いおばさんは無言で復旧活動にあたったな。言葉は一言も交わさなかったなぁ。必要なかったんだ。2人が今そこにある難事業に果敢に向かっていくときにいったいどんな言葉が必要なんだろう?)、おばさんがティッシュをかませたんだ。それで何とか急場はしのげたんだけど、またすぐに窓がずり落ちてきたんだ。ティッシュが溶けたんだ。それで今度はぼくがまだ未使用のポケットティッシュを取り出して、これを隙間にかませようとしたんだ。(プラスティックの袋に入っているから水に溶ける心配はないんだ)だけど、おばさんがそれはダメだなんてことを身振り手振りで伝えてきたんだ。なんだかわかんないけど、未使用だからそれは取っておけ、なんて言っているようだったよ。とにかくなんだかぼくの所有物をかませるのは忍びないって感じでまた自分の荷物からなんかないか探り出したんだ。そうして、おばさんが出したのはハンカチよりもっと厚めのフェイスタオルみたいなやつだったんだ。まだ洗濯後一度も使われてないんじゃないかってくらいに綺麗に四つ折りにされてたよ。まさか、そんな綺麗なタオルが、ぼくのポケットティッシュのかわりにさび付いた窓の隙間に挟まれるのは、ぼくの心が痛むって感じで、止めさせようとしたんだ。だけど、品の良いおばさんはそうさせなかったよ。頑として自分のタオルを使うって言うんだ(言葉じゃないよ、行動がそう言うんだ)。ぼくはなんだか、その強い意志とやさしさに心が打たれて、恥ずかしい話だけど、座席にへたり込んじゃったんだ。それでその強くやさしいおばさんは、自分のタオルを錆び付いた窓枠の隙間にはさみこんだんだ。その人は修繕の終わった窓を見て、「これでよし!」っていう満足げな顔をしたんだ。ぼくはその横顔をみて、本当に心を打たれたんだ。おばさんは座席をティッシュで拭いて(本当はぼくがするべきだったんだ)、腰かけ、こっちを見て微笑んだんだ。ぼくは頼りなく会釈をして、何か言わなければって思ったけど、何も言えなかったよ。そそくさと、文庫本をとり出して、また読み出したんだけどまったく内容が入ってこなかったよ。本当に胸がいっぱいだったんだ。
そして(言うまでもないことだけど)それ以後、いくら雨風が強く降っても、ただの1滴も雨は入ってこなかったよ。

チェンマイ到着は予定よりも3時間ほど遅れて朝の8時半ごろだったよ。ぼくはまだ上段のベッドに寝転がっていたんだけど、下段のやさしいおばさんが、「チェンマイ。」って教えてくれたんだ。外を見ると雨は止んでいて、朝のチェンマイ駅は閑散としていたな。ぼくは荷物をまとめて、おばさんにお辞儀をしたんだ。おばさんは微笑んでくれたよ。それでなんだかとても清清しい気持ちになったんだ。あの品の良いおばさんに会えたのは本当によかったな。

駅から市街地まではトゥクトゥクに乗って行ったよ。町のメインストリートをひたすら真っ直ぐに。市街地の入口である「ターペー門」で下ろしてもらって、近くのゲストハウスに入っていったんだけど、そこのスタッフの言っている事が例によって分からずになんとなく、はいはい言っていたら650バーツ(2000円)の部屋に泊まりそうになっちゃったんだ。さすがに高いから別のとこに行こうかと思ったんだけど、まあ、チェンマイ初日だし、ちょっとだけ奮発するかってことでここに宿を取ることにしたよ。『トップノースホテル』はなんていうか2000円の割には豪華だったな、プールはあるし、隣接してる施設には3軒もレストランがあるし、ネットカフェもあるしで。部屋もゴージャスだったよ。トイレ、シャワーはもちろんバスタブまであるんだ、ここまでくると小躍りしたくなるね、実際の話。しかもTVまで付いていてNHKまで映ったよ。ひたすら見たよ。小1時間。シンガポールでは「デング熱」が流行っています、なんてアナウンサーが言っていて、対策は蚊にさされないことですなんて、まじめに言うから思わず吹いちゃったよ、蚊に刺されない方法なんてあるの?とにかく早速バスタブにお湯を張って、30分くらい浸かっていたな。(結局翌日のチェックアウトまでに4回はお湯を張り替えたよ)
風呂にも入ってさっぱりしたところでとりあえず町を歩いたよ。チェンマイの市街地は城壁で囲まれていて、春に行ったエストニアのタリンを思いだしたな。ここもタリンと一緒で城壁の内側にはあんまり観光名所ってのはなかったな。それで早くも暇を持て余しちゃったんだな。いつものことさ。その後はなんていうか、あんまり言いたくないんだけど、あの清潔なベッドでごろごろしちゃったんだ。とにかくピカピカで清潔なシーツだったんだ、それに掛け布団も付いていたしさ、ぼくじゃなくてもごろごろしたくなるよ、信じないなら一度『トップノースホテル』に行って見るといいよ、自分で体感すればいいんだ。

それで17時ごろにナイトバザールにいったんだ。そこで露店をひやかして、屋台で夕飯を食べて、すぐにホテルに戻ってバスタブのお湯を新しく張り替えて、ゆっくりと浸かったんだ。そして、ベッドにもぐりこんでNHKを観たんだ、まるっきり日本にいるときと同じ生活さ。ストレスがなくてよろしいって感じだね。そこで観た番組は、愛知の豊橋にある高校の伝統行事である、「街歩き」を追ったドキュメンタリーだったよ。40キロだか50キロの距離を夜通し歩くっていう、相当にしんどい行事で何でそんなことするのなんて言っちゃいけないよ。とにかく、全生徒学校関係者のうち数人でもいいから、ゴール後に涙を流しながら抱き合って、恩師・友との絆を深め合えばそれはすばらしいじゃないか。たとえ他のすべての人間が無感動で「ダセー」なんて言っていたとしても、結局のところ数百人の共通理解なんてものはないんだし、何に感情が揺さぶられるかなんて人それぞれさ。だから全生徒学校関係者の数%の人間が心打ち震えているのならそれは成功といえるんじゃないか?ぼくはそう思ったよ。たとえぼくがかなりの無感動派の人間だとしてもさ。あーあ、いいこと考えた。

寝よっと。

タイ 中進国の模索 (岩波新書)