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裏銀座縦走と高天原温泉とおじさん

登山

2016/8/13 sat 竹橋~七倉ダム

2016/8/14 sun 七倉ダム~高瀬ダム~烏帽岳

2016/8/15 mon 烏帽子小屋~野口五郎岳~水晶小屋~高天原山荘

2016/8/16 tue 高天原山荘~鷲羽岳~双六岳~双六小屋

2016/8/17 wed 双六小屋~鏡平~わさび平~新穂高温泉~平湯温泉~新宿

 

深夜バスが七倉ダムに着いたのは朝の3時半過ぎだった。20名ほどの登山者が降りた。到着した駐車場は真っ暗だった。バスの乗務員からザックを受け取り、七倉山荘の前のプラスチック椅子に腰掛けて荷物の整理を終えると、私は注意深くあたりをうかがった。よく見ると暗闇の中に数台の乗用車がとまっていた。車内で登山者が車中泊しているのか、あるいは登山者が置きっ放しにしている車なのかはわからなかった。真っ暗闇の中にいくつものヘッドライトの光が揺らめいていた。荷物の整理をする者、朝食を食べる者、公衆トイレに向かう者、小水を垂れる者、朝一の快便の快楽を貪る者、地図を広げる者、登山届けを書く者。登山者は七倉ダムからこの先にある高瀬ダムに向かう。そしてそこから北アルプス三大急登のブナ立て尾根を登るというのが通常のルートになる。この朝に七倉ダムに到着した登山者のほとんどがそのルートを目指すはずだ。私たちが乗ってきた新宿方面からの深夜バスは到着時間が未明だった。七倉ダムから高瀬ダムへは、タクシーで行けば15分とかからないが、徒歩で行くとなると2時間弱かかると言われている。高瀬ダムまでの道路を重い荷物を背負って歩きたくないと考える登山者の多くはタクシーを使う。七倉ダムから高瀬ダムの間は特別タクシーしか運行できない。そしてそのタクシーの運行開始は5時半からとなっている。そのため深夜バス利用者で、タクシーを使って高瀬ダムを目指す者は、この七倉ダムで2時間弱ほど時間をつぶさなくてはならない。タクシーを使わず独力で歩くという選択肢をとる者もいる。なにしろ登山者は登山に来ているのだ。歩きに来ているのにタクシーに頼るというのは本末転倒だと考える者や、時間を無駄にしたくない者、2時間も時間をつぶすのが面倒な者は、徒歩という選択肢をとる。しかしここで問題が出来する。未明の歩き出しの最初に直面するのが、七倉ダムの登山ゲートの先に立ちはだかる真っ暗なトンネルである。ゲートの手前からトンネルの中をのぞくと、そこには完璧な闇が広がっている。霊感が強くなくても、臆病者でなくても、言いしれぬ恐怖を感じる不気味なトンネルだ。ここを独りで歩く気にはなれない。怖い。トンネルを抜けるのに要する時間は30分ほど。その間ヘッドライトを頼りに、気味の悪い隧道内を歩かなければならない。幽霊が出たら卒倒する。動物が出ても心臓が飛び出る。人が潜んでいたら…。パーティならいざ知らず、単独行でこの気味の悪い穴に特攻するのは勘弁願いたい。ということで私は荷物を点検するふりをしながらも、誰か勇敢な登山者がトンネルに向かわないか、注意深くあたりを伺っていた。すると一人の男性が軽やかな足取りで登山ゲートに向かうではないか。ベテラン登山家かもしれない。私はそのチャンスを逃すまいと、その男性の後を追おうとして、やめた。というもの、いま彼の後を追っていったら、周りから「あの後続者の抜け作め、一人で未明の隧道内を歩くのが怖いから先行者に随行しようっていう魂胆だな」と看破されるのは目に見えている。それは私のプライドが許さない。どうしよう、こうしよう、ああしようと思案しているうちに、勇敢な登山者はゲートをくぐり抜けて先に行ってしまった。細いヘッドライトの明かりがすぐに点になり、闇に消えた。私は途方に暮れた。そして諦めた。歩いて行けば高瀬ダムに5時半前にはつくかもしれない。しかしタクシーで行っても、高瀬ダムに着くのは5:45ぐらいだ。だとしたらその差は15分。歩く体力を温存しよう。5時半過ぎに3台のタクシーが来た。私はその第一陣には乗れなかった。タクシーを待っている間近くにいたおっさんと喋った。折り返し運転で戻ってきた第二陣に乗り込み、4名での相乗りで高瀬ダムに向かった。その頃にはあたりは明るくなっていた。タクシーで15分の距離を歩くのはしんどそうだった。ダムの手前の道はつづら折りの上り坂になっていたので歩くのに難儀しそうだった。タクシーに乗って正解だと思った。料金は4人で2000円。私以外の三人はパーティだった。500円を運転手に支払い、荷物を受け取った。ダムは寒かった。毎度のことだが、もうこの時点で帰りたくなっていた。これから山で3泊もしなくてはいけないのだ。想像するだけでウンザリした。荷物が重い。昨晩竹橋まで向かう電車の中で長野県の天気予報を見て、雨マークが出ているのを発見したとき、山行を中止しようかと本気で思った。往復の高速バス代のキャンセル料金はかかってしまうが、そのぐらいなら許容だと思った。どんよりした気分のまま毎日新聞社に入り、受付を済ませると、憂鬱症が発症した。まわりの登山者の多くはパーティで皆これから始まるお盆休みの山行に胸を躍らせているように見えた。私は孤独だった。そして帰りたかった。計画を立てて、地図を買い、眺め、ギアや食料を購入し、パッキングして、直前でキャンセルするまでが登山の醍醐味だと思っているので、本当に山に行くのは蛇足でしかない。興ざめもいいところだ。深夜バスなどという窮屈な空間で数時間過ごすなど狂気の沙汰だ。事実、隣に座った山男は深夜寝ているときに何度も私の領土を侵犯した。数度、男の生肌が私の肘に触れた。ぼこぼこにしてやろうかと思ったが、返り討ちに遭って半殺しにされるのは目に見えているので、止めた。そして未明の隧道問題だ。嫌なことばかりだ。しかしそれでも歩き出さなくてはならない。ダムの上の道路を歩き、周りの登山者の後ろを追いかけるように、裏銀座縦走2016がスタートした。すぐに先ほどタクシー乗り場で二言三言言葉を交わしたでっかい荷物を持ったおっさんを追い抜かした。「もってきたビールが破裂したがや~」とおっさんがいいながら、ザックから荷物を引っ張り出して地面に並べていた。「ビールはいいがや、においがきついじゃぁ」みたいなことを言った。方言だったので語尾はおそらく全然再現できていないが、まあ大意はそんな感じだった。「先行っていいじゃ~」と言われたので、先に進んだ。私はなるべく荷物を軽くしたいと考える軟弱者なので、ビールや酒類を持ってくる人たちの気持ちがわからない。そもそも酒をあまり飲まない。確かに山頂で売っているビール類の価格は高い。下で200円ぐらいの缶ビールが上では600円ぐらいする。もし私が酒飲みでも、おそらく自分で担ぎ上げることはせず、山小屋で馬鹿みたいに高い酒を金にものを言わせて買うと思う。しばらく歩くとやっとブナ立て尾根の登山口についた。今日の天気予報は晴れだった。さっそく自慢の脚力を駆使して北アルプス三大急登を制覇すべく、一歩を踏み出した。しばらくしてウンザリした。股の筋肉がそうそうに悲鳴を上げた。汗が滝のように流れ落ち、息が上がった。そして私は孤独だった。励まし合う友もおらず、軽口をたたき合う岳友もない。ママもパパもいない。まあ父親は10年前に出奔したわけだが。ともかく、孤独だった。裏銀座といわれるこの山域の嫌な点は、引き返すのが困難な点だ。途中のエスケープルートもあまりない。山が深く、アクセスしづらいのだ。登りだしたが最後、歩ききらなくてはならない。ブナ立て尾根は私にはハードだった。登り口に12とナンバリングされており、登るごとに1ずつ減っていくカウントダウン方式がとられている。どこの山もそうだが最初の1時間というのは最もつらい。山登りの勘や生理を思い出すまでがしんどい。10あたりで速くも私の体力はつき欠けた。木々がうっそうと茂るその隙間から、高瀬ダムが見えた。まだこれだけしか登っていないのか。畜生め。私は山に悪態をつき始めた。尾根に罵声を浴びせかけた。コケや草花や虫たちを呪った。なんで私は山なんかに来てしまったのだ。登山道に座り込んでストを断行しそうになった。しかしそんなことはしていられなかった。今日はこの尾根を登った先にある烏帽子小屋のテント場に泊まる予定なのだ。テント場が混雑する前に到着しなくてはならない。4時間半ほどで到着する予定なので昼前につけるはずだ。その時間ならばテント場はまだ空いているはず。しかし、急ぐのに越したことはない。私は途中で行動食を摂りながら、歩き続けた。写真など撮る気になれなかった。山を呪いながらゼエゼエ言いながら登った。今回の山行は単独行だった。しかし単独行だからといって誰とも喋らずに登るというわけではない。先ほどの訛りのひどいおっさんもそうだが、単独行同士はわりと気軽に言葉を交わす。ブナ立て尾根を登っているときも、パーティの登山者とは挨拶程度しか言葉を交わさなかったが、単独行の何名かとは挨拶以上に喋った。だいたい同じようなペースで同じような間隔で休憩を入れるので、登っているうちに顔なじみになる。急登のキツさやこの後のルートや景色のことなど、雑談をかわす。単独行の多くは50代以上のおじさんだった。その中の一人は60歳を超えているように見えた。70近いかもしれない。完璧に老人だった。ほかの登山者と話したり、観察したりする中で、彼らから多くのことを得られる。老人が休憩しているときにザックからビニル袋を取り出し、桃を取り上げて、ナイフで皮をむいてむさぼり食っているのを見たとき、ただ者じゃないなと思った。普通フルーツは重いのであまり山には持って行かない。傷みやすいというのもある。しかし途中で食べてしまえば、缶などと違ってカスの重量などたかがしれている。重さよりもなによりも老人が食べている桃は激烈に旨そうだった。糖分を得られ、さらには瑞々しい汁によって、水分補給までできる。理にかなっている行動食といえる。いままでフルーツなど持ち物の選択肢に入れていなかったが、次回からはこの老人に倣ってフルーツを持ってこようと思った。ベテラン勢から得られる山テクニックは多い。その老人と話しているときもうあと1時間ぐらいでつくはずと教えられ、最後の力を振り絞ってブナ立て尾根を登ると、果たして午前10:30に烏帽子小屋に到着した。4時間半の歩行であった。テント場で料金を払い、テントを設営し、ガスる前に烏帽子岳を登った。山頂は快晴だった。明日以降に登る山々や稜線が一望できた。山頂の平らな岩の上で昼寝をしていると先ほどの訛りのひどいおっさんが現れた。話しているうちに、破裂したビールはロング缶で破裂したもの以外にあと5本持ってきているということがわかった。それだけで3キロの重量だった。いったいザックの重量はどれくらいあるのかとあきれ半分に聞くと「30キロ弱」だという。私のザックは15キロ弱だった。いろいろ話していると、おっさんは60歳だということがわかった。還暦で30キロのザックを背負い、このあと山で4泊するという。猛者だった。テント場に戻るとすることがなくなり、私も缶ビールを買い、おっさんとささやかな酒宴を開いた。小さな虫が顔の周りを飛び交っていた。目の前には明日登る野口五郎岳に向かう稜線が伸びていた。その稜線の左半分が雲で覆われ、右半分が晴れ渡っていた。隣にいた山ガールや山おじさんたちも集いはじめ、4人でいろいろと話した。ブナ立て尾根はきつかったが、烏帽子岳からの絶景や、テント場での単独行の人たちとの会話や酒宴は山ならでは楽しさを感じられた。4時半にそろそろ夕食の時間にしようとおっさんが言い散会となった。山の夜は早い。またどこかでと挨拶を交わしたが、明日以降、皆、別々の時間に別々の山を目指すので、今後もう二度と逢うことはないだろうなと思った。5時に飯を自炊し、食べ、歯を磨き、軽く糞を捻ろうかと思ったが、出たのは水っぽい屁だけだった。就寝は6時過ぎだった。二日目は朝3時過ぎに起きた。昨晩はよく寝られた。疲れていたからだろうか。朝飯を食べ、糞をしてテントを撤収して登山を開始した。出発前におっさんたちのテントを見るとまだ起床すらしていないようだった。烏帽子小屋から今日は水晶小屋に向かい、水晶岳をピストンして、ワリモ分岐を経て、秘湯の高天原温泉に向かう。高天原温泉は日本一遠い温泉といわれている。登山口から温泉に行って帰るまでに最低2泊は要する。登山者しか立ち入ることのできない本当の秘湯だ。山では基本的に風呂に入れない。3泊も風呂に入れないとなると体がべたつき不快になる。不潔で野蛮な登山者は耐えられるのだろうが、私のようなシティボーイは耐えられない。実は昨晩も寝る前に膝の裏や首回りなどに嫌なべたつきを感じた。ボディシートで何度も拭いたのにべたつきが解消されなかった。もういっそのこと下山してやろうかなと思った。縦走などしないで下山してお湯をいただいてやろうかと思った。怒りの入湯。しかし今回の行程では秘湯に入れるのであと1日我慢すれば体をキレイにできると自分に言い聞かせてなんとか怒りを収めた。心配なのは天気だった。いろいろな人に話を聞くと、どうも今日の午後から雨が降り出すらしい。明日も雨らしい。とにかく雨が降り出す前に距離を稼がなくてはならない。三ツ岳、野口五郎岳までの稜線は予想よりも距離があるように感じられ、早くもへばった。天気はなんとかこらえていたが、終始ガスっていて景色もへったくれもなかった。途中、昨日の桃じいさんとすれ違った。どうやら桃じいさんとは今日も同じルートのようだ。挨拶もそこそこに先を急いだ。野口五郎小屋に着くことに雨が降り出した。まだ霧雨程度だったが、ザックカバーとレインウェアを装着した。寒かったので手袋もつけた。行動食をほおばり、水を飲んだ。カロリーが圧倒的に足りなかった。シャリばて気味だった。野口五郎岳の山頂を踏み、ひたすら歩を進めた。正直展望のない山行はつまらなかった。晴れていればアルプスの山々が見えてのだろうが、ガスで辺り一面真っ白だった。ひたすら足下だけを見つめ続け苦行のように歩いた。水晶小屋には朝の10時に到着した。雨が強くなりかけていた。小屋の外で雨に打たれながらパンをかじった。水を飲んで真っ白な風景を眺めて、この後のルートを検討した。本来ならばここに荷物をデポして水晶岳にピストンする予定だった。行って帰って1時間と行ったところだ。しかし行ったところで眺望は望めない。水晶岳は百名山の一つなのでせっかくなので行こうかとも思ったがそれよりもなによりも早く風呂に入りたいという思いが勝った。風呂、風呂、風呂。温かいお湯をいただきたい。およそ山屋らしくない軟弱なマインドだが、私は都会派なのでとにかく汚れが気になって仕方ない。関節周りの痒みもそうだが、やはり、風呂に入らないと股間というか、股がかゆくなるような気になる。実際にはかゆくはないのだが、一日中歩いていると股ぐらがもっとも汗をかく説を私は密かに提唱している。ということで、水晶岳は巻くことにした。実は水晶岳経由で高天原温泉に行くルートもあるらしいのだが、推奨ルートではないバリエーションルートなので、悪天候もあり、そちらのルートは行かないことにした。二つ目のパンをほおばった後、ワリモ分岐を目指した。水晶小屋までの歩行が5時間だったの、すでに疲労が色濃く出ていた。水晶から先に行く場合、多くの人は三俣山荘を目指す。黒部の山賊でおなじみのあの三俣山荘だ。または雲ノ平を目指す人もいる。私はどちらでもなく高天原温泉を目指す。高天原を目指す人は少なかった。雨と霧の中、心細くなった。今まではルート上に結構人がいたのであまり不安を感じなかったが、人の気配がなくなると、とたんに気分が沈んだ。帰りたくなった。しかしここは北アルプスだ。帰りたくても帰れない。とにかく高天原山荘を目指すしかない。そこには湯があり、飯がある。そして人がいる。今回の山行で唯一の小屋泊だ。9200円も払うのだ。英気を養おう。ワリモ分岐についた。ここが鷲羽岳、三俣山荘、雲ノ平、高天原の分岐だ。私は高天原へ向かった。いよいよ人が少なくなってきた。高天原に行くには、いままで稼いできた高度を一気にくだらないといけない。標高差700mぐらい下る。温泉は下のほうにあるのだ。3時間下る。嫌なことに、明日同じ道を上り返さなくてはならない。考えただけでもしょげる。しかし今日はとにかく下る。宿へ。温泉へ。人にはまったく逢わなかった。高度が下がるので樹林帯を歩くことになる、必定、熊の気配を感じとることになる。いや、実際には別に熊を見るとかいうことはない。しかし、いそうなのだ。いや、たぶんいるだろう。私は熊鈴を鳴らしながら歩き続けた。下はぬかるんでいたり、濡れたガレ場だったりして、スベりやすくなっていた。登山道にせり出した木の枝で何度か頭を打った。下りは足にこたえた。雨は時折強く降った。時々、開けたところに出たときに、いま下ってきた山の稜線を見上げた。かなり下ってきた感じがする。明日また登り返すのか。とにかく今日は下る。下り倒す。コースタイムでは3時間の下りだ。一日8時間も歩行するのはやはり疲れる。時折GPSで自分のいる場所を調べながらあるいた。GPSすごい。文明の利器を使い倒す。最後の30分ぐらいは疲労が限界に来ていた。熊も怖かった。独り言が増えた。疲れた疲れた疲れた疲れたと声に出すようにした。熊が怖かったからだ。別に過去にこのへんで誰かが熊に襲われたというニュースは聞いたことがなかったが、いそうだと思ってしまったらもうその不安をぬぐい去ることはできない。最後の20分は、疲れや熊の恐怖のほかに、このだらだら続く下りに腹が立ってきてずっと、ファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックファックと呟きながら歩いた。あんなにファックを連呼したのは初めてだった。とあれ、予定よりも早いタイムで高天原山荘に着いた。雨はウンザリするほど降っていた。チェックインすると2階の3番というスペースをあてがわれた。どうも今日は客が少ないらしく、一人に1枚の布団が与えられるらしい。小屋泊はひどいときには2枚の布団に3人で寝るときがある。見ず知らずの臭い登山者と隣り合って寝返りも打てない環境で寝ないといけない。それが回避されたのは良かった。さらに、一つ飛ばしで寝られそうだった。私の隣は1番と5番。お盆は混雑すると思っていたが、そうでもなかった。確かに近年、お盆の混雑を嫌って、お盆の前後に山行に出かける人が増えているというニュースを見た記憶があった。もしかして空いてるかもという期待もあったので、そのとおりになって良かった。薄暗い小屋で荷物を整理し、壁際に並べられたたたまれた布団に背を寄せ、遅い昼飯を食った。ドライフードのチャーハン。まずかったがカロリーを摂取しなくてはならない。小屋の水はタダだった。外は雨が降り続けていた。1番の布団では坊主頭の男性が窓からの明かりをたよりに書見していた。5番ではおじさんが荷物のチェックをしていた。雨はやみそうになかった。必要なものをドライバッグに詰め込んで、登山靴を履いて、レインウェアを着込み、野天の風呂に向かった。野天風呂は小屋から徒歩20分かかる。さすがに日本一遠い温泉だ。小屋からすら遠い。しかし私の心はるんるんだった。何しろ股ぐらを洗えるのだ。この不快な気分を洗い流せるだけで気分は弾んだ。野天風呂は3つあった。2メートルぐらいの小さな橋を渡った先に四方を囲まれた女性専用風呂があり、その隣に混浴の風呂があった。混浴の風呂は3辺が囲われていたが1辺は開けていた。女性は女性専用風呂しか入らないような感じらしい。そして混浴風呂から川を3mぐらい渡渉した先に完全な野天風呂があった。3人ぐらいは入れる広さの、周りからは丸見えの風呂だった。ここも一応は混浴だった。服を脱ぐ前にその野天風呂を見ると、なんと、朝方同じルートを歩いていた桃じいさんがすでに入湯していた。なぜ、あなたが私よりも先に。と問いかけると、自分は水晶岳を経由してバリエーションルートで来たという。じいさんのくせにすごい。さすがにこの山域を歩く人たちは誰も彼も猛者ばかりだった。私は小さな橋を渡り混浴風呂の横の脱衣所で服を脱ぎ、まずは誰もいない混浴風呂に入ったら、ヌルかった。脱衣場にいた先客によると、さきほどまで風呂の掃除をしており、いまお湯を入れ替えているという。なるほど湯の番人みたいな人がいるのか。しかたなく、野天風呂に向かおうとして逡巡した。野天風呂に行くには川を渡渉する必要がある。裸で。脱衣場にいる先客に聞くと、先に入っているじいさんはパンツ一丁で川を渡り、風呂の周りでパンツを脱いだとのことだ。自分は恥ずかしかったのでそれができず、野天には入らずもう帰るという。なるほど、雨で人がいないので誰に見られるわけでもないが、確かに、パンツ一丁で川を渡り、風呂に入る前にパンツを脱ぎ捨て湯船に入るというのは、なれてない身にとっては恥ずかしい。突然レディが現れないとも限らない。しかし入らない手はない。私はパンツを穿き、雨の降る中、川を渡渉し、円形の野天風呂の縁にたち、素早くパンツを脱ぎ捨て、湯にドボンと入った。予想外に熱く驚いたがすぐになれた。すぐそばの源泉からひかれた温泉は最高だった。昨日、今日の汚れがキレイに落ちた。頭から湯をかぶり、顔を洗い、周りの山々を眺めながら、湯を堪能した。途中、一人男性が入ってきた。彼は股間をタオルで隠しながら川を渡渉してきた。幸い雨でほかに人がいなかった。これが晴天でまわりに人がたくさんいたら、私は恥ずかしくて野天風呂には入れなかったかもしれない。湯の中でその男性、桃じいさんの三人でいろいろと話した。桃じいさんは御年74という。1週間ぐらい山で過ごす予定とのことだ。もう一人の後から入ってきた男性は60歳だった。見た目にはまったくそうは見えなかった。黒々としたさらさらヘアで金色のネックレスをつけていた。少しだけ肉付きのいい氷室京介みたいだった。一瞬、ヤンチャな人なのかなと思ったが、話しているうちに普通の勤め人であることがわかった。孫も1人いるという。ルートは折立から入り、今日は高天原山荘に泊まり、明日以降は双六経由で新穂高温泉におりるという。つまり、明日以降のルートは私と同じだった。1時間ぐらい湯に入っていただろうか。その間、誰一人湯に入ってこなかった。三人で独占できた。あがる頃には雨が上がっていた。私は前だけを隠し、川を渡渉して脱衣場に戻った。パンツを穿き、パンツ一丁で川で洗濯をした。山荘に帰る道すがら、逆方向から温泉に向かう人々がたくさん歩いてきた。きっと彼らが風呂に入るころには混雑するだろう。雨の中でゆっくりと温泉に入れて良かった。山荘に戻ると、ビールを買ってのどを潤した。先ほどのさらさらの黒髪のおじさんは5番の布団の人たっだ。軽く挨拶を交わした。二回にはテラスがあった。おじさんはコーヒーをわかして飲んだ。途中、「君も飲む?」とお茶に誘われた。私はそれを丁重に断った。そして山荘の本棚にあった黒部の山賊を読んだ。ビールを飲みながら、布団に寄りかかり、窓からの明かりをたよりに読書。しばらくするとテラスのほうから笑い声が漏れてきた。おじさんと、ほかの泊まり客たちが酒宴を始めたようだ。その頃には空が晴れ渡っていた。水晶岳が眼前に広がっていた。私は1階に降り小屋の前の椅子に座りしばらく目の前の山並みを呆然と眺めていた。ほかの泊まり客たちも、何をするでもなく、何を喋るでもなくただ目の前の雄大な景色をぼんやり見ていた。5時前に夕食の準備が整った。食堂に通され、受付の女性に席を指定されて坐った。私は左奥の席だった。しばらくすると、5番のおじさんが隣に腰掛けた。軽く挨拶を交わした。なんとなく、このおじさんに対して親近感のようなものが生まれた。風呂で一緒になり、となりの寝床で、夕食も隣。おじさんは酒宴で多少酒を飲んでいたが、別に酔っていなかった。おじさんに限らず、単独行の人たちは皆、非常に理知的で温厚な人間が多かった。あるいはそう見えた。山に入れば皆そのように見えるのだろうか。とにかく、言葉も振る舞いも、距離感も何もかも、過剰なものは一切なかったし、ねっとりとしたものも一切なかった。6人テーブルで、必要最低限の会話を楽しんだ。私はほとんど口を開かなかった。酒宴に混じらず、一人で布団にもたれて読書をしていたので、おじさんはなんとなく、私のキャラクターについては察していたと思う。飯は期待していたよりもおいしくはなかった。ただ、白飯と味噌汁は旨かった。男性陣はほとんど皆おかわりをしていた。私は元来小食で、おまけに食べ過ぎるとおなかを壊す自信があったので、おかわりは控えた。食後はまたおじさんたちは酒を飲んでいた。桃じいさんも混ざっていた。私は読書にふけった。昨日今日歩いた場所が舞台の本だったので、楽しく読めた。途中、下痢をした。そしてまた読書をした。そしてまた下痢をした。その後、6時過ぎには就寝した。酒宴も6時ごろには終わっていた。山の夜は早い。寝る前、布団の中でおそろおそる屁をこいた。下痢の収束を告げる優しいすかしっぺが出た。明日の体調は大丈夫そうだ。3日目の朝は予想に反して、晴れていた。朝食は小屋に弁当を準備してもらった。おじさんは5時から朝食を食べると昨日言っていた。4時半頃にザックを持って階下に向かおうとすると、おじさんが布団から起き出し、「気をつけて」と私に声をかけた。私は照れ笑いを浮かべながら、「ありがとうございます。では」と挨拶をした。おじさんと私は今日、同じ方向を目指して歩く。ただルートが微妙に違う。私はワリモ分岐まで登り、鷲羽岳を経由して、三俣蓮華岳を登り、双六岳にも行く。そこから双六小屋に向かい、テント場に泊まる。おじさんは高天原山荘からワリモ分岐まで登り、鷲羽岳、三俣蓮華岳、双六岳を巻いて(登らないで)、双六小屋を経由して、鏡平まで降りる。そして鏡平の小屋に泊まる。そのため、もしかしたら今日は一度もルート上で顔を合わさないかもしれない。明日も逢わないかもしれない。ということはもう二度と逢わないということだ。少し残念な気がしたが、山ではよくあることだ。私は5時に小屋を出て昨日降りてきた道を上り返した。途中、小屋で一緒だった女性二人組を抜いた。今日のルートをお互いに話し、私はそそくさと先を急いだ。今日も9時間ぐらいの歩行が予想された。登りはきつかった。雨が降っていないのが救いだった。ワリモ分岐にたどり着いた時には快晴だった。下の方を見ると先ほどの女性二人組が見えた。その横には黒服の男性の姿が見えた。あんな服装の登山者いたかなと不思議に思った。まさか熊、と思ったがそんなことはなく、遠目に見ても人間だった。ワリモ分岐からは、この山行でもっともキレイな山の景色が見られた。時間がまだ早くガスがなく、視界は良好だった。稜線をあるく登山者の豆粒みたいな姿がそこここで見られた。鷲羽岳を目指した。百名山の一つだ。山頂手前でへばった。やはりテント泊の装備は重い。やっとの思いで頂上につくと、先ほど女性と歩いていた黒服の男性がほとんど私と同じタイミングで頂上を踏んだ。近くで見ると、おじさんだった。「あれ!」と私が驚いて言うと、おじさんは嬉しそうに不敵な笑みを浮かべていた。予定では鷲羽岳は巻くはずだったが調子が良かったので来てみたとのことだ。それにしてもすごいスピードで歩く人だ。60歳にして私よりも歩行スピードが速いとは。鷲羽からは槍ヶ岳が見えた。おじさんと二人、頂上でおにぎりを食べ、少し休憩してから三俣山荘へ向かった。途中、黒部五郎岳が見えた。おじさんが、あそこの山はいいよと教えてくれた。おじさんは押しつけがましさがなかった。自分が行ったことのある山で良かったところを、たんたんと教えてくれた。おじさんはすたすたと下っていった。私はおじさんにだいぶ遅れて三俣山荘に着いた。ベンチに座り二人で昼飯を食べた。そこに先ほどの女性二人組が現れた。彼女らは、鷲羽を巻いて、黒部源流を経由して、先に三俣山荘に着いていたらしい。彼女らもまた、おじさん同様に今日は鏡平まで行くという。なんでも明日には台風の影響で天気が荒れるかもしれないので、できるだけ今日のうちに下山口に近いところまで降りておきたいとのことだ。私は気持ちが揺らいでいた。私も彼らと一緒に鏡平まで降りようか。そうすれば翌日は新穂高温泉まで3時間とかからないだろう。雨の中の歩行時間を考えたら鏡平まで行った方がいいのだろうが。おじさんは迷っている私に、「もし鏡平まで来るなら、かき氷をおごるよ」と笑いながらいった。私もおじさんも、小屋での話し相手を求めていた。小屋についてから寝る前の時間はだいたい暇を持てあます。お互いなんとなく、今回の山行の、非公式な同伴者のような感じになっていた。私は「体力的に大丈夫そうなら行きます」とだけいった。事実私は疲れていた。おじさんのスピードについて行くことはもちろん、鏡平まで歩けるかどうかもわからなかった。双六小屋までで限界なような気がしていた。ご飯を食べた後、まずは女性二人組が歩き出し、そのあとでおじさんが歩き出し、私は三俣山荘で糞をしてから、だいぶ遅れて歩き出した。三俣蓮華岳までの登りがきつかった。急登だった。おそらく前の三人とはだいぶ離されているだろうと思いながら歩いた。三俣蓮華岳の山頂に着くと、三人の姿はなかった。休憩を取りながら、ひたすらにあるいた。雨は降っていなかったが、雲行きは怪しくなり始めていた。眺望はなかった。双六岳に着くと、山頂で女性二人組に追いついた。「おじさんは?」と聞くと、もうだいぶ先に行ってしまったと言われた。すごいスピードだ。双六岳で休んでいるときにマップを確認したら、鏡平にはテント場がないことがわかった。体力云々ではなく、今日は双六小屋止まりということが確定した。女性二人組には、おじさんに、テント場がないので鏡平までは行けないという伝言を頼んだ。「僕の分までおじさんにかき氷をおごってもらってください」と言って送り出し、二人は双六岳から小屋方面に下っていった。おそらくもうおじさんには逢えないだろうと思うと残念だっった。とても細い連帯感が切れてしまったような気がした。なんとなく約束を破ってしまったような不義理を感じ、悪いことをしたなと後悔した。しばらく双六岳で休んだあと、もうおじさんには追いつかないと思ったので、ゆっくりと小屋まで下った。小屋に着くと雨が降ってきた。だだっ広いテント場の、周りに人がいないスペースにテントを張った。のどが渇いていたので、ペプシを買って飲んだ。テント場で飲むペプシは旨い。時間があったので、コーヒーを淹れて飲んだ。まあまあ旨かった。暇になったのでテントの中で横になった。話し相手がいないというのは退屈だった。読む本もなかった。おじさんのところに行くべきだったかなと少し思ったが、小屋泊する金はなかった。5時に夕飯を食べ、6時過ぎには寝た。テント場からトイレまで少し距離があったので、寝る前に糞はしなかった。代わりと言ってはなんだが、屁はしっかりと、ひねった。翌日は5時に出発した。雨だった。鏡平についたのは6時半だった。もしかしたらおじさんたちがいるかなと思って小屋のベンチを覗いたが、いなかった。たぶん小屋泊まりの人は5時に朝食だから6時前には出発しているだろう。残念ながら、逢えずじまい。たぶんもう二度と逢うことはないだろう。鏡平からわさび平までの間も、雨に降られた。私は理由もなく先を急いだ。台風の影響はなかったと思う。雨風はそんなに強くなかった。わさび平で一息ついた。淡い期待を持ちながら小屋周辺を見わたすと、あの女性二人組がいた。そーめんを食べていた。挨拶を交わし、「おじさんは?」と聞くと、先に行っちゃいましたと教えてくれた。まだなんとなく昨日鏡平まで行けなかったことに対して謝りたいような気持ちがあったが、どうやらもはや逢うことはできなさそうだ。トマトを食べて、少し休憩して、新穂高温泉を目指した。新穂高温泉に降りたら、そのままバスに乗って平湯温泉に向かう。新穂高温泉でおじさんに逢う確率はほぼない。1時間ほどで新穂高温泉に着いた。まだ時刻は9時半過ぎだった。登山客の一人もいないインフォメーションでバスの時刻を聞いた。7分後に平湯経由高山駅行きが来る。雨具を脱いでザックにしまった。トイレでションベンをした。登山者は誰もいなかった。雨が降っていた。ぼんやりとバス停を眺めていた。すると、インフォメーションの自動ドアが開いた。出てきたのは、おじさんだった。お互い驚いて顔を見合わせ、「あれ!?」と声を出した。おじさんは風呂上がりらしく、さっぱりしていた。髪がさらさらだった。バスの時間が迫っているんでいそいで風呂に入ってきたんだよと言っていた。私は昨日すいませんでした鏡平まで行けなくてと早口に言った。すぐにバスが来て乗り込んだ。平湯までは40分ほどかかった。私たちは一番後ろの席に陣取り、昨日のことなどを話した。おじさんは鏡平でかき氷を食べずに私を待っていたらしい。そこに女性二人組が来て、私が双六小屋止まりだと聞くと、その二人にかき氷をごちそうしたらしい。今朝は6時15分に鏡平を出発したらしい。あと15分差だった。バスはいくつかの温泉地を通った。福地温泉の前を通ったとき、あそこの長座というところは一度行ってみるといいよ、と教えてくれた。ほかにもいくつかの良かった温泉や山について、押しつけがましさの一切ない口調で教えてくれた。おじさんは愛知の人だった。子供が3人いて、子供が小さいときはよく皆でアルプスを登ったらしい。最近は次女しかついてきてくれないと嘆いていた。奥さんとも時間が合えば登りに行くらしい。長座にも奥さんと一緒に行ったらしい。秋の連休にはまたアルプスか九州の山に行くらしい。とりとめもなく話しているうちに平湯温泉バスターミナルにつくという車内アナンスが流れた。なんとなく妙な間があいた。おじさんが「この後いろいろな山を登るだろうけれど、気をつけて」と言った。私は、「おじさんも熊には気をつけてください」と言おうとして、戸惑った。おじさんというのは呼称としてそぐわないと思った。あの女性二人組はおじさんのことをおじさんと言っていたが、私はおじさんというのは失礼に思った。何が失礼で、何が失礼じゃないのかわからないないが、おじさんではないと思った。この時になって初めて、私たちはお互いに名前を名乗っていないことに気がついた。しかしこのタイミングで名前を聞いてどうなるのだろう。あるいはもっと前のタイミングで、メールアドレスや電話番号を交換しておくべきだったのだろうか。なぜかお互いしなかった。照れくさかったのかもしれない。あるいは、この距離感を崩したくなかったのかもしれない。いずれにしても、私はおじさんの名前を知らなかった。だから、「…熊には気をつけてください」と、なんとなく詰まったような言い方になってしまった。おじさんは笑っていた。バス停に着いて、私は荷物を両手で抱えた。私には握手をする習慣がなかった。別れ際の握手が苦手だった。握手する人が苦手だった。おじさんにも手を差し出しほしくなかった。同様に私は手を振らない。待ち合わせの時も、別れの時も手を振らない。私は両手で荷物を抱え込んだ。おじさんが最後に、「一緒に歩けて楽しかったよ」と言った。僕もですというとおじさんはなんとなく困った顔をして、奇妙に口を曲げた。握手をしない二人の男がどのようにして別れたらいいのか、私たちはわからなかった。おじさんは、右手で私の背中を強く叩いた。私は、なぜか、「ありがとうございました」と言った。

バスを降りて、混雑する平湯温泉バスターミナルの人混みをかき分けて、バスの後部のほうにあるバスターミナルの入り口を目指した。最後部の真ん中に坐っていたはずのおじさんが窓側に陣取っていた。おじさんは窓越しに、私に向かって手を振っていた。それにこたえるように私も手を振った。力強く手を振った。